破滅の聖女

 ドタドタドタドタ。



「ごめんお兄ちゃん! あんな状況じゃ伝えられなかった!」


 妹は逃げた。

 朝を邪魔された俺は不愉快そうに寝返りを打って……事の全てを理解した。超能力者という前提はない。それが許されるなら前日にこれを感知して、思わず夜逃げしていたよ。

 

「「「おはようございまーす!」」」


 タチの悪い寝起きドッキリなのだと誰か教えてくれ。それ相応のリアクションを取ってやるから。隠しカメラなんて探しても時間の無駄だろうが、否、これは無駄な抵抗ではない。

「あんのクソ妹があああああああ……」

 寝落ちするまで取りとめのない雑談をして、声が掠れているのはそのせいだ。電話がまだ繋がっていたらアイツの笑う声が聞こえただろう。

 グループには通話が切れた後、ボイスメッセージで。


『おやすみなさい。用がなくても電話したっていいんだぞ? 話してたら会いたくなって、会った時嬉しくなるんだから』


 ……俺もだよ。

 感傷に浸っている暇はないが、昨日は本当に楽しかった。今はその落差で、参っている。

 さあ、グズグズしている暇はない。同級生は眠っている間に侵入していたのだ、待ってくれているだけ良心的だと思おう。着替える精神的余裕などなく、ただ勢いに任せて玄関へ。


「わー硝次さん♡ ずっとお会いしたかったです!」


 そんな言葉は聞き飽きたが、同級生のよしみとばかりに気軽だった同級生と違って、妹の友達とやらはまた随分真剣な様子。

 誰かが、黒髪ロングが好みだと教えたのだろうか。全員が統一した髪型だと似合うとか似合わない以前に不気味がすぎる。

 あどけなさの残る顔なら、どちらかというとツインテールの方が似合う気がする。それならもっと反応出来た。こういう落ち着いた髪型は錫花みたいな子がよく似合う。と思う。



『新宮さん。私の水着、見たいですか?』



 彼女の顔というか仮面を思い出したら連鎖的にあの夜の言葉まで引っ張られる。錫花の水着、見たくないといえば嘘になる。恋愛なんて懲り懲りな自分を認識する反面、期待する自分もいる。

 年上なのだからこういうのは自重しないとダメなのだが。何せお互いがお互いを好きでない前提で築かれた関係だ、素直になるのは間違っている。

 続いて視線がいったのはどうしても、身体の曲線だ。如何にも高級そうなワンピースを着たり、絶対にブランド物バッグを持ってきたのは気合が入ってると思うが。妹にも中学生にそんなのは求めるなといわれたが。


 数少ない例外を知っているとどうしても、目が行く。


 そして当たり前の現実に頭が冷えるまでワンセット。胸さえあればいいなんて乱暴な事は言わないが。それならそれで夜枝みたいな有無を言わせない美しさくらいは欲しいななんて。

 雑に好意を向けられているせいか、俺も雑な評価しか出来なくなっている事に気がついた。顔が全てなら隼人が勝つのも当然。人間は中身だなんて一時期の俺は言っていたっけ……ああ。人間性の方は外見より敗北している。嫉妬なんて馬鹿馬鹿しいくらい隼人は凄い奴なのは言うまでもない。

 で、中身がなんだって?

「……家で会うのはやめてって妹から伝わらなかったのはごめん。そりゃ家に来るよな」

「いえいえ、大丈夫です! どっちみち訪問する予定だったんです! やっぱり聞いてたよりずっとイケメンだな〜! 上がってもいいですか!?」

「ああいや、デートに切り替えたいな。ごめんね、今すぐ着替えるから」

 扉を閉めて自室に戻る。好きでもない子に褒められても嬉しくないし、年が離れすぎてるからかドキドキは……身の危険という意味ならしているが。

「ごめんなさーい…………」

 冬癒は部屋の隅で『反省中』というタグを首に掛けて正座していた。逃げても良かったのに、怒られにきたらしい。

「もういい。ていうか逃げておけよ、危ないぞ」

「うーん。そうしようと思ったんだけど、あんなに気持ち悪いと流石にお兄ちゃんがしんぱがあああああああああ!」

 実の兄妹だ、着替えを覗かれた所でどうという問題はなかった。


 まさか友人ズが言う事を聞かずに乗り込んでこなければ!


「わっ♡」

「すっご……」

「おっきい!」


 異性として意識はしないが、それと恥じらいは別物だった。慌てて脱ぎかけたパジャマを戻し、部屋の奥に退いた。

「いや。いやいやいやいやいやいや!」

 夜枝がどれだけ理性的だったか。妹は友達の礼儀知らずか恥知らずか、とにかく傲慢な無知に狼狽を隠せていない。

「な、なにしてんの!? お兄……兄貴着替えてますけれども!?」

「我慢出来なくなっちゃった♡ どうせ結婚したら見るんだし、いいでしょ?」

「それで私達、好き放題されるのね!」

「犯されたい……」

「…………ほんっとう。マジで。なんでこんな変わっちゃったんだろ。こんな事なら口に出さなきゃ」




「何か言った? 冬癒ちゃん」




 少女の瞳に狂気が宿るその瞬間。妹は小さく声をあげて、その場にへたり込む。

「そんな事したら、分かってるよね」

「喋りたくないならそれでもいいけど」

「冬癒、声だけは可愛いから、硝次さんを誘惑されたら困るもんね」

 妹が兄に恋愛感情を抱くなんてありえないが、まともでない理性にその判断は難しいようだ。咄嗟に頭が働いて、妹を守るように割り込む。

「着替えなんていくらでも見てていいから、デートに行くぞ。妹は関係ない」

「やだ、大胆なんだ硝次さんって♡」

「…………」

 気を引き締めて行こう。それはもう計画通りに。






 これ以上首を突っ込ませたら、危ないし。守れないし。

 これ以上誰かに死なれたら、俺はどうかなりそうだ。

 

























 息の詰まるデートは、まるで楽しいと思えない。それが俺の素直な感想だ。発言が許されるならまず言っている。

 仮にも女子、オシャレに過敏で恋に過剰なキャピキャピのお年頃だ。女子を侍らせて歩くことにはもう何の感慨もない。受ける視線も、思惑も、疲れるくらいハッキリしている。

「硝次さんはバドミントンなんてやりますか!? やりましょうよ!」

 そんな一言がきっかけで始まったダブルス。用具は全て強奪したし、公園は占領した。

「始めよう」

 運動なら相手がどうあれ楽しいと思ったが、本気じゃないなら面白くない。俺を褒め称え、媚びるだけのバドミントンに羽根のような身軽さはない。あるのは泥のように重たい愛情と、風邪を引いたような気味の悪さだけだった。

「ちょっと、トイレ」

 これは想像以上に、キツイ。俺に主導権がないのも、性格の反りが合わないのもダメだ。泣きたいし逃げ出したい。だがそれをすると妹にとばっちりがいきそうだ。

 個室トイレには占領による人払いから逃れた可哀想な人が一人。このトイレには個室が一個しかないので本当に用を足す気なら危なかった。

 顔を洗いたかっただけだ。トイレの水でも何でも、気をしっかり保ちたい。



「センパイ♪」



 水から顔を上げると、鏡越しに夜枝の姿を発見した。初めて会った時も、そういえば男子トイレの中か。

「そんな泣きそうな顔しちゃって。駄目ですよ。今は耐えなきゃ」

「…………お前がマシだって、思い始めてるよ」

「これは心外ですね。私が一番最悪だって思ってくれないと愉しくないです。だってセンパイ専用ですから。ふふふふ、忘れないでくださいね。センパイはいつだって私に排泄ぶちまけてもいいんです。全部受け止めてあげます。破滅する為なら手段は惜しみませんよ?」

 今はペースを乱されない。もうとっくに、平静なんてないからだ。

「……お前みたいに悪意が明確だと、いいんだけどな」

 そうやって、悪者という自覚を持ってくれるならいい方。善人面する狂人の相手はそろそろ疲れた。

「もう誰か巻き込むのはいいや。お前も隠れてろよ」

 押しのけて、外に出ようとする。これ以上長居するとまたどこぞの同級生みたいに突撃されて夜枝が困ると思った。

 しかし後輩は、ここにきて立ちはだかる。

「いや、退きませんよ。それが望みなら力ずくで♪ チキンな貴方には難しいですか?」

「お前……!」

 挑発に乗った訳じゃないと自分を言い聞かせて、彼女のなだらかな起伏に向かって手を伸ばす。今は躊躇なく鷲掴みにして、そのまま押し除けようとした。

 それでも夜枝は、動かなかった。

「……破滅は幸せの直後じゃないと意味ないんです。こんな辛そうに身体を触られても嬉しくありません」

「どけよ! いいからどけよ、頼むから……俺は、戻らなくちゃいけないんだ」



「センパイ」



 後輩はおもむろに口紅を握らせてきたかと思うと、その手を操作して己の頬にハートマークを書かせる。

 見覚えのある顔で笑って、そのまま口紅を俺に預けた。

「予定がないなら後に口直しのデートなんて如何ですか? それとも……こっそり、このまま二股なんて♪ どちらがセンパイのお好みですか? 判断は任せます。もしその気になったらその時は近くのトイレでまた会いましょう。鏡にハートマークを書いてくれたらすぐにでも! あ、性処理でもいいですよ? センパイがどうしても欲情したくないなら私を使って下さい。上でも下でも、好きな方を♪」

「な、何でそんな……これ以上巻き込まれるつもりかよ!」






「好きな人の身体を守りたいのは、そんなにいけない事ですかね?」


 




 夜枝は首を傾げて。

 その証明でもするように、サバイバルナイフを俺に見せつけた。

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