明鏡止水の恋目録
可及的速やかに選別し、帰宅する。それがこの場において最も大切な事だと分かっていて。しかしそれは一方で手抜きではないかと責める自分も居る。デートだ、これでも一応、本気ではなくてもデートになる。買い物デートはさっさと帰れば最適解かと言われれば、自分の都合しか考えない人間でもない限り違うと言ってくれる。俺はそう信じている。
対岸で行われる凶行には目を瞑り、現実から逃げるように服を物色する。錫花に引っ張られて行動を決められない自分に忸怩たる思いを抱きながら。いやそんな事を考える暇があるならちゃんと目の前を見ろと、やはり自分に叱責される。
そうは言っても、俺にはセンスという物がない。
良し悪しはこの際置いておいてデートをした事もない人間にどんなお洒落を求めようというのか。隼人が居るなら間違いなく頼っていたし、彼が居たならそんな機会に恵まれる事もなかったのもまた事実。それくらいモテていたし
……そう言えば、錫花も経験はないんだったか。
「…………」
「うおおおおお!」
少し気にかけたつもりで視線を横にすると、彼女が俺をじっと見つめている事に気が付いた。視線は当たり前の様にキツく、睨みつけられている様だ。それが彼女のデフォルトであると知っていても尚、不意を打たれるときつい。
相手が女性なら店員が応対してくれるだろうという謎の偏見もあったが、ここは顧客の自由意思を尊重しているのか、それとも単に不審な中学生に近づきたくないのか寄ってこない。成程、錫花は困っているのだ。
「……ていうかここ男性の服だぞ。着れないって事はないと思うけど、可愛いのとか女子っぽいのは先生についていった方がいいんじゃないか?」
「湖岸先生は曰くメンタルブレイクを起こしているそうで」
「は? 何で」
「昔、好きな人の為にお洒落を頑張ったら女子に総出で馬鹿にされたそうです」
「…………どっちなんだそれは」
恋敵を排除する為の策略にも見えるし、ただ絶望的にダサかったから馬鹿にされたのかもしれない。或いはその両方かもしれないが、嫌な記憶は何歳になっても忘れないらしい。ありがたくない人生の教訓だ。
「……あー。えーと、デリカシーないのかもしれないけどさ。お前が選ぶのはやっぱまずいのかな」
「まずいとは?」
「いや、センスって人それぞれだろ。俺調べによると男子より女子の方が圧倒的にお洒落の関心具合が高い。拘りがあるって事だ。良い悪いはともかくとして、他人に選ばれるのは不愉快なんじゃないかと思ったり……」
「……どうなんでしょう。誰かに任せるのなら正当化する理屈が出来ると思いますが」
「今の先生にこれ以上逃げるって行為を押し付けるのはちょっとまずいかな……その内立ち直ると信じたい。時間は沢山あるから、お前もゆっくり考えていけよ」
「先に下着見に行っても大丈夫ですか?」
「…………あー、そういえば使わせたよな。うん。いや、いいと思う…………」
下心はない。話題が話題だったので視線が吸い寄せられただけ。今の俺が好意自体を怖がってるのは誰の目からも明らかだと思うが、それでも錫花みたいに無防備に胸を突き出されると目のやり場に困る。『男』としての意識が何となく偏ってしまうと言えばいいだろうか。単に興奮するとか言ってしまうと大いに語弊を生んでしまう。
逸らした先には錫花の顔と視線。繋がるように一致して、より気まずくなる。
「……あの。今は下着つけてますよ」
「―――へ?」
胸を見ていた事は明らかだが、どうも無垢な中学生は視線の経緯を『今現在下着をつけていないから買いに行くのか』という風に察したらしい。斬新すぎる切り口に俺の方が狼狽している。そのお陰で語弊は生まれなかったとはいえ、これはこれで罪悪感を残す結果となった。
だって少し透けてるし。
「ああ。ああ、うん。そうだよな。うん。いや、何でもないぞ……あ、あー。うん。そうだな。今度服を買いに行く事があったら夜枝を連れてくればいいな。アイツお洒落とか気にしてるだろ」
「そうですね。霧里先輩はいつもにい………………何でもないです」
「……にい? 兄でも居るのか?」
「個人情報なので、秘密です」
錫花は何か口を滑らせたっぽいが、俺とは無関係だろう。ばつが悪そうに踵を返し、自分の買い物に戻ってしまう。
―――俺は見に行かない方が良いだろうな。
変態のレッテルを張られるのは心外だ。俺も俺の買い物に集中する。それが一番正しい。そうだ、正しいと言えば俺には相談出来る相手が居たじゃないか。携帯をポケットから取り出すと、メッセージでもう一人の親友に連絡する。
『俺に似合う服求む』
『アンタの今の姿知らない』
「反応するんかい」
思わずツッコんでしまったが、揺葉の言いたい事も分かる。じゃあ写真を送ろうという計らいも、無粋な感じがして嫌だ。俺も揺葉も次にお互いの姿を認識する時は同時でありたいと思っている。だからこの問題点を解消するには、早々に騒動を終わらせて会わないといけない。
『でも、アドバイスしてあげる』
『何だ?』
『身近な子に好かれる意識をすれば、まあ恥は掻かないんじゃない?』
買い物を済ませてモールを脱出する頃には,暮れ泥みの空が眼下に広がる人々を眩しく照らしていた。中では未だに虐殺が行われているものの、止める術はない。首を突っ込んでも危ないだけなので逃げてきた。
「はー。生きた心地がしなかったね」
「モールの入り口が一か所しか無かったら出られなかったと思います」
「呑気だなあ二人共……」
あまり危機を脱出した感じはしないのも当然だ。見つかった訳でもないので危機とは言い切れない。飽くまで目に見えて危ない場所を避けただけで、それは二人からすれば危機の内には入らなかったのだろう。
信号事情を優先し、二人を置き去り気味にただ帰路を突き進んでいく。夏は暮れるのが遅く焦る必要はないが、一刻も早く離れてリスクを抑えたい気持ちが拭えなかった。
「おいおい、置き去りにするのは困るよ。見られたくない気持ちは分かるが、ちょっと待ちたまえ」
「足止め喰らったら不味い予感がするので止まりたくないです」
「気配を感じましたか?」
「そんな達人みたいな真似が出来るなら苦労はしないな。でもなーんか嫌な感じだけはする。見られてるような……気のせいだといいんだけど」
嫌な予感は、その時に限って当たるというジンクスがある。根拠もへったくれもない要するに経験則だが、これを嘘と言い切る事は難しい。ともかく足を止めればその時点で地獄への六文銭を握らされる気がしていて、だから歩き続けないといけない。
「……見てる、ですか。心当たりがありますね」
「女子が俺でも見てたか? いや、それならこんな安全に脱出出来ないか。何が見てたんだ? まさか先生とか言わないよな」
「わ、私はそんな破廉恥じゃないよ! お、大人だぞ……」
「いえ、それは遠目からはちょっと。ただ…………女子だとは思いますね。湖岸先生がたまたま近くを通ったら、逃げました」
「…………じゃあ、そいつかな。因みに今は見てるのか?」
「それは広いので分かりませんけど」
足に力を籠める。
「帰り際は試着室の中からずっとこっちを見てました」
逃げ出す準備はいつだって出来ていた。
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