かみの随に恋する少女

「え? なんですかそれ?」

 まさか夜枝にしらばくれるという行動があるとは思わず、俺も暫くどうしていいか分からなかった。夜枝の求愛なんていつもの事だし、そこは演技として俺も流していただけあって、反応に困る。


 演技じゃないのか?


 しかしそれはそれで困るというか……欺瞞だらけの本人に聞く事も出来ない。首を傾げたその怪訝な顔も見覚えがある。嘘なら俺が嘘に踊らされた純情扱いされて弄られるし、仮に本当でも知らぬ存ぜぬを通されたら難癖をつけて無理やり迫る最悪な男扱いだ。

「…………そうか」

 なのでこれ以上はどうしようもない。何なら一回追及した時点で夜枝は弄ってくると思っていた。そこはもう観念していたのだが、後輩は寝起きで調子が出ないのかやはりこれ以上は何も言わず、持ってきていた水を使って顔を洗っていた。

「……いや、豪快か!」

「家に帰ってちゃんとやってもいいですけど、そんな余裕はないと思うので。センパイもどうぞ」

「…………」

 正気の沙汰ではないと思っていたが、確かに寝起きの顔のまま何かするのは気が引ける。錫花は一足早くテントにでも行っているのか。なら俺も寝起きのまま会いに行くのは年上として何となく避けたい。威厳なんて元々ないも同然だが、主観的なプライドがそれを許さない。

「もらうわ」

 テントの裏側で水を浴びる。季節が季節ならこの勢いで風邪を引くだろう。夏で良かった。タオルで顔を拭った後、揺葉に現在の状況をメールで共有しておく。アイツが居なければ俺は学校から脱出出来なかった。無事を伝えるくらいはしておかないと、後で怒られる。


・ヤミウラナイは成立してなかった。

・丹春と早瀬は瀕死の重体で、病院も頼れない状態が続いてる。

・じゃあ何で俺がこうなってるかは分からない。


 最後は殆ど質問だが、揺葉がネットから情報を拾ってきてくれるかもしれない。何となく俺の顔を送るのはどうかという考えも浮かんだがやめておいた。どうせ顔を知るならお互い面と向かった方がいいだろう。顔を忘れてしまった親友同士、ロマンチックに再会するならその方がいい。


 ―――隼人。


 吹っ切れたつもりはない。感傷的になるだけでふと思い出す、俺の親友の顔。何でアイツが殺されないといけなかったのか。誰が殺したのか。いや、そんな事よりも―――死なないでほしかった。

 他者を悼むのが自己満足でもいい。俺が辛いからでもいい。理由とか気にしないから、悪者でも自意識過剰でも何でもいいから生きててほしかった。俺なんかよりもずっと、幸せを掴むべき人間だった男が。

「こんな所に……居たのか、新宮硝次君」

 声を掛けられ振り返ると、配偶者こと知尋先生が顔を覗かせていた。昨夜のぼんやりした雰囲気は失われ、いつもの気だるげな大人の女性が戻ってきている。

「二日酔いしてると思ってました」

「そこまで飲んだ覚えはないよ……ただ、記憶は曖昧かもな。何か不味い事はしてない? これでも大人だからさ、未成年の身体に手を出すとかしちゃうと……ちょっとね」

「そこは大丈夫です。お互い何もしてないと思います。俺は酔ってないし、錫花抱いてたし。あ……抱くってそういう意味じゃなくて、普通に抱きしめてたって意味で」

「ふふ、分かってるよ。君は紳士だからね、それもこの状況で手を出すなんて最低な事はしないさ。避妊も今は出来ないし」

「あの、先生? 避妊が出来るなら襲ってたみたいな誤解を招きそうなのでやめてください。何もしてないですから」

 後、紳士ではない。それは隼人の様な聖人に言われるべき称号だ。俺は所詮『無害』だっただけ。それだけ人に優しくはしたが、それ以外の事は出来なかったとも言える。

「さて……私は無様にも眠ってしまって何も把握してないんだ。錫花ちゃんには『新宮さんが来たら話します』と追い払われてしまってね。だから探してたんだけど」

「なんだそうだったんですか。じゃあ行きましょうか。正直……何の用事があるのかは気になりますし」

 先生を伴って丹春と早瀬のテントに向かうと、錫花がお手製のヤミウラナイ箱を持って正座している。夜枝もお気楽な雰囲気で座るのはきついようで、居住まいを正して俺達を待っていた。

「おはようございます、新宮さん。よく眠れましたか?」

「ん……おはよう。一応眠れた」

「それは良かったです。実は早めに起きて色々と調べ物をしていたのですが、少し気になる事というか、発見があったのでお伝えします。どうぞお座り下さい」

「センパイ、こっちですよ」

 改まらないと伝えられない様な事なんて何一つないと思うのだが、何事も形だ、それだけ重要な事を知らせたいという意思の表れ。先生と後輩に挟まれる形で座ると、錫花は直ぐに本題に入った。

「このお呪い、タダの呪いじゃありません」

「そりゃそうでしょ。実害が広すぎる」

「違います。範囲が広いのは別にどうでもいいんです。そういう呪いもあります。ヤミウラナイもやりようによっては同じ事が出来るでしょうが―――考えてもみてください。湖岸先生はヤミウラナイの被害者で、しかもそれは事件になりましたよね」

「ああ。そうだね。まさか原因が呪いとは……報道されてないけども」

「何故報道されたと思いますか?」

「科学的には何とも言えないね。でも脈絡を考えるなら、ヤミウラナイが終わってしまったから、周囲に対するなんか認識の歪みみたいなのが解消されたのかなって思うよ」




「じゃあどうして新宮さんは、外部に協力者が居るんですか?」




「…………え?」

 二人の視線が俺に注がれる。外部というのは言うまでもなく揺葉の事だ。

「いや、え? 何でお前……」

「私の下着で気を引く作戦をしたのに、何故気づかないとでも? それで、新宮さん。その人は影響を受けていますか?」

「いや、受けてないよ。そいつ女子なんだけどさ。なんか最初は面白半分に協力してて……隼人死んでから真面目にやってくれてる―――ってあれ?」

「……認識の歪みとやらは随分ピンポイントなんですね」

「まさしくその通りで、おかしいんです。ほんの少し外に居るだけで助けを求められるなら、湖岸先生も、或いは既に亡くなられた他の方も頼る当てがあったのでは? 親戚の一人や二人くらいは居たでしょう」

「ちょっと待ってくれ! ゆ、揺葉が怪しいってのかよ!」


「そうではなくて」


 錫花は飽くまでフラットに話を続ける。どうも反応を見るに疑惑への追及は本筋から離れているらしかった。

「お忘れかもしれませんがこれはれっきとしたお呪い、呪いです。ここまで広範囲に影響を及ぼしているのに、無関係な人間にはとことん気づかせない非現実さ。ただの呪いじゃないですね。皆さんはお化けは怖い話をしていると近寄ってくるという話をご存じですか」

「急に何の話だい?」

「呪いとはマイナスの力です。例えばヤミウラナイに『好きな人が私の事を見てくれる』という願いを込めた場合、その効果の多くは二人を危機に晒し、吊り橋効果にて願いを実現します。つまり、一度触ればそれだけ幽霊の類に目を付けられやすくなります。呪いと怪異や幽霊の大元にある恨みは性質が近いですからね。ですがその類の話を私は耳にしなかった。つまり遭遇していないという事です。経緯はどうあれ湖岸先生の呪いは彼らに見つからないまま強引に実行されたという事でしょう」

 一対一の想いを通じ合わせるなら造作もなく、しかし一対多となると今まで通りの手段では望んだ結果が得られない。全員の強欲が、『私を好きになって』という願いが重なった結果、好きな人も含めて殆ど全滅と救われない結果になってしまったと言いたいのだろう。

 果たして先生が好きだった人は何を想っていたのか。もしも願いが『好きな人と一緒になる』事で、それが全滅という形に現れたのだとしたら救えない話だ。というかその仮説は普通に存在する。

 たまたま全員が同じ願いを浮かべたとは思わない。細かいニュアンスくらいは違うだろう。先生だけ『好きな人を取られたくない』とした結果、全滅してしまったという可能性だって大いにある。

「そもそも呪いは、素人が扱おうとするとその範囲にも限度があります。広げようとすれば自分に返る事もあるでしょう。湖岸先生は五百円を沢山いれたと言っていましたね。私はあの時手間賃か何かと言いましたが、お兄様から取り寄せた資料によるとそれはあながち間違いではありませんでした。湖岸先生の居た地域には『ひきすさま』と呼ばれる神が居ました」

「……知らないな。いや、隠してるとかじゃなくてさ。本当に知らないんだ」

「大昔に信仰されていた神様なので当然だと思います。それに湖岸先生が知らなくても女子全員で実行したのなら、発案者が知っていればそれでいいんです。『ひきすさま』は強い縁結びの神様として知られていました。貴方の呪いは『ひきすさま』の力を借りたものと私は推測しています。そうであるなら幽霊や怪異に遭遇しなかった事も頷けます」




「そして」




 錫花は目をぱちりと見開いて、語気を強めた。






「新宮さんにかけられた呪いも同様に、神様を介してる可能性があります。強い呪いを前に些細な呪いは弾かれます。ヤミウラナイは成立していなかったのではなく最初から成立出来なかったと考える事も出来ますね。そうなると凄く厄介です」

 聞くのも恐ろしく非現実的な話になってきたが信じよう。まずこの状況が非現実である限り、あり得ないなんて言いきれない。好きな人の為に法を犯す女子高生も、それを認識出来ないばかりか味方をする警察も、俺以外の男の命が軽率に扱われているのも、何もかも非現実的だ。

「…………何が、厄介なんだ?」

 震えた唇を動かし、後戻りの許されない一言を紡ぐ。話が込み入ってくると、俺は非常に困る。隼人を殺した奴を殺すつもりなのに、それが一気に遠ざかっていく様な気がするから。

「『ひきすさま』は神は神でも祟り神……いえ、怪異に近い性質を持つ神様です。とすると今回力を借りた神様も似た様な性質の可能性が高い。もしも新宮さんが解放を望むなら―――まずはその神様を探す必要があります」

「話が通じるのか?」

「話すのではなく、見つけるだけです。その後は見つけたら追々話しますが、見つけようとしたら実行犯は恐らく妨害に出ると思います。女子を使って。だから―――えっと」

「錫ちゃん。言いにくいのは分かるけど、言った方が良いと思うよ」

 夜枝に促され、錫花は深呼吸を挟んだ。
















「誰の命の保障もしかねます。死ぬ覚悟は、出来ていますか?」

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