鏡開きの婚約者;者約婚のき開鏡

 翌日。

 お手製の朝食を食べてから、俺は慌てて隼人に貸し出されていた家に向かった。犯人とされる三人が処刑されるのは学校が始まってからになる。公開処刑する事で潜在的な裏切者にも圧力を掛ける目的が何とかかんとか。

 その流れはどうしようもない。狙った様にあの三人が死ぬのはもしかすると都合が悪くなるかもしれないが(何せきっかけの人間だ)、俺が動いた所で変わるとは思えない。というか悪化する筈だ。隼人を助けるのは俺からすれば当たり前で、猶更殺す理由と裏切者の誤解を与えてしまう。

 それよりもやる事がある。扉を開けると、制服姿の錫花が正座をして、旅館さながらに頭を下げた。

「無事に回復したみたいですね」

「錫花……えっと。お前にも聞きたい事あるけど、今はいいや。先生は居るか? 知尋先生だぞ!」

「はい。昨日からずっと部屋に閉じこもっています。時々声はかけていますが、情緒不安定からか怒られる事が多いです」

「そうか…………一応聞くけどお前は大丈夫か? 被害とか」

「今の所は」

「そうか…………ちょっと俺が声かけてくるから、コーヒーかココアか……何でもいいけど、飲み物頼んだ。ああでも……学校があるなら、無理強いはしない」

「登校を遅らせるので大丈夫です。頑張ってください」

 何となく手を出してきたので、ハイタッチをして交代を告げる。二階に上って閉じた部屋の前に立つと、裏拳でドアを叩いた。

「先生」

「来ないで!」

 鍵は掛かっていないが、今立ち入るのは違う気がする。しかし俺の声を聞いただけで随分な取り乱しようだ。まずは落ち着かせたい所だが……俺に出来るのか。

「先生のお陰で、俺は何とか一命をとりとめました。有難うございます」

「…………ああ。それは。良かったよ………………ああ、本当に。うう。うううう」

「先生?」

「あ、頭が真っ白になったんだ。君が捕まったと分かって……な、何とかしなきゃって。違うんだ、違うんだ、違うんだ……そんなつもり。わ、私は。もう絶対。人を殺したり。警察から銃なんて………………ああ」

「入りますよ」

 部屋に入って、直ぐに閉める。知尋先生は部屋の隅で体育座りになって縮こまっていた。顔は俯いたままで、だから声もくぐもりっぱなし。今の俺には、先生が錫花と同じくらい幼く見える。

 まるで昔に時間が止まってしまった様に、彼女はしくしくと泣いている。目の前まで近づいて、固く握られたまま震える腕を握ってやると、ぴくっと先生の肩が動いた。

「先生、俺は感謝してるんです。だって先生が殺してくれなかったら俺が死んでました。先生が来なくても女子が助けに来たかもしれませんけど、そうなってたら他に迷惑が掛かってたと思うし、俺も自由にはなれてなかった。監禁されてたんじゃないんですか?」

 どうやって落ち着かせようか考えている。名案とやらはそう簡単には浮かんでこない。俺はむしろ機嫌を取られる側だった。隼人に甘えていたとも言う。どうやったら安心するのか、ネットで検索すれば答えが手に入る?

「だから気にしないで下さい。ていうか顔をあげてください。本当に心から感謝してるんです。俺も、自分が死ぬよりは誰かが死んだ方が良いって思っちゃう酷い人間ですから」

「私は…………ああ、何で。もう二度としないって」

「…………自分を嫌いになりますか?」

「…………死にたい」



「だったら、先生の分まで俺が貴方を愛します」



 腕が開いた瞬間に、俺は知尋先生を抱きしめた。もう考えたらこれしかない。錫花を抱きしめていた時の安心感が俺にもあるとは思わないが―――この人にはまだ俺がいるって教えたい。

「一応ほら、婚姻届けにもサインしましたし? 大丈夫。俺は先生を嫌いになってないですから。元気出してください」

「……………………やめ。やめてよ。そんな事言うの。私は、私は悪い奴だ。いつかまたおかしくなって、今度は君を」

「まあそれならそれで、俺はいつ死んでもおかしくないんで、死ぬなら死ぬで死に方を選びたいですよ。それで先生に殺されるならもういいんじゃないですか? 十分すぎるっていうか……あーそうだ。先生。じゃあ今度の週末にデートしましょうよ。お互い立場は忘れて。夫婦として」

「…………………そんな場合じゃない、だろ」

「そんな場合でしょ。先生は命の恩人なんですから。先生がいなかったら駄目だった時が沢山ある。それだけで十分です。勿論、不純異性交遊がどうとかって話しだったら錫花を入れて誤魔化すという手もあります。でも出来れば二人でデートしたい……ですけどね」

 言葉以上の他意はない。何人も居たらそれだけ楽しませる力が必要になるだろう。錫花とは錫花と、先生とは先生と。俺にはそれくらいが限界だ。一人楽しませるだけでもどうにかこうにか。

 先生は膝を下げて、俺に抱擁を返した。

「………………君は。駄目だ。そういう事言うから、勘違いされるんだ」

「一応夫婦なんでね。提出はしてませんけど、ある程度好きじゃないなら書く事自体やらないでしょ」

「…………駄目だ。本気にさせちゃ。死に損ないの女なんかに、そんな事言わないで」

「先生に死んでほしいなんて、それこそ言えないですよ。口が裂けても」

 知尋先生の時間は止まったまま。昔の後悔と罪悪感に身体を引きずられ、ある種の自殺願望へと繋がっている。ただ単純に、俺は死んでほしくない。身体を掴む先生の手が、食い込まんばかりに衣服を握り締めた。

「くぅ…………ふぅぅぅう………………うぅぅぁあああ」

「大丈夫、大丈夫。俺は気にしてません」

「どんな罪を抱えていても―――」

 

 なんて。


 恥ずかしくて言えないが。







 









「湖岸先生、元気になったんですね。良かったです。コーヒーでも如何ですか?」

「ああ、貰う……ごめんね錫花ちゃん。気を遣わせて」

「私は別に。こういう事は慣れていますから」

 まるで立ち直った様に見えるが、俺にはまだ少し引きずっているようにも見える。これからも何度か先生がおかしくなる事があると思うと、もう少し慰め方とかを勉強する必要がありそうだ。

「錫花。ちょっと抱いていいか?」

「―――どうぞ」

 抱きしめられた時の安心感。抱きしめた時の密着。傍に居るという保証は伝えられただろうか。錫花の胸に顔を埋めていると、とても心が落ち着く。母性的な何かに包まれている様で、ある種童心に帰っているというか。先生も、同じ気持ちになった?

「有難う。何となく分かった……かも」

「?」

「ああ、こっちの話。それよりも二人はこの話を知ってるか? 女子の中に裏切者が居たって話なんだけど……」

 と、錫花に対して聞きたい事は一先ず置いといて、俺は夜枝の家で見た情報をかいつまんで説明した。先生は女子の泥沼争いに溜息を、錫花は仮面越しにも只ならぬ様子でそわそわしていた。

「どうかしたか?」

「お兄様に電話して、ヤミウラナイについての資料をいただきました。それで、本当は放課後にするつもりでしたが優先事項が変わりました。新宮さん、その三人は本当に、ヤミウラナイに参加してたんですね?」

「少なくとも二人は参加してた筈だ。でも発端をどうにかした所で解決するならこんな大ごとにはならないと思うんだけどな」

「いや、何処が発端だったかはとても重要です。解決はせずともハッキリさせておかなければ」

「錫花ちゃんは部外者だから私達でやるしかないか。しかしそれでヤミウラナイは終わるのかい?」




「終わりませんが、呪いの現物を拝めたなら或いは―――見えてくると思います」




 錫花は勢いよく席を立つ。ブルンと胸を大きく揺らしたかと思うと、歩幅に合わせて小刻みに揺らしながら棚へ向かい、白っぽい箱を机の上に置いた。

「これは?」







「呪いの現物が分かれば、それに対抗した呪いを組みたいと思います。早い話…………この箱も、『ヤミウラナイ』の力を持っています」

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