忘れられていなかった過去

 結局抵抗出来なかったので大人しく体を洗われる事になった。逃げるように風呂場から出て来た俺の背中はさぞ面白かっただろう。夜枝は既視感のある表情でクスクス笑って、指先で輪を作った。

「うーん…………顎が外れるかも」

「お前……二度と入れないからな」

「はいはい。私も二度と入りませんよ。でもセンパイから頼まれたらまた入ります。素直になる日を心待ちにしていますね?」

「ふざけんな! 俺は嫌だって言ってるのに無理やり……え?」

 お風呂か食事の支度かという二択で、お風呂を選んだのだから支度が整っているのもおかしな話ではないか。俺がお風呂に入っている間に用意していたとかではなく、絶賛身体を弄られていたのだし。

 玄関を見ると、鍵が掛かっていない。出来立てほやほやの食事と扉を交互に見て、最期に悪質な後輩を見遣る。

「?」

「…………え、お前関与してないのか?」

「食事の事ですか? 妖精さんが用意してくれたんじゃないんですか?」

「ふざけんな。お前さっきからずっとふざけてんな。何でここで妖精とか出るんだよ」

「細かい事は―――」

「細かくねえよ! お前の家誰か知ってるのか? だとしたら安全じゃないんじゃ―――!」


「あーうっさいうっさい」


 後輩としての丁重な演技をやめ、何処か投げやりっぽい素が現れる。発言は荒いが俺には苛立ちというよりは追及を避けている様に見える。

「ほんっとうにうるさい人。そりゃ誰かは知ってるよ。でもご飯だけ用意して帰ったんだから、危険な訳ないじゃん」

「…………誰だ?」

「貴方を助ける時にたまたま知り合った」

「知り合った時期とか知らねえよ。誰なんだよ」




「Iカップくらいの~中学生?」




 えー。

 心当たりが一人しか居ないので、確定してもいいか。そんな発育の女子がそうそう居るとは思えない。ていうか居ない。まず俺の高校に一人も該当者が存在しないし。

「え、家を教えたのか?」

「うーん。そういう訳じゃないみたいな……みたくないような?」

 言葉を濁しているが、夜枝はどうあっても返事に困っていると見た。しかし相手が錫花と分かればもうこの嘘つきに聞く必要はない。偽りだらけの後輩と違ってあの子は心配になるくらい悪意に疎く、部外者故に嘘を吐く必要もないのだ。

 台所を見ると、夜枝が残したと思わしきレシピが置かれている。材料と手順だけならまだしも『私の味を再現するように!』という注意書きから、俺が風呂に入ると決めた時点から狙っていた可能性が高い。


 夜枝の事がまた分からなくなってきた。


 本当に何がしたいんだろう。

「センパイ、またあ~んしてあげましょうか?」

「要らない。もう自分で食べられる」

 錫花にしろ夜枝にしろ、料理に対して言う事はない。どちらも上手いのは知っている。鮭の塩焼きも箸を入れるとすいすい身が切れて食べやすいし、こういうのを知ってしまうと後で家で御飯を食べた時に文句を言ってしまう可能性が無きにしも非ず。


 ――――――先生が心配だな。


 俺は安全と安心を満喫しているが、とてつもない罪悪感に駆られているであろう知尋先生の事が凄く心配だ。間違いを起こさないといいが……いや、間違いは既に起こしているのか。隼人を失った直前という事を抜きにしても死なないで欲しい。婚約でも何でも、使える物は何でも使うから生きててほしい。

 夜枝としたみたいにデートでもすれば、少しは前向きになってくれるだろうか。やるとしてもまたタイミングを見計らう必要が……そうだ。

「夜枝。学校はどうなってる?」

「…………気になるなら、食後にでも見てみますか」

「は? 見る?」

「最近の女子高生はネットの脇が甘いので、投稿してたりするんですよ。特に今は、センパイの事となったら盲目になるんだからマナーなんて存在しません。それに…………」

 夜枝は湯呑に注いだお茶に口を付けて、頭を振った。

「今は―――それどころじゃないですね。その内話します。まずは覗いてみませんと」
















 食後、就寝準備を一通り済ませてから俺達は寝室でパソコンを見つめていた。肩を寄せ合っている事には途中まで全く気付いていなかったが、今更離れると意識していたみたいで癪に障るので何としても離れない。

「ほら、この子とか凄いですよ。センパイを拉致した男子が銃殺されてる事にも怒ってる。殺した奴を殺すって。この画像は……銃殺された男子が山積みにされてますね。使った銃は……警察が持ってる銃ですか。捨てたんですね」

「…………なあ、あんまり見たくないからやめてくれ」

 銃殺されただけ。身体の何処かに穴が開いただけ。だけと言っても、生々しさが違う。悍ましい表情のまま固まっていたり、訳の分からないまま死んでいたり。そいつが死ぬ直前に何を想っていたのかが何となく伝わってきて……痛ましい気持ちになる。画像越しに視線なんか合った日には、責められているようだ。

 夜枝のタイムラインには揺葉のアカウントと思わしき投稿もあった。投稿を遡ってあからさまに隼人の生存情報を騙っており、どうも女子達が隼人の生死を誤認しているのはアイツのお陰らしかった。才木都子についてもデマが流され続けており、デマも込みで今の女子の認識を纏めると、



・Y葉こと『才木都子』―――二十年前と今を繋ぐきっかけとなっている名前の架空は、新宮硝次の事が好きである。

・隼人はそんな都子の虜であり、都子に良いように使われる駒だった。俺と仲良しだったのは踏み台にされる為。

・隼人は殺される直前に都子の息がかかった裏切者の女子に助けられた。

・いつ新宮硝次を攫われるとも限らないから注意するべき

・こちらも男子を奴隷にしてこき使うべき。


 大体こんな所か。

 遠くに居る癖に揺葉と思わしきアカウントの影響力は絶大だ。部外者から見れば頭がおかしくなったとしか思えないだろうに誰も突っ込まない。まあ、今更この程度の不自然は突っ込むだけ無駄だ。そんな正気な奴が多かったら俺もこんな目には遭わない。

「ふむふむ……あ、やっぱりそうなりましたね……センパイ。良かったですね。これからはほんのちょっぴり楽ですよ」

「楽…………って?」

 

『裏切者が見つかった』


 その投稿が、全てを表している。だが俺達には心当たりがない。俺が好きと公言していてそれが嘘とするなら、その正体は『夜枝』になる。だが危険は訪れていないし、錫花は部外者だ。


 ―――先生?


 そう思ったが、それなら保健室はもっと警戒されている筈。俺を好きな事には違いないが、穏健よりと認識されているのでなければおかしい。やっぱり心当たりがない。

「どれどれ、ちょっと実名を調べてみますか」

「そんな個人情報って簡単に調べられるのか?」

「学校の掲示板なら乗ってると思いますよ。私も欠かさず見てますけど、今はセンパイへの愛を叫ぶイタタな感じの場所になってますね」

「イタタとか言うな」

「センパイ、愛してます♪」

「キモい」

 夜枝が腕を組みながらマウスを滑らせる。

「お」

「――――――」

 裏切者の名前。

 

 砂羽角杏子、桜良丹春、六未早瀬。


 それは、特に隼人に対してアプローチを掛けていた筈の三人。というか俺がヤミウラナイを手伝わされた時杏子と早瀬は絶対に居た。だがそんな事は関係ない。今は俺の事が好きで好きでたまらない。最初に好意をむき出しにした三人でもあるのだから、見間違える様な事もあり得ないが。

「な、何でこいつらが…………今は俺の事が好きなのに」

「だからじゃないですか?」

「は?」

「ヤミウラナイの前はセンパイじゃなくて央瀬先輩がモテてたんですよね。確かに今は何でもありですけど、事実が消えた訳じゃない。センパイはまるで前からずっとモテてたみたいですけど、部屋にはそんな気配微塵もないでしょ? あの人を助けられるのは女子しか居ない。女子しか居ないなら女子の中に敵がいる。そういう考え方なんでしょうけど…………全員、気が気じゃないと思います。これならセンパイが解決しなくても勝手に自滅しますよ」

「待て。勝手に話を進めるな。いまいち意味が分かってない。隼人の事が好きだったのは何もこの三人だけじゃなくて、ほぼ女子全員だぞ? 誰かを裁こうとしてもお互い様だろ!」

「恋愛レースにお互い様なんて言葉はありませんよセンパイ。居ない筈の敵を見つけるなら作るしかない……これからは証拠隠滅に手一杯でセンパイに構う暇なんてないかも。命に関わりますもん。央瀬先輩を好きだった証拠を誰にもバレずに消す……出来ますかねえ?」


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