夜に違わぬセンセーション

 夜枝は言動を除けば普通にハイスペックというか、料理がとても上手い。物を口に運ぶのも明らかに慣れているとしか言えず、食事に何の不満もない。トンカツに関しては母親よりも上手だと思えるのは、彼女の美少女補正ありきの話だろうか。

「はい、あ~ん」

「…………手が使えるのに不思議な気分だな」

「お味の方は?」

「最高」

 また、夜枝は俺を好きではなく、トラブルを持ってくるのを期待しているだけなのでそういう意味で下心がない。だから俺の方も変な話だが……見栄を張ったりする事が出来なくなった。素直になれたとも言える。

「ぶっちゃけ、バレないのか? 俺を匿ってる事、上級生は繋がりが薄いとしても、同級生とか」

「バレてないからセンパイはここに居るんですよ。勿論今日は泊まっていただきます。傷も、もう少しで治りそうですね」

「せめて家族には連絡したいんだが」

「携帯からバレる可能性があるんで駄目です。どうせ一日くらい連絡しなくても大丈夫ですよ。央瀬先輩がなんのかんのって勝手な解釈してくれる筈です」

「先生…………は、この家を知らないのか?」

「センパイにだけ本邦本日初公開です。ノリで言ったので意味は違うと思いますが、誰も私の家は知らないと思います。知ってたら怖いですね。ストーカーが居るのかも。怖い、助けてセンパイ!」

 食事中だからか抱きついては来ないし、顔も全く怖がっていない。これは露骨な演技だ。こういう時が一番反応に困るのでもう無視した方が良いような気がしてきた。こういうのを一々気にしてたらキリがないし、一番恥ずかしがるべきはご飯を食べた時から片時も離そうとしない手だ。布団の中で二人の指がしっかり組み合っている。

「……なあ夜枝。俺はさ、卒業出来たら就職にしろ進学にしろ出来ると思うか?」

「そんな先の事考える余裕があるなんて、まだまだ余裕綽々ですね。センパイは頑張ればまだチャンスがあります。他の子はセンパイのお嫁さん以外の進路がないんですよ。道を失えば路頭に迷う。そんなに優しいならいっそ責任でも取ればどうですか?」

 不機嫌そうな顔で口を尖らせる夜枝の顔は見覚えがある。何となく『構図通り』に彼女の頭を撫でてやると、ギョッとして固まり、大きく目を見開いた。

「……………………」

「いい顔するな」

「胸、触りますか?」

「触らない。唐突だなおい」

「すみません。調子が狂ったので。は分かりますか?」

 ショートカットの前髪を指で梳くように触る。夜枝が手首を掴むと、その手を徐々に下げて、頬に当てる。滑らかでもちもちの頬を包むように握ると、後輩は満足そうに眼を閉じて、俺の手に頬ずりをした。

「……ほら、あと少しです。もう少し食べましょうか」

「お前とは直ぐにでも縁を切りたいと思ってたのに不思議だよな。中々切れそうもない。いつまで続くんだろう」

「末永く続くといいですね」

「……今回の事件が終わったら名実共に面白くない男だぞ。それでいいのか?」

「先輩が面白くない男かどうかは私が決める事にします。そういうのは元々他人が決める事です。はい。これで全部終わりです。お粗末様でした!」

「ご馳走様……って順番逆だろこれ」

「感謝はしてるのでセーフセーフ。片付けてきますね」

 お盆を腰に据えて、夜枝は再び奥へと消えていった。話している内に傷は塞がったのだろうか。試しに血塗れの包帯をとってみると、傷は綺麗さっぱり小さくなっていた。

 冗談みたいな治療法から、冗談みたいな効果が表れている。だからって科学が間違っているとは思わない。夜枝だって出来れば病院を使いたかっただろう。問題は、俺の取り巻きがそれを許さないという点だ。勿論、同伴させれば問題を起こす事はないだろうが……それは本当に最善か? 俺は二十四時間、飯の時からトイレの時まで絶対に一人になれないのではないか?

 諸々を考えると、どんなに怪しくてもこれが最善だったと思う。怪我は実際治っているし、恩着せがましくされても文句は言えない様な大恩人でもある。とやかく言う事じゃない。

 本当はもう動けると思うが、もう少し休もうか。

 夜になるまでに何もなければ、本当にここが安全だと分かる。



















 夜になっても侵入者が現れる事はなかった。夜枝は携帯を返してくれなかったがパスワードが分からないので弄ったりはしていないらしい。そういう所も結構、発言に反してちゃんとしている。

「じゃあ、そろそろご飯にしますか。それともお風呂にしますか? 私はどちらでも大丈夫ですよ?」

「待て待て待て待て待て! その恰好は何だ!」

 

 だが服装はまともじゃない。


 台所でスク水を着て、その上からエプロンを着るとは何事だ。一体何の目的があってそんな服装をしなければならないのか。夜枝が水泳部な事くらい分かっているのだから、わざわざ着替えなくても。

「だから、お風呂かご飯かですよ。お風呂だったら一緒に入る必要がありますよね?」

「ない! 一人で入れるよ! 手は使えるんだって!」

「駄目ですよセンパイ。胡散臭い治療法使ったんですから観察しておかないと。それに、ちゃんと配慮してるじゃないですか。私は全裸で入る事に抵抗ありませんから。上も下も、女の子にとっては大事な所ですけど、大好きなセンパイになら全然!」

「…………スク水で料理とか、エプロンあっても流石に危ないぞ」

「多少のリスクは仕方ないですね。両対応なので」

 夜枝は絶対に折れない。

 配慮していると言えばしているのかもしれないが、その控えめな膨らみとお尻はくびれと共に煽情的なラインを作って、俺を本能的に誘惑してくる。今は大分彼女に心を許している関係で、何か間違いをしてしまいそうだ。でも、断ろうにも断れない。全裸とスク水ありのどっちがマシかと言われたら、そんなの後者に決まってる。

「………………分かったよ。分かった。風呂にする。ヤバイ時間は早めにやり過ごした方が良い」

「成程…………じゃあ、お先にどうぞ? それとも私に服を脱がしてほしいですか?」

 それは真面目に辞めて欲しいので、言われるがままに脱衣所へ。自分でも驚くくらい身体を流してから入浴の流れはスムーズだった。夜枝が入ってくると思うとドキドキする。いや、違う。これは風呂の温度が熱いから血行促進されているだけ。


 ―――でもこんなゆっくり入れるのも久しぶりだよな。


 今の様子だと、自分の家で入ろうとすれば窓から覗かれているか堂々と玄関から入ってきて一緒に入るまである。他人の家だが、自分の家の様にゆっくりするしかない。本当にオプションが変態チックなだけで、貴重な機会なのだから。




「お待たせしました」




 頬を仄かに赤らめながら夜枝が湯気の中を分けて入ってきた。宣言通りスク水姿だが、それよりも前に―――俺は客観視が出来ていない自分を愚かだと思ってしまった。

「……なあ、俺に服を着せてくれないか?」

「男性用の水着はないですよ。センパイも変わってますね。何かを着て入るなんて」

「お前が服を着てるのに俺が全裸なのはもっとまずい事に気づいたんだよ! ちょ―――入るな、入るな!」

 俺の願いも空しく夜枝が隣の空きスペースに身体を浸ける。やけに広いお風呂だと思ったが、人が二人入ろうとすると流石に狭いか。夜枝も俺も互いに密着を強要されている。恥ずかしそうに笑う彼女の顔には既視感があった。

「良く分かりません。水着が嫌なんですか?」

「嫌だ!」

「じゃあ……」

 と、肩から水着を脱ごうとしたのを慌てて止める。もう両肩から支えがなくなり、俺が止めなければポロリする所だった。というかこの絵面だけを切り取ると、水着を剥がそうとする俺を夜枝が必死で抵抗しているみたいだ。胸を抑えている所とか、特に。

「俺が悪かった。脱がないでくれ」

「はいはい。分かったらちゃんとお風呂に浸かりましょうね。誰かと一緒に入るの、久しぶりです。男の人ならハジメテかもしれません」

「初めてだろ。お前性格悪いもん」

「水着、直してくれますか?」

「……………」

 目を瞑って、彼女の指示通りに手を動かす。ああもう、さっきから心臓が鳴りっぱなしだ。

「顔、赤いですよ」

「そりゃお前もだ」

「こんなに好きな人が近いから、心臓もドキドキしてます」

「風呂のせいだ」

 夜枝はおもむろにに俺と胸をくっつけて、耳元で囁いた。互いの心音が、共鳴するように伝播する。

「一つ、良い事教えてあげる。信じるかどうかは任せるけどね、身体は正直なの。貴方を好きって人には、同じようにやってみて―――ドキドキしてないから」

「―――――――何を、知ってる?」




「身体洗ってあげますよ。もう少しゆっくりしたら出ましょうか」





 既視感ばかりの表情と、偽物だらけの感情。

 そんな欺瞞まみれの後輩は、たった今『言葉で』誤魔化した。



「―――本当に正直ですね。センパイ。そんなに塔まで洗ってほしいんですか?」

「ちがっ! 違う誤解! これは反応であって…………!」



 そして完璧に誤魔化された。

 男のプライドなんて安いものに付け込まれて。

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