センパイの偽ですから

「お待たせしました。こんな形で部屋着は見せたくなかったですね」

 着替えて来た夜枝は五分袖の灰Tシャツに短パンと、警戒心という言葉を辞書から失くしたような無防備な恰好になっていた。両親が居ないなら男女が同じ屋根の下に居るという事になるが、重傷を負った俺に彼女をどうこうする力はない。そもそもそのつもりもない。

 椅子に座って、布団の中で俺の手を握る。

「……じゃあどんな形で見せたかったんだよ」

「センパイ。お家デートは距離感の調整に定番なんですよ。本当はもっと親しくなってから案内するつもりだったのに、男子は碌な事しませんね……具合はどうですか?」

「そうだ。これは一体なんだよ。なんか耳なし芳一みたいになってるけど」

「細かい事はあんまり気にしないで下さい。効果があるならいいじゃないですか。運ばれた時よりも頭の傷は治ってる気がします。しかし病院に行けない事情があるなんて犯罪者みたいですね。センパイは犯罪者ですか?」

「違う…………のかな」

 男子にとっては俺が首謀者だった。その認識は覆らないし、先生が彼らを銃殺した所でここが変わる事はない。むしろ先生も女性だから、猶更その風潮が強まるだけだろう。女子と関わりたくないのに、男子に関わる事が許されない。女子は人に因るがあまりに拒絶すれば命に関わり男子は頼ろうとするだけでも命に関わる。


 ―――どうすりゃいいんだ。


 家庭教師どころの話じゃない。普通の授業が、普通のクラスがこんなに羨ましくなっているのは俺だけだろうか。

「……センパイ、泣いてるんですか?」

「見るな。お前には…………関係ない」

 夜枝は怪我人の言葉など耳を貸さず、持っていたハンカチで涙を拭った。無意識か意図的か、慰めるように繋いだ手を離して心臓の辺りを撫でる。元気づける様な笑顔は、果たして『本物』なのか。

「関係ありますよ。だって私は貴方が大好きなんです! それに、センパイの表情は残さず見ておきたいじゃないですか。役得って奴ですね。そうだ、血が減ってお腹空いたんじゃないんですか。何か作りますよ」

「…………何でも?」

「人間に作れる料理なら」

「……トンカツ」

「へえ……分かりました。じゃあ今度は少しと言わずかなり席を外します。センパイもかなり暇すると思うので、スケッチブックでも見ますか?」

「スケッチブック?」

 部屋の本棚から美術の授業で見覚えのある物を取り出すと、夜枝は適当なページを開いて仰向けからでも見やすいように見開きを見せてきた。風景画だと最初は思ったが、ページのどちらかには必ず夜枝自身の姿があった。それも一人や二人じゃない。背景が綺麗なまま成立する限界の人数、自分自身を描いている。パッと見は恐ろしいが、風景は見覚えのある場所が多いので近所がテーマだろう。大量の自画像は悲しい顔をしていたり楽しそうな顔をしていたり、一言では言い表せない微妙な表情をしているものもある。

「まあこんな感じです。何冊か置いておくのでどうぞ。感想は要りませんが、よく見ておいてくれると嬉しいですね」

「…………自分の表情を、覚えておいて欲しいからか?」


 去り際に、夜枝は頬に手を当てながらにやっと微笑んだ。


 スケッチブックの中に、同じ表情がある。

「大正解です。そういう察しが良い所、キライじゃないですよ。センパイとだったら、一緒に行ってもいいかもしれませんね。世界旅行」

「……急にどうしたよ」

「私の夢なんです。『ジブン探し』を一人でやってもつまらないじゃないですか」

 扉が閉まって、また一人ぼっちだ。先生も錫花も揺葉もいない。というかそもそも携帯がない。

「夜枝。俺の携帯―――」

 いや、彼女に用事を言いつけたのは俺だ。邪魔するのはどうかと思う。携帯が使えない状況というのも中々不安というか、身体の一部がなくなったみたいで落ち着かないが、あまりうろちょろ出来る体調でもないし、大人しく彼女の絵を見るしかなさそうだ。

 兼部というからにはさぞマルチな才能があると思っていたが、想像以上に上手い絵だ。鉛筆だけで済ませた絵もあれば、色鉛筆を駆使して塗りまで行った絵もある。美術素人な俺には解説など望むべくもないが、気になるのはアングルだ。

 例えばビーチのレストランで、机を挟んで向かい合う夜枝の自画像。これは一体誰の視点だろう。絵の中の夜枝と向かい合っているのは誰だ? 幸せそうに机の上で手を繋いで笑う彼女の瞳には、一体誰が写っている?


 ――――――俺とか?


 絵を隅々まで観察すればするほど、絵の中の後輩と目が合ってしまう。俺でなくてもこの絵を見たら見ている人がそういう勘違いをするのは無理からぬ事だ。

 次の絵は、シチュエーションが真逆だ。冬空の下で終電を逃して、落ち込む夜枝の絵。今度は第三者の視点というより監視カメラに近い。表情を描く目的の都合だろうが、監視カメラの方をそれとなく窺う彼女にはそれとなく不審者っぽさがある。


『私、心の底から笑った事もないし、悲しんだ事もないし、怒った事も楽しいと思った事もないです。打算が混じってしまうんです。何故でしょう。だって私は普通の筈です。誰にどう見えてるかは関係なくて。私が私を認められない。だから自分の正確な表情を描く為に入りました』


 ―――誰も気づかないだろ。


 言われないと分からないが本人には譲れない拘りがある。そんな風に思っていたが―――さっきの一瞬で、分かった事がある。去り際の笑顔は、このスケッチブックの中にも存在していた。最初は何が何だかという感じだったが、アイツが探している本当の表情というのはこのスケッチブックの何処にもなくて。

 俺に表情を覚えて欲しいのは一緒に探してほしいという事……ではないだろうか。世界旅行云々は置いといて、『ジブン探し』を手伝ってほしいのが本音か?

「…………」

 下品で悪質なだけの後輩だと思っていたのに。俺は不思議と夜枝の事が気になっている。ヤミウラナイに追い詰められるにつれて、この後輩がまともに見えてくる。


 ―――全部、覚えてやるよ。


 何をしたいのか知らないがここまで表情差分を見せられたら気になるじゃないか。


 本当の顔って奴を。



















「お待たせしました」

 お盆にお目当てのおかずと御飯、味噌汁を持ってきた夜枝だが、何故か眼鏡姿で帰ってきた。

「ど、どうした!?」

「え……あ。失礼しました。暗い所を覗く時だけは眼鏡が必要な物で。眼鏡好きでないなら外させてもらいますね」

 ベッドに嵌まるタイプの机を設置すると、その上にお盆を置く。箸はお盆の手前に揃えられており、こういう几帳面な所が本当に病院食みたい。

「さて」

「さて?」

「手は使えると思いますけどセンパイさえ宜しければ私が食べさせてあげますよ? どうしますか? 自分で食べるつもりなら、私はここで見てます」

「…………どっちにしても、愉しくはないぞ」

「センパイに関わってる限り愉しくなるので大丈夫です。ですがここは判断を尊重させていただきますよ」

「…………じゃあ、食べさせてもらおうかな」

「あら、頼るんだ?」

 嗤う様な、訝って首を傾げる素振りも偽物。見た事がある、見た事のない表情。

「……………………誰も居ないんだろ。少しくらい。甘えさせて。くれよ」

 夜枝は嬉しそうに箸を取って、椅子を近づけた。


 やっぱりこれも、既視感がある。



「いいですよ♪ センパイのぜ~んぶ、私がお世話してあげますねっ!」

 

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