知らないヒトの幻像

 死人に口なしという言葉は実に便利だ。相手は死んでいるから反論のしようがない。証拠もへったくれもないまるっきりの嘘でも信じる人間が大勢いるならそれは真実という体で話が進む。科学的とかそういう次元ではなく、それ以前。

 科学的な話をしようとしたら今はじゃあどういう状態なのか説明してもらいたい所だ。それと、ここに来て新たな課題が生まれてしまった。



 家庭教師が欲しい。



 学校の現状を見れば分かる通り、まともに授業が継続出来なくなった。クラスが、というか本校舎は女子が殆どを支配。職員室は例外中の例外としても殆どの男性教師は窓際に追いやられ、女性教師が幅を利かせている。別棟に押し込まれた男子諸君は文字通り窮屈な思いをしている一方で普通の授業を受けられている。俺とは大違いだ。ハーレムと引き換えならばそれが妥当なのか? そんな金勘定みたいに単純な構造なら俺は喜んで変わってやろう。蔑まれる側になってやろう。そしてハーレムが羨ましいなら十分楽しんでくれ。二度と代わってやらない。俺の苦しみを味わえと。

 脳内で散々他の男子にハーレムの苦しさを布教した所で、本筋に戻る。幾ら女子に囲まれても普通に授業さえ受けられるならまだどうにかなったかもしれない。だがこの淫売テロリスト共はあろう事か俺から学習の機会を奪ってきやがった。勉強は好きじゃないがそれは違うだろう。

 ヤミウラナイで世界全体が歪んで俺の人生の成功が確約されるとかならまだ分かるが、知尋先生から分かるように飽くまで一過性というか、解呪されるまでは将来を閉ざされ、解呪されたら将来の足しにならないのがこのお呪いだ。控えめに言ってもとんでもない粗大ごみ、しかも引き取り不可能。

 だから家庭教師が欲しい。この際性別は拘らない。錫花にしろ先生にしろ何かしら理由があるっぽいならヤミウラナイの影響は受けないし。唯一問題があるとしたら俺の家に通わせたら間違いなく女子に目の敵にされるという事か。詰んだかもしれない。

「隼人君を逃がした人はだーれだ!」

「庇う意味なんかないよー。誰なのか全員で探しましょー!」

 一年生から三年生まで巻き込んで、漏れなくただ一人を探す為だけに全員が盛り上がってる。最初の流れを見るに犯人は名乗り出なかった。名乗り出たら殺されるのは目に見えているが、殺したのに生き返ったという流れで更に女子達を味方につける事は可能だ。隼人の裏の顔なんて存在しない側面を信じ込んで盛り上がる様な女子は、死者蘇生なんてオカルト話も簡単に呑み込めるのではないか。


 ―――夜枝の言う通りって線もあるな。


 自分の生存という事になると俺への愛をかなぐり捨ててそれを優先する。人として当然の行動だが、ヤミウラナイの最中は話が違う。ここでの自供と反論は流れを掌握出来る可能性を孕む反面、問答無用で殺害されるリスクもある。夜枝の放火の件から考慮する場合、犯人はどんな事があっても名乗り出まい。

 HRの鐘が鳴ろうと休み時間の鐘が鳴ろうと女子の暴走は止まらない。別棟から男子を拉致して尋問する女子も居た。犯人は女子の中に居るという前提はすり替わったようだ。そういう事をやる女子の多くは三年生なので、恐らく後輩の言う事は大して聞いていない。

「はいはい。話はこっちで聞くから来てね」

「いや俺は何もして……あ! 痛い! やめ、やめてくださ!」

「硝次君以外の男子は喋らないで。不愉快だから」

「ひっ…………!」

 助けを求める一年男子の目線に、俺はもう何も感じない。感じられない。助けようにも助けられないから。努力するだけ無駄だから。『無害』はいつから『薄情』になったのだろう。自分一人じゃどうしようもない力を前に立ち向かう気力も起きない。男子には一ミリの非もないが、そこに俺が介入して何かが起きる訳でもない。担ぎ上げられているだけで俺に彼女らの主導権はないのだ。

 だから見ている事しか許されない。やめろと言ってやめてくれるなら、隼人が死ぬ事もなかった筈だ。


 ―――変わったかな、俺。


そんな実感はない。元々こんな男だった気もしている。この後彼は爪を剥がされながら無意味な尋問を繰り返されるだろう。痛みに苦しむ声など聴きたくなくて、俺はこっそりとその場を離れて別棟のトイレに立てこもった。本校舎のトイレは男女の区別もなく今は女子に占領されている。俺が居ないと分かれば様子を見に来る女子が現れるだろうから、それは避けたかった。排泄している姿は見られたくない。特に女子には。

「俺も……こっち側が良かったよ」

 虐められる側……羨む側なら幾らでも耐えられた。男子は大勢いるし、苦難を耐える為に力を合わせてどうにかこうにか。俺にはそっちの方が性に合っている。上に立つのは堪えられない。そんなつもりは一切ないどころか俺も女子に迷惑を受けているのに、客観的には俺だけがあり得ない特別扱いを受けてる。何も出来ていないだけなのに、女子は俺の為という名目で暴れているから俺が悪い。悪いのか?

 このハーレムに気持ち悪さを感じている理由が少しハッキリした。この中では新宮硝次という存在が曖昧になっている。それが嫌なんだ。女子は女子で俺の事を見ていないし、男子にも俺が味方とは思えない。俺は確かにここに居るのに、誰も俺じゃない新宮硝次を好きだったり憎んでいるから、その感情さえどう受け止めていいか分からないんだ。



 バシャアッ!



 思考の途切れ目に冷水を文字通り頭から掛けられた。一瞬の出来事に思考が硬直し、エラーを生んでいる。遅れてトイレの上部を見上げると、見知らぬ男子がバケツを俺に向かって投げつけて来た。

「な、何だ!」

「俺等に何の恨みがあるんだよ!」

「は、はあ!? 何の話だよ!」

「いいからここ開けろ! 開けなきゃずっと水かけてやる!」

 バケツはこっちが持っているがこのポリバケツはそこまで貴重な物じゃない。他のトイレから借りれば幾らでも攻撃手段は用意できる。風邪を引くとあらゆる意味で最悪な目に遭いそうだし、それなら大人しく開けた方がいいか。

 鍵を開けて外に出ようとした瞬間、俺の眼に入ったのは男子生徒よりも前に……振り下ろされた金鎚。


「え、ちょ」

































『おはようございます、センパイ』

 ベッドの中から目を開けると、エプロン姿の夜枝が顔を覗き込みながらニコニコ笑っていた。その笑顔は普段の彼女と変わらない様で、見た目自体に大きな違いがある。お腹が不自然に大きく膨らんでいた。

『――――――』

『え、そのお腹はどうしたのって? やだなーセンパイ、無責任ですよ。女の子が怖いからってセンパイの性奴隷おトイレになってたら赤ちゃん出来ちゃったんです。別に、気にしてませんよ♡ ちゃんと産みますからね』

『――――――』

『え、そんな覚えはないって? これはこれは、ますますクズの典型だ。しょうがない、父親の自覚が芽生えるまで孕んであげます。え、生活? センパイは気にしなくてもいいですよ。私が身体売って稼ぐので。やめてほしい? 俺以外に身体を売るな? うーん……』


「何書いてるの? 夜枝ちゃん」

 

 教室の隅っこで大人しくしていたら股がずぶ濡れ絶賛永久発情中のビッチが声を掛けてきた。私なんか放っておいてくれていいのに、隠れるのはかえって目立つのか。

「硝次センパイとのシナリオをね♡ だって私もセンパイ大好きだしッ! あれ、もしかして書いてないの、人生計画。だったら貴方には負けないね、対戦ありがとうございました!」

「な、何でよ! まだ分かんないし! 私の方が絶対硝次先輩好きだから!」

 好きでも、相手を理解してるとは限らない。

 愛していても、相手も愛してるとは限らない。

 嫌いでも、相手を理解してないとは限らない。

 今のあの人は、女性に食傷気味な様で隙だらけ。その隙間を埋める身にもなって欲しい。

「だ、大体あれだから! 先輩って巨乳好きなんでしょ!? 私の方が夜枝ちゃんよりあるし!」

「んーそだね」

「何その適当な感じ! 腹立つ~!」

 その理屈でも私が負ける事はないかな、と思った。センパイの弱い所はそれなりに把握してるつもり。たとえ個人で私が負けていても、結局私にしか出来ない。



 満たしても渇いても、飢えてしまう物ってなーんだ。

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