錫色鏡の彼岸噺

 誰がやったかなんて分からないが、そいつは決定的な間違いを犯した。隼人が死んだ事で、俺に引き返すような選択肢、日和る意味さえなくなったという事だ。もう手段なんて選ばない。どんな方法、どんな事があっても俺はそいつを追いつめてやる。幸い、女子は俺の言う事を聞くから、地獄を味わわせてやろうじゃないか。俺がどんなに窮屈な思いをしているか、隼人にどれだけ救われていたか。自分がどんな間違いを犯したか。


『よく私の電話番号が分かりましたね』

『隼人の家に残してあった。お前が置いてきたんだろ?』

『そうですけど。まさか貴方からかかってくるなんて。これでも巻き込まれない為に、女性不信になりつつある貴方に配慮したつもりなんですけど』

『その隼人が死んだんだよ。錫花。犯人がお前じゃないなら力を貸してくれ』

『…………ずるい言い回しですね。協力する道理はないのに、断ったら犯人扱いですか………………いいですよ。以前の家にお邪魔すればいいんですね』

『頼む』


 隼人の家の電話回線が生きているのも驚きだったが、錫花と連絡が取れた事で、まずは一安心。頭の上に優しい感触が乗って、髪から首筋へと流れていく。

「膝枕っていうの分からないけど……こんな感じかな」

 知尋先生を巻き込むのは気が引けたものの、この人は俺の殺意を聞いてしまったし、むしろ巻き込まないと危ない立ち位置でさえある。自分の命なんてどうでもいいとこの人は言うが、隼人を失った後の俺はとてもとてもそれさえ許容出来ない。

 膝枕は…………俺からの要望だ。涙が止まらなかったから、落ち着きたかった。

「………………」

 目を瞑れば、親友の声が聞こえる様な気がする。それは幻だ。しかし現実であってほしい錯覚だ。俺にはアイツしか居なかったのに。こんな形で全部消えるなんて夢にも思わなかった。

 

『お兄ちゃん、友達家に呼んでいい?』


 妹からのお気楽な連絡に適当な返事を入れておく。今の俺には関係のない事だ。『今日は友達の家に泊まるから』とでも言っておけばそれで済む話。たまにはいいだろう。今日は死んだ日なのだから。




「膝枕された状態で迎えられたのは初めてかもしれません」




 連絡から五分。

 錫花がやってきて、流れるように和室の中で正座をした。

「そちらは?」

「うちの保険先生。あんまり気にしないでくれ」

「湖岸知尋だ。君は……」

「水鏡錫花です。一応、彼の命の恩人という立ち位置ですね」

「―――だと思った。水鏡、懐かしい響きだよ」

 ほんの少しの微睡みを頭から切り離して上体を起こす。聞き捨てならない情報だ。

「錫花を知ってるんですか?」

「彼女が、というより水鏡をね。昔の同級生にも居たんだ。すっごいイケメンだったけど近寄りがたい雰囲気があってね。当時はヤミウラナイ込みで奥手な方だった私の味方をしてくれてた人だよ」

「好きにならなかったんですか?」

「それはヤミウラナイにやられてる女の子に聞いた方が早いよ。他の男子に優しくされたくらいでコロっと好みを変えるなら、こんな事にはなっていない筈だ」

 

 ―――水鏡って、そんなポンポンいる苗字でもないと思うんだけどな。


 山田とか田中とか、そんな普遍的な苗字とは思わない。これは奇妙な偶然か。それとも何か関係があるのか。錫花は自分の家の事だろうに、全く興味を示していない。動揺していないとも言うので、仮に水鏡が関係あっても彼女が知っている可能性はなさそうだ。

「錫花が可愛いってのは一部しか見えてなくても何となく分かるんですけど。だと思ったって。水鏡の人には何か特徴があったりするんですか?」

「瞳がなんか、綺麗なんだよね。波紋一つない、静かな水面みたいに透き通ってる」

「そんな話はいいじゃないですか。それよりも、話を先に進めましょう。央瀬さんが死んだんですね」

「………………ああ。犯人は分かってない」




「そしてヤミウラナイも、終わってないね」




 ―――ああ、そういえば。

 隼人が死んでも何も変わっていない。最初のきっかけは女子が隼人に対して何かおまじないを仕掛けていた所。アイツが死んだならヤミウラナイは終わる……かは分からなかったが、先生が何気なく言った一言で。十中八九掛かっている人が死ねばヤミウラナイは収まる。

 気を失っていた先生からすると自分以外が全員死んで終わったからそういう認識なのかもしれないが。

「ヤミウラナイ?」

「お前も言ってただろ。お呪いって。それの正体みたいな……何か知ってたりするのか? ていうか見破れたなら知ってる筈だ」

「別に知ってる訳ではないんですけど……あんまりちゃんとした物じゃなさそうですね。手順を教えてください」

「先生。お願いします」

「……二十年前と今じゃ手順が違うかもしれないけど。ちょっと待ってて。紙とペンを用意してくる」

 先生が立ち上がって部屋の中を動き回る。遠目から俺も協力していると、ツンツンと肩を突かれ、錫花の方を向いた。


 ―――本当に綺麗な目だな。


 こんなにハッキリ自分の姿が映る目も、中々見ない。

「手順はともかく、性質は貴方の惨状を見れば分かります。そこで一つ聞きたいんですが、貴方の性的嗜好について」

「……それを聞いて、何の意味がある? まさかお前も俺の事を―――」

「好きじゃないです。まだそんな段階でもないでしょう。そうではなくて、今後女子に靡かないで動き続けるのは難しいんじゃないかって話です。理性がどうであっても身体は正直ですからね。口でイヤイヤ言っても身体は反応してしまいます。心の底では喜んでるとかではなくて、人間の身体がそうなっているから仕方ない事です。ただ、逆は通用しません。理性が受け入れているなら肉体はそれに引きずられます」

「分かりにくい。分かりやすく」

「好きな子のタイプが一般的だと、その内多くの女子の手で篭絡させられるのではという心配をしています」

 錫花の心配は先を見通し過ぎていると思ってしまう。どうしても今は自分を客観視出来ない。あらゆる原動力が衝動の一言で片がつく現状、取り敢えず今は何があっても靡かないと言えるが現実はどうだ。あり得ない? どういう証拠があって言っている?

「…………そうは言ってもな。俺は普通に生きてきたんだぞ。今から特殊な趣味を見つけろなんて難しすぎる。それこそ口で適当言ってるだけになりかねない」

「現実味がない提案はしません。そこで私が提案したいのは、私の身体を好きになればいいんじゃないかって事です」




 ―――は?




「んー見つかったよ。じゃあ説明を―――っと」

「身長はちょっとどうしようもないですけどね。中学生でこんなに成熟したスタイルを持ってる子、居ないと思いますよ。特殊な趣味って、何も道を外れる必要はないんです。ただ多くの女子が範囲に入れない様な趣味なら十分です」

「自分で言うのか」

「事実を謙虚に言っても嫌味ですよ。事実は事実です。丁度、まだ顔はあんまり見せてませんし、良い機会だと思うんですよね。身体だけでも好きになれば―――貴方の理性が私だけを受け入れるようになれば、どんなハニートラップも跳ね除けられると思いませんか?」

 夜枝と違って、錫花の提案には悪意が無い。そして恥じらいもない。ただ自分の出来る事を用意してきただけだ。言うなれば女体ワクチン。女性に対する抵抗力として自分を利用していいと言っている。

「…………先生として、中学生との不純異性交遊は見過ごせないと言いたいけれど。君に死なれる方が困る。どうしたもんかな」

「いや、受ける前提なんですか!? 俺はまだイエスと言った訳じゃ―――!」

「あ、避妊はしてくださいね。もししなかったら何処に逃げても捕まえて責任を取らせます。勿論、責任を取ってくれるならそれなりにこちらも対応します。好きな時に食べて寝て、夫婦の務めを果たして、外に出たくなったら学校行くなり仕事行くなりしてもらって……それくらいしか出来ませんけど。無理強いはしません。でも考えておいてください。大体の呪いって長期化するにつれて悪化しますから。自分の力だけじゃ無理だって分かったら。遠慮なく」

 錫花はやっぱり悪意もなく言い切って、仮面から漏れた瞳を知尋先生に向けた。




「説明、お願いします」

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