不等号の廃卵期

朽ち果てた世界にビッチは嗤う

 撮影場所の公園には、変わり果てた姿の隼人が縛り付けられたまま放置されていた。ただ顔を殴られているだけならばまだ生存の目もあったかもしれないが、打撲痕は全身にあり、身体のあらゆる箇所が骨折していた。


 素人目にも、この状態で放置されたら死亡するくらい分かる。


「………………遅かったか」

 時を同じくして公園にやってきた知尋先生と共に気まずい時間を過ごした。呑気にデートしていた俺と違って先生は白衣がずぶぬれになっている。どうも映画のせいでタイムラグがあっただけで、動画自体は学校中に拡散されたようだ。

「……………………」

「……………………」

 どうして隼人の亡骸は、こんなにも穏やかな表情で死んでいるのだろう。微笑みさえ浮かんでいるのは筋肉の弛緩? 

 足から力が抜けて、動けなくなった。脳がまだ理解していない。それを認められな。大好きだった親友が、頼りになっていた男が、俺の憧れだった奴が。無残にも、無情にも殺害された事実が。もう二度と話せないし動く事もない。隼人は。隼人が。隼人。

「う……あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 ヤミウラナイは殺す人間を選ばない。傀儡として動いているのは人間であり、人が人を殺すのは呪いでも占いでも何でもなく、世の不条理、またはいつもの事だ。殺人は正しい行為ではないが、しかし毎日のように何処かでそれは起きる。だから理性が否定したくても、現実が『殺人』を日常だと証明している。生きてから死ぬまで殺人をした事がない人間は大勢いるが、殺人が起きない国など存在しないだろう。

 だから呑み込めるなら呑み込んでしまいたい。特に俺の周りは平気で人が死んでも許容されるようになっている。たまたま親友が死んだだけで。俺は。俺は。

「…………取り敢えず、何処に埋葬するか考えないとね」

 半狂乱になって取り乱す俺を抱きしめて、知尋先生が空しそうに呟いた。

「死者の尊厳なんて物はない。このまま放置すればこれ以上の辱めを受けるだろう。むしろ死体が損壊していない方が奇跡に近い。今の内に……守らないと。それが私達に出来る事じゃないかな」

「俺の………………俺の、せい…………俺が…………任せて…………」

「悔やむ気持ちは……察するよ。元々加害者だった私にはそれ以上何も言えない。だが君が死なない保証はなかっただろう。死ななくても、自由に身動きが取れない状況に陥っていたかも」

「かもじゃん! かもなら動かなきゃ! 俺が動いてたら死ぬ事なんてええええええ!」



「死ななかったね」



 ぽっかりと空いた知尋先生の心に、俺の慟哭は反響するだけ。衝動的な怒りと悲しみと殺意に触発も反発もなく、ただ吸い込まれていく。心の洞に底はない。満たせど枯れる暗闇があるだけ。

「希望的観測は肯定して、悲観は否定する。やめた方がいいな。そういうのは自分の心を傷つけるだけだ。自分を責める必要なんてない。生き残る為なら自分勝手でいいんだぞ、新宮硝次君。最善の選択なんて物は都合よく存在しない。君が死ねば彼は悲しんだだろう。社会が理性的に密接な関係を求める限り、負の平等性は何処までも続く。君は生きてて良かったんだ。その選択は正しかったんだ。それとも彼を―――悲しませたかったかい?」

「違う…………違う…………おれ、俺……ちが……! 何やって…………………」




「ゔぁ、あああ……うわあああああ…………………!」


















 

 先生は直ぐに車を用意してくれた。

 死体をトランクに入れると、時間との勝負だと言って出発。何処に埋葬するかもまだ決まっていないが、絶対に女子に見つからない場所なら何処でも良かった。現実の法に当てはめるなら死体遺棄の罪に問われるのだろうか。気にする必要があるか? 俺の事を好きな女子であればあらゆる罪が見逃されるなんて、法治というより放置だ。そんな国家に取り締まられても正当性なんて感じない。罪人になろうが警察を敵に回そうが俺はこれ以上隼人をどうにかしてほしくない。

 そんなこんなで到着したのは、山の中だ。途中の道に車を駐車して、獣道を進んだ。隼人の死体は一人で持つには重かったので二人で協力して何とか運んでいく。片道にかなりの時間が掛かったおかげか、俺も少し落ち着いた。

「先生、好きな人の死体も埋めたんですか?」

「言っただろ。気を失ってる間に全部終わってたんだ。何もかも綺麗サッパリ無くなった。誰かが死体を持って行ったのか、単に遺族に引き取られたのか。今となってはどうでもいい事だ。文字通り身を焦がす様な思いはごめんだよ。一時の気の迷いと呼ぶには過激だったけど、そうとしか思えないくらいどうでも良くなってしまった」

「…………先生は、いつから隼人を探してましたか?」

「昼過ぎてからくらいかな。あの動画を見かけたから、助けようと思った。ほら、声でね。私はおばさんだけど生物学的には女性だから、監視や警戒の目も上手く潜り抜けられるだろうと思って……あんまりガソリン無くて、一旦補給しに行ったのも良くなかったかな。彼を助けられるなら、別に死んでも良かったんだけど」

「何で…………そんなに?」

旦那様きみが悲しむと分かり切っていたからな」

 この獣道の先に何か特別なスポットがある訳ではない。ほんの少し広いだけの平地を見繕うと、俺達はそこで隼人を下ろした。

「微妙に降ってる今がチャンスだ。地面が固くなる前に掘らないと苦労してしまう。さっさとやろう。はいスコップ。学校の備品だけど」

「…………」

 死体の腐敗が進んでいないのは放置されてから死ぬまでにまだそこまで時間がかかっていなかったからだろうか。いずれにしても掘り尽くすまで隼人の死体は布に包んである。死後硬直がどうという話は良く分からない。死体に触ったのは最初から最後まで先生だから。

「落ち着いてから話そうと思っていたけど、少し妙な点があるんだ」

「妙って?」

「君と親しいその一点で女子は彼を憎んでいた。なのに何故放置なんてしたのかという事だ。躊躇なくバラすのは私も知ってる。何故同じ事をしなかったのかが分からない。敢えて全体を残して君に嫌がらせをする性質でもないだろ。君の事は好きなんだから。いや、むしろバラバラにして各自で処理する方が効率的でさえある。身体の一部分をそれぞれ保存して、翌日男子の踏み絵にするとかね。出来なかった男子は殺すみたいなさ」

「………………やったんですか? 昔」

「―――――」

 先生は何も言わない。

「確かに妙ですね。というか説明がつかない様な……先生はどう考えてるんですか?」

「誰か……いや、この場合は女子にいう事を聞かせられるという点で女子の誰かだな。その誰かが全員を追い払った上で勝手にやったとみられる。女子同士は恋敵だが、憎き相手を目標とするなら共闘するしかない。彼に対してなら女子同士でも話は通じる」

「そいつは一体何の為に?」

「そこまでは分からない」

 無心で穴を掘り続けて、何とか人が一人入れる程度の大きさが出来た。布に包まれたままの隼人を持ち上げて、二人で穴の中に下ろす。

「人はどう生きるかじゃない。どう死ぬかだ。少なくとも本当の自分ってのが知りたかったらそれでハッキリする……本当の彼は、いや。彼は心の底から君の身を案じて、君を守る為に死んでしまった。これが最期の別れになる。何か一言くらいは、かけても罰は当たらないぞ」

 言いたい事。

 そんな言葉は無限にあるけれど。今しか言えない言葉なら。それは感謝とか尊敬とか、普段は恥ずかしくて言えない様な、恥ずかしいと思う事自体が情けない様な。


「―――さよならは言わない。またいつか会おうな。今度…………今度も、親友として」


 埋葬は速やかに終わり、土の上には備品スコップを半分以上埋めただけの粗末な墓が出来上がった。

「さっきの話だけど、バラさなかった方が君に対するダメージがあるという考えなら、その女子は君に対して敵意か悪意を持っている可能性が高い。結果的に危害を加えてしまうのと最初からそのつもりじゃ大違いさ。もしもヤミウラナイが世界中に広がっていたらとてもとても手の付けようがないが、幸いまだ校内に留まっている。頑張れば絞り込める気もするね」

 車内に戻ると、俺はこの事を伝えないといけない人に電話した。


 もう一人の親友だ。


『もしもしー。硝次君?』

『………………隼人が死んだ』

『…………………………………そっか。ぐすっ。うん。大丈夫。続げて」

『俺は今まで優しく生きてきたつもりだ。まともに生きてきたつもりだ。それが全部壊されて、挙句隼人まで取られた。もう生きてる意味がないってくらい」

『ねえ待って! 変な事考えるのはやめ』




『犯人を殺したい。お願いだ揺葉。俺と一緒に――――――地獄に落ちてくれ』




『今は地獄じゃないの?』

『え?』

『硝次君の現状は地獄と同じでしょ。だったら私のやるべき事は変わんないよ。協力する。私だって許せない。殺してやる』

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