青い世界の彼方でeyeを求める

 水族館に安息を求めるのは間違っているだろうか。水の流れる音が心をリラックスさせる環境音として採用されるくらいだから、水自体にそういう効果があるかもという考え方は間違った認識ではない。見るだけでも自然の青は目に悪くないというか、心が清らかになる錯覚を受ける。

「たまに動かない生物見かけると死んでるんじゃないかって思いません?」

「見栄えはしないよな。だから人だかりに邪魔もされない」

「そうですね。だから独占しましょう」 

 水族館の楽しみ方というのは、正直良く分からない。何となく水槽を見て、何となく穏やかな気持ちになれればそれで良いのではないだろうか。たまに硝子の下にある解説文は、読んでいる間は自分が賢くなった気がするが、ここを出る頃には忘れているだろう。俺の記憶力は当てにならない。

「不思議ですよね。娯楽って言うと遊園地とかそういうのが思い浮かんで、水族館なんて行く前は何が楽しいか分かりませんけど。行ったらそれなりに楽しめるんですから」

「ベクトルが違うだろ。お、こいつ動くぞ。殻の中」

「そう言えば、水族館の魚は客が居ないとストレスを受けるみたいな話を聞いた事があります。この子も私達を見て安らいでいるんでしょうか」

「どうだかな……まず目があるかどうかも分からん」

「解説がある時と無い時がありますよね。この子の概要は書かれてるけど部位毎の詳しい説明はないみたいです」

「そりゃお前、こいつ専門の水族館じゃないし」

 夜枝の言いたい事は分かる。水族館の面白さなんてパッとは思い浮かばない。海洋生物が好きとか、そういう嗜好がある人間なら勿論楽しめるだろう。だが好きでも嫌いでもない人間にとって、ここに来る事の楽しさはいまいち想像し辛い。子供の頃は何でも楽しかったが、成長すると捻くれてしまうのか、魚が動いてるだけでは楽しいと想像しづらい訳だ。

 来てみると、楽しい。言語化しにくい楽しさだが、一緒に居る夜枝と共有出来ているなら十分ではないか。

「そういえばここってイルカショーとかアザラシショーってありましたっけ」

「今日は雨だからやってないと思うぞ」

「それは残念。そろそろ次の水槽でも見て回りますか」

 

 ―――今は割増しで最高だよ。


 女子に絡まれない。殺人が起きない。これだけで心が落ち着いて、日常が戻ってきたかの様だ。後輩も今は俺の望む健全に付き合ってくれているので言う事なし、ただ可愛いだけの子とデートしてたらそりゃ楽しいか。

 いつかは覚める夢だと知っているが、それでも暫く楽しもう。どうせ限りがあるなら、限界まで。

「こういう水族館に言い伝えとかってないものですかね?」

「例えばどんな?」

「例えば……あのマンタみたいなエイみたいな魚の表側にハートマークがあるとするじゃないですか。それを見たカップルは結ばれるみたいな」

「あー。いや。あったらロマンチックだとは思うけどさ……個人的には普通の魚で居てくれて良かったよ」

「センパイって、ロマンチストな方だと思ってました」

「言いたい事は分かるし、そういうのは嫌いじゃないんだけど……な。状況が状況だからさ」

 うちの学校の良い所を上げるとしたらそういう噂の場所みたいなスポットが存在しない事だ。もし存在していたらと思うと背筋に氷が寄生して、寒気が止まらなくなる。今の女子の勢いだと、そんな場所があったら即座に連れてかれて埋められる勢いだ。

 この水族館にそんな噂があった日には……想像に難くない。何をしてもおとがめなしなのだから水族館事態にダメージを与える様な暴動も起こすだろう。それは困る。俺に責任が及ぶ事が無かったとしても、道徳的に、社会的に。主観的に嫌だ。

 何となく恐ろしくなって携帯を見たが、特に誰からも連絡は来ていない。それどころではないという事だろうか。隼人は上手くやっている……やっている筈だ。俺を探しに来ていない。この夢が覚めるなら、周りは滅茶苦茶になっていないといけない。

「……ん」

 時計が目に入って、不安が振り払われる。もう少し、か。

「夜枝。もうちょい回ったら昼食にしないか? この水族館、飲食店が入ってるみたいだ」

「またハンバーガーはちょっと」

「ファストフードはねえ。俺もやだよ二食ともファストフード。普通のレストランだ。勿論周りはこれまでと変わらない。アクアリウムって言うのかな……水族館としての景観を損なわない感じで入ってるみたいだから、安心してくれ。今日一日サボりに付き合ってくれてるお礼に、奢るからさ」

「そこまで言うなら、お言葉に甘えます。素直だったりひねくれてたり、優しかったり優しくなかったり、センパイは色んな表情を見せてくれますね―――嫌いじゃないですよ」

 















 

「へえ、結構しっかりしてるんですね。お高い店みたいです」

 二時間ほどのんびりと歩き回ってから、約束通り俺達はレストランを訪れた。

「朝食の行き当たりばったり感はやばかったからこれで水に流してくれ。水族館だけに」

「帰ります」

「ごめんって!」

 本当に席を立とうとした後輩を引き止めて、無理やりメニュー表を持たせる。ダジャレは下らないから良いのではないかと茶化す暇もなかった。センスもないのにふざけるのは控えよう。

「雰囲気も落ち着くし、広いから解放感もあるし、良いお店じゃないですか。気になる子がいたら誘ったらどうですか」

「お前この状況で言うのかよ……多分、あり得ないよ。この異常なモテ期が終わったら俺は『無害』に逆戻りだ。それが一番スッキリするから名残惜しくはないけどな。来たとしても隼人と一緒に……」

 知尋先生は……どうしようか。

 一応、婚姻届けにサインをしてあるから、関係性としては特別な間柄という事になる。誘えば来てくれると思うが……今まで女子と『縁』が無かったからだろうか。デートするにしても、使い回すみたいでいい気はしない。

「なーんだ。じゃあ私だけが特別なんだ。結構な確率でセンパイ、こんな清楚可愛い私を邪険にしてるのに、変なの」

「清楚は自分を清楚って言わないと思うけど、お前が狙ってるのはよーくわかったからもう突っ込まないぞ」

 とりとめのない会話を交えつつ、俺達はメニューを相談して決めていく。彼女はシーザーサラダみたいな軽いものから伊勢海老のカレーみたいな重い物まで幅広く興味を示していた。一方の俺は、ステーキが上に乗ったピラフに興味津々だ。朝にファストフードなんて食べたせいでバランスを気にする感覚が壊れた。好きな物を頼もうという欲求しか湧いてこない。

「……センパイ。平穏な生と華やかな死。貴方はどちらを選びますか?」

「デート中に聞く話題じゃなさそうだ。その二択さ、後者を選ぶ奴が居るのかよ。ここは法治国家だぞ。大体の奴は平穏な生だろ―――ああ。分かった。そうか、お前は華やかな死を選びそうだな。文脈からしてそんな感じがする」

「ふふふっ」

「……違うのか?」

「何も言ってませんが? それで、センパイはどちらを選びますか? 気にしないで下さい。答えが気に喰わなかったらセンパイを破滅させるとか、そういう事はしないので」

 ニコニコ笑って、「私を信じてください」と夜枝は言う。演技なのか素なのか、それとも何となく笑っているのか。どうせ誰も聞いてないだろうと思い、俺は少しだけ真面目に、答えてやる事にした。




「―――正直平穏なんて戻ってくる気配はしてないんだ。だからせめて、誰にも忘れられない様な死に方はしたいよな」

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