呆れるくらいに飽いた日々
「センパイの奢りなら、悩む必要ありませんでした。一応水泳部ですから栄養のバランスくらいは考えようかなとも思いましたけど、別にその分動けばいいだけですね。そうじゃなくても後で調整すればいいだけです」
「いい加減な奴だな」
「今、この瞬間さえ良ければどうでもいいんですよ。宵越しの金は持たない主義なんです……あ、比喩ですよ?」
「分かってるよ」
俺が健全なデートを望まなければ、きっと何か続いていただろう。言いかけた口が物語っている。『お金が足りなくなれば身体で稼げばいいんです』とか、その辺りか。
伊勢海老のカレーは見た目にも気を遣っており、高級料理の風格を漂わせている。運ばれてきた時の後輩の眼の輝き方と言ったら、嘘か本当か分からない。ただ望んで頼んだのだから料理は期待に応えたと言えるだろう。意外にも礼儀正しく、夜枝は「いただきます」と合唱してからスプーンを握った。
「…………無理だと分かった上で聞くんだけど、どうせ俺の家に来るならずっと健全で居て欲しいな」
「お断りします。こういうのはたまにやるから良いんです。いつもそうだったらマンネリ化してしまうじゃないですか。今度デートする様な事があれば、その時はまたいつも通りで」
「…………デート、来る予定なのか?」
「誘ってくれるなら喜んでいきますよ。センパイを好きなのに断るなんておかしいです。それ以外の予定を優先する暇があるなら、それは恋に盲目とは言えないんじゃ?」
「お前は別に、俺の事好きじゃないだろ」
「好きでもない人とデートする様な尻軽に見えるんですか? それは心外ですね」
不愉快そうな様子も見せず、後輩はカレーに口をつける。俺もピラフを食べてしまおう。肉厚なステーキとて冷めれば流石に美味しくない。
「ん~。人のお金で食べる料理は最高に美味しいですね」
「一言多いんだよお前は」
「事実です。一口どうですか?」
あっさりとした流れのまま夜枝がスプーンを俺に向けてきたが、これはとんでもない事だ。年下の女子が、好きでもない人に、恐らく間接キスについて把握した上で食器を差し出している。
気の狂った女子と離れていたせいもあるが、何よりカレーの濃厚な匂いが鼻をくすぐり、否応なしに食欲をそそる。
食欲には、抗えなかった。
「……はい、素直でよろしいっ」
揶揄うように、或いは飼い犬が初めていう事を聞いたとばかりに夜枝は目を細めて微笑んだ。多分俺も一口上げないといけない気がするので差し出すと、米粒一つ余らせない食べ方から一転して、ステーキには景気よくかぶりついた。
「……ん~。お肉がジューシー。厚くて柔らかいです」
「これで貸し借りなしだぞ」
「太ったらセンパイのせいですね。幸せ太りかもしれません」
「幸せなのか?」
「―――楽しいですよ」
決して、幸福の文字は言わない。彼女なりの拘りという奴だろうが、拘りが多すぎる。これは悪辣な性格抜きに恋愛なんて出来ないだろう。直情的に見えてコイツは感情を隠している。本心を誤魔化している。ただ色仕掛けで相手を翻弄したいのではなく、何か大きな流れが生まれて欲しいと思っている。
楽しいという言葉も、どういう意味なのやら。
「そう言えばセンパイの好きなタイプの女の子って、どんな子ですか?」
「そんな事考える余裕はない。終わり」
「つれないですね。でも身体は嘘を吐きません。いやらしい意味じゃなくて、心理的な意味ですよ。今日ここに来るまで、貴方の視線はばっちり受け止めてたんですから」
―――――え?
心当たりがなくて、動揺してしまう。自覚があればいいだろう。それなら俺も隠しようがあるし、答えようもある。思い返してみれば出てくるのは夜枝の笑顔や笑い声ばかりだ。いや、水族館の事も勿論記憶に残っているが、直前の質問のせいでどうにも思い出す優先順位が変わってくる。
無意識に俺は何を見ていたのだろう。答えは誰にも分からないか、視線に気づいていた夜枝くらいだ。そうでないと無意識とは呼ばれない。自分が一々何を見ていたかなんて細かく意識している人間は希少過ぎて奇怪だ。
モテモテな自覚があった隼人でさえ、その無意識に例外はない。アイツは女子が髪を少し切った事にも気づける神の眼の持ち主だが、それでも朝起きてから寝るまで何処に視線をやっていたか書きだせなどと言われたら、早々に根を上げるだろう。
「ふふふ、戸惑ってますね。やましい事でもあったんですか?」
「…………あったら、良かったよな」
騙された。
まさか健全を貫いたのは、この為だったとは。人様を振り回す為ならば良い子ちゃんも辞さないなんて小悪魔などと可愛らしく言い表すものではない。悪魔だ悪魔、許されざる存在。可愛げなどという情状酌量の余地を許すな。
「食べ終わったら、まだここを回りますか?」
「いや、そろそろ出ようか。お前がまだ見て回りたいなら別だけど」
「センパイのプランに従いますよ。上下関係は絶対ですからね」
いやらしい意味はない。
そういう建前があれば何でも許される訳ではないと思う。
「映画、ですか」
時刻は三時を回って、今度こそ俺が連れて行きたかった場所へと向かった。
「映画なら上映中は暗いし、女子にも気づかれない筈だ」
「いいですよ。そう言えば映画なんて久しぶりに見ますね。何を見るんですか?」
夜枝の感情はいまいち読みにくいものの、俺の決断は楽しみにしているようだ。ここまで来てまだ隼人から連絡が来ないという事は、取り敢えず女子は俺達の思う通りに動いてくれているという事でいいのだろうか。連絡したい気持ちをぐっと堪えてモールの中の映画館へ。
「…………ラブロマンスとかどうだ?」
「ロマンチックですね。お好きにどうぞ?」
そうと決まればチケットを買おうか。幸か不幸か入場開始までそれ程待つ必要はない。何故天運に任せたような言い方かというと、映画観には行きたかったがデート自体が突発的に決まったので上映のタイムラインを一切把握していなかった。
「映画見たら、解散だな。本当に一日中学校をサボって、罪悪感がある」
「でも学校に戻れば地獄が待っているでしょう。それよりも私と遊んでた方が良いに決まってます。ですよね」
「その通りだ」
厄介な趣味嗜好と言われても仕方ないが、俺は自分を好きな女子には靡けない。昔からそうだった訳じゃなくて、この状況がそうさせた。何にせよ交流するだけのメリットがあれば考えるが、女子は俺を口実に好き放題してばかり。俺の事を思って行動してくれているのは事態の混迷を望む夜枝と、夫婦状態の知尋先生、それと迷惑がってる錫花だけだ。
仮に俺がもっと浅はかな……面食いだとしよう。顔が良ければ何でもいいと。それでもやっぱり、クラスメイトは駄目だ。後輩の夜枝だけでは飽き足らず、中学生の錫花にさえ及ばない。知尋先生は……どうだろう。面食いの気持ちは分からない。若々しさが虚無に置き換えられてもいいなら、先生も十分美人の類だ。
だからどんな理由にしても、絡むメリットがない。打算的かもしれないが、好きになれないなら打算くらい挟むだろう。
「映画って、こういう機会でもないと観ないんだよな、俺」
「最近見た映画とかありますか?」
「最近……っていう映画でもないけど。脱走した死刑囚の恋人と生活する映画なら見た」
「『キミの命のカヲリ』ですね。現実ではとてもとてもあり得ちゃいけないような背徳の恋愛……ひょっとして、そういうのがお好みですか?」
「―――相手によるんじゃないか?」
シチュエーションの問題というより、そこに陥る相手次第だ。恋に恋する様な人間には分からない。シチュエーションさえ良ければ相手が誰でもいいなんて、恋愛はそこまで浅くあっていい筈がない。
「普通の人とそんな事する気にはならないよ。だいいち俺が捕まったら、刑務所が壊れるかもしれない。いやその前に警察組織が壊滅するかも」
厨二病とかではなくて、普通に女子の横暴で。字面がどうでも俺は真面目に危惧している。
「だからそうだな。俺の方が法律とかどうでも良くなるくらい好きになった人が居るなら、やぶさかじゃないよな」
そろそろ映画が始まるか。
行こう。
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