路地裏の猫

「ファストフード!」

 高校生の寄り道先と言えばファストフード店だ。流石にそれは偏見だが、俺の学校から直近で立ち寄れる場所となると、どうしてもここになる。いや、それも嘘だ。夜枝が要望を言ってくれなかったので俺も面倒くさがった。実質『なんでもいい』と言っておきながらこちらのチョイスに文句をつけるなんて論外だ。

 こういう状況、実際は繊細な乙女心を察するセンスが求められているのだろうが、嫌がらせになるならそれはそれでいいかもしれないという思いがこの行動を実現させた。

 そうしたら、思いのほか喜ばれた。

「……久しぶりに舞い上がりました」

「まさか行った事ないとか?」

「それこそまさか、です。友達に誘われたら付き合いますよ。これでも友達付き合いは良い方です。話はつまらないんですけどね」

 朝っぱらからお店を利用する人間は少数だ。ファストフードはその手軽さと引き換えに消化に悪い食べ物が取り揃えられている。俗に『重い』と括られるジャンルだ、朝から食べられる人も、それ以前にそんな時間もない。二階の席は使いたい放題だ。町中なので景色に大した楽しみはない。むしろ外側から見つけられるリスクも考慮して、俺は店の隅っこの席へ。外側を夜枝に蓋されて、出られなくなった。

「つまらないって事はないだろ。友達なんだからある程度は笑えないか?」

 よく考えたら大して面白くない発言でも、その場の雰囲気みたいなものが補正を掛ける事はよくある。深夜テンションなんて正にその例だ。朝起きて考えたら面白くも何ともないのに、その時はツボに入って止まらなかったとか。

 夜枝はシェイクに口を付けながらため息を吐いた。

「センパイは、こうなる前はモテていなかったんですよね。私、これでも結構モテるんですよ。素面でも水泳部でも美術部でも」

「唐突な自分語りキモいぞ。ていうか部活入ってたのか……性格悪くても見た目がいいからモテるまでは行くんだな」

「だから友達に言われてたんです。彼氏欲しくないのって。欲しくない訳ないですよね。私にも選ぶ権利があるってだけです。誰でもいい訳じゃない、そこまで下品になったつもりはありません」

「十分すぎるけど……」

「だって私可愛いでしょ?」

 そう言って、後輩は悪意の見えない笑顔を浮かべてみせる。見えないだけだ、実際は悪意塗れ。腹に一物というより汚物が溜まっている。それくらい醜悪。

「私のクラスはちょっと前まで恋人の有無でカーストが決まってたんですよ。だから友達は私にマウントし放題。如何にらぶらぶちゅっちゅな関係かをずっと言われてきて、こっちは食傷気味です。脳みそが砂糖に浸かり過ぎて腐ってもおかしくありません」

「世間一般では嫉妬と言うらしいぞ」

「だからってつまらない人を彼氏にするのも嫌ですよね。まあ、今となってはどうでもいい事ですよ。友達もセンパイを好きになった事で彼氏と破局しましたから。今じゃストーカーに悩まされてるとか言って私に相談してくる始末です」

 彼女の携帯にはやり取りの一部始終が乗せられていた。夜枝の返信は基本的には親身で、だからか友達は何でも答えてくれる。笑いが止まらなかっただろう。この性格の悪さならまず面白がる。返信の速さが一分以内に収まっている辺りが証拠だ。きっと画面に食いついてどんな答えが返ってくるかワクワクしていたに違いない。


 ―――ちょっと話題変えた方が良いか?


 これからヤミウラナイが泥沼化して、付き合いが長くなるようなら少しでも好きになれればという思いもあった。この話題は単に悪質な性格を露呈させるだけだ。淫靡な雰囲気は一切ないが、だとしてもベクトルがまずい。

「あー。水泳と美術で兼部してるんだよな。活動的にサブは美術部だと思うが。どうして選んだんだ?」

「水泳は、単に泳ぐのが好きだからですよ。美術は……何ででしょうね。絵が好きだったから? ノリ? 分からないので上手く乗せられただけかもしれません」

「何じゃそりゃ。あんまり大した事は考えてなかったのか?」

 自分の裸婦画だのと言い出さなかったのは意外だったし、それなら随分話が変わってくる。夜枝は何かにつけて最低な側面を見出してくるが、美術にはどうも見いだせないというか。彼女らしくない。。水泳に関しても若干近い。不純な動機付けもしようと思えば出来るが、そこまで考えていない感じ。

 俺が頼んだはずのポテトを当然の如く横取りしてくる。しかも俺が食べている時ではなく、わざわざ取ろうとする瞬間を狙ってそれだけを掠め取っていく。夜枝は心なしか目に見えた悪戯を楽しそうに行っていた。

「……あんまり誰かに言ってほしくないんですけど、そんなに動機が聞きたいですか?」

「そんな重い動機なのか……並々ならぬ事情があるみたいな。逆にそういう動機で部活選ぶ奴も希少だぞ。単純にそれが楽しいとか、その分野で上を目指したいとかなら、別に笑わないし、広めても大して面白くないが」

「上昇志向は結構です。でも私はいまいちそんな気になれません。そうですね、センパイのハンバーガーを半分下さい。それで教えてあげます」

「……ポテトならまだしも綺麗に割れる気がしないから遠慮しとくわ」

 ぐちゃぐちゃになったハンバーガーなんて見るに堪えない。味は変わらなくても印象が違う。突然不味そうになって、残飯っぽくなって一気に触りたくなくなる。恐らく具材が多い程そうなっていく。

 断られるとは思っていなかったらしい(多分彼女は探りを入れられているかどうかを確かめようとした)、夜枝は俺から少し身体を離すと、チキンナゲットに手を付けた。

「せっかくのデートなんですから、そんな事言わないで下さい。センパイの強情に免じて教えてあげますから」

「後で半分よこせとか言うなよな」

「言いませんよ。そもそもファストフードを朝から食べるなんて考えられないです。センパイに誘われなかったら、たとえ脅迫されても行きませんよ」

「おい!」

「デートに私の意見が入ったらセンパイの事が分からないじゃないですか。だから何処でも大丈夫ですよ。今後に活かします。そうだ、理由でしたよね」



「自分の表情を調べたくて」



「……表情?」

「私、心の底から笑った事もないし、悲しんだ事もないし、怒った事も楽しいと思った事もないです。打算が混じってしまうんです。何故でしょう。だって私は普通の筈です。誰にどう見えてるかは関係なくて。私が私を認められない。だから自分の正確な表情を描く為に入りました。その為の努力は惜しみません。割とね」

「鏡を見るだけで……済む事じゃないのか?」

「カメラがあるから絵は存在意義を失ったくらいの暴論ですね。鏡だけじゃ分からない事もあります。幾ら観察しても、納得いかない事があります。だから手を動かすんです。無意識でのみ気づいた事を表に出せるように、いつか私が心の底から楽しめたりした時に、描き残せるように」

 話している内に、二人共食べ終わっていた。

 話題を変えたのは正解だったが、それはそれとして。純粋に夜枝という女子が気になってきた。

「次は、どうするんですか?」

「歩いて考える。そう言えば自分の生まれた町なのに、全然詳しくないからさ。隼人の方は、上手くやってるといいけど」

 先んじて手を繋ごうとすると、後輩の方からその申し出は断られた。

「無理しなくていいですよ。センパイを揶揄う気、なくなりましたから」

「―――そうか」

 空っぽの容器を片付けて、俺達は店の外に出る。そしてもう一度手を掴んだ。

「俺はお前の事が知りたくなってきたから、繋ぐよ。力ずくでもな」

「………………勝手にすれば」



 


 夜枝は困ったように俯いて、俺にその表情を見せなかった。

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