仮初 偽物 恋の鼓動

 体育館は全焼した。

 非常口の方では女子が待っているだろうから、遅れて脱出した所で何も変わらない―――そう思っていたが、夜枝も同じ危惧をしていたらしく、俺達は敢えて体育館の放送室の窓を叩き割って屋根から脱出。体育館を挟んで生徒達とは正反対の場所へと逃げ延びた。

「消防も警察も呼ばれないんだな……」

「呼んだと思いますよ。手遅れになると踏んでから。死体が咎められなくても処理は面倒ですからね。同じ立場なら私もそうします」

「お前って道徳の授業とか嫌いだったか?」

「大っ嫌い。寒気がしますよね。キレイゴトが不要とまでは言いませんけど、強制される様な事ではないです。真っ白い女の子より意外と汚れた子の方が男の子も手を出しやすいですよね?」

「…………まあ、助けられた直後だし何も言わないよ。ごめんな、何か抱きついちゃって」

「ドキドキしちゃいました……」

 嘘だと、俺は知っている。俺だけが知っている。心拍は早まるどころか至って平常。慌てた様子もなく、むしろ少しでも俺が心を許してしまった事に満足している節さえあった。

 いや、許した訳じゃない。訳じゃないが、あの瞬間は誰かに縋りたかったというだけだ。彼女の思い通りにはならないし、夢中になる事もない。ほんのちょっと付け入れられただけ。

「そんな事よりも、センパイ。放火は別に貴方を助ける為だけの行動じゃないんです。気づきましたか?」

「ん……まあそんなお人好しだったらお前にはとっくに彼氏が居るもんな。外面は色んな意味でいいし………でも分からん。お前が名実共に犯罪者になった事くらいしかな」

「放火の証拠なんて見つかりっこないですよ。見つかっても追及されません。だって私、センパイが大好きですから」

「………………おい、ちょっと待てよ」


 今の一言が、引っかかった。


 ただ女子である事が免罪符だと思っていた。しかしそれは勘違いだ。厳密には俺の事を好きな女子が無法を働いているし、許されている。それに影響された人間もまたおかしな行動を取り、それも許されている。これら全てがヤミウラナイのもたらした異常だが―――妙ではないか。

「俺の事を好きって。口だけでも言ってれば何にも追及されない……のか?」

「ひねくれてる考え方ですけど、心は見えませんからね。純情な乙女心に嘘はないって考えた事はありませんか?」

「お前、俺の知らない内に試し……いや待て。そうだ、おかしいんだ。幾ら冬癒でもお菓子だけで買収されるなんて思えない! 俺の家族で試したな!?」

「へえ。少しは頭が回るんですね。でもそこじゃないです。ぶっぶー」

「否定してくれよ…………じゃあ何だ?」





「体育館に火が放たれて、みんな自分の命を優先してましたね?」




 

「……?」

 それは当たり前だ。だって焼けたら普通に死ぬ。家事の死因の殆どは焼死というより窒息死らしいが、その辺りは関係ない。死んだら俺の事だって追い回せないし、告白も出来ないし。

 ピンと来てないのは自分でもわかる。夜枝はつまらなそうに首を振って、俺の額を小突いた。

「当人がそんな鈍感でいいんですかね。今、センパイを好きな子はみーんなセンパイを第一に動いてるじゃないですか。だから真っ当な倫理観では出来ない様な事も出来る。都合の悪い全部から目を逸らして、逸らしたまま目標に向かって動ける。正に恋は盲目、何も見えていません」

「で?」

「どうして自分の命が危険になった程度で優先順位が変わるんですか?」

「…………は? いや何でって。当たり前だろ? 俺だって自分の命が危なかったら逃げるぞ」

「センパイの事なんか聞いてませんよ、自分語りキモいです。その当たり前、他の子に通じるんですか?」

 常識と異常で板挟みに合っていると、時々認識がズレてくる。後輩の言いたい事はようやく伝わった。ヤミウラナイのせいでおかしくなった行動原理が、命の危機ともなると無効化されて、途端に常識的な判断を下している事について言いたいのだ。考えてみればおかしな話だ。誰かを殺すのもプライベートの侵害も厭わない女子が、途端に俺も納得出来てしまう行動を取るのは。

 自分の命を守るのが当然なら人を殺さないのも不法侵入しないのも当然だ。ここに違いがあってはならない。法治国家であるならば、共通して守るべき事項である。

「…………確かに、変だな」

「でしょでしょ。元々こういう反応を見たかったんです。私もセンパイは大好きですからね。恋敵は少しでも減らさないとと思って、放火した次第。あんなにセンパイラブと言っておいて、心の底じゃ自分が一番大事なんです。笑っちゃいますよね。笑っていいですよ。誰にも言いませんから」

「…………いや、笑わねえよ。変だけど、普通の人間としては当然だし。逆に聞くけどお前は…………あー。ごめん。何でもない」

「? NGな質問を設けたつもりはないんですけど」

「勝手に納得したんだよ」

 自分で放火したとはいえ、火の手が収まっていない中で俺に抱き着かれても夜枝は抵抗しなければそれほど急かす事もなかった。お前でも同じ行動をしただろという理屈は通用しない。とにかく長期的に、より面白くなりそうな事の為なら危険など目に入らない。彼女はそういう女子なのだ。

「さあて、センパイに不信感も与えた事ですし、どうしましょうか。もう私もしたい事は無いと言いますか、帰りたければクラスの元にどうぞ帰ってください。用済みです」

 一足先に帰ろうとする夜枝の手を掴むと、無表情だった顔に困惑の色が滲んだ。

「何か用事が?」

「…………ちょっと、付き合ってくれ」

「またセンパイのパシリですか?」






「学校、サボる。抜け出すなら今の内だ」















 

 女子達が認識出来ない内に、俺達は学校を抜け出し、町に踊り出た。元々あんな騒ぎになってしまった原因は都子の名前で女子を挑発し、二〇年前のヤミウラナイを探らせる為だったが、こうなってしまったなら多少アドリブでも予定を変えないといけない。体育館が焼けるまで俺を探しに来る女子は居なかったから、彼女達は今更になって意中の人を探していると考えられる。

 そこで町中に出れば、後は隼人が上手くやってくれる筈だ。仲間を信じない事には俺もこの戦いには勝てない。

「悪いセンパイですねー。学校をサボってデートなんて」

「たまには健全なのもいいだろ」

 夜枝を連れ出したのは、単に彼女の事が気になってきたからだ。異性としてという意味ではなく、その内面性。一言では語れない、何やら屈折した価値観は何に由来しているのか。 

 振り返ると、たまたま吹いた風がミニスカを捲って水色の下着を目に焼き付けてしまう。咄嗟に目を瞑ったが、光から来る視界の理解力は反射ではどうにもならない。

「……センパイのえっち」

「事故だ」

「知ってます。健全なのがお望みなら、幾らでも付き合いますよ。私の何を知りたいのか興味がありますから」

 デートプランは俺に一任するつもりか。成程、俺が夜枝を見極めたいように、彼女もまた俺を見極めているのか。これは慎重に行動しないと。

「そうだな……腹減ったし、食事でもするか」

「朝から料亭ですか?」

「俺にそんなお金はない。家に入り浸ってたんだから分かるだろ……要望があるなら聞くけど、あるか?」

「センパイと距離が近くなれる場所ならどこでも大丈夫ですよ。私、対面よりは肩が触れ合う隣が好きなんです」

「…………料理の要望だったんだけどな。まあいいよ、分かった。駅前に行こう」

「駅前……成程。あそこならセンパイと隣同士になれますし、今は朝だからお客さんも少ないと。名案ですね」

 何気なしに繋いでいた手を、後輩は器用に恋人繋ぎに直した。




「デート。今の所は楽しいですよ。歩いてるだけでもね」 

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