淫交相愛 ~インビズム

 俺は決して女性恐怖症じゃない。この期に及んでまだそうなっていない。肉体に理性なんてないのだから女性にこれだけ酷い目に遭わされれば少しくらい反応も出ると思っていたが、まだそこまでじゃない。その原因となるのは度々対象として外れている女子が現れている事、中でも錫花、知尋先生、揺葉がまともである事が大きい。夜枝はいっそ他の女子みたいに頭がおかしくなってくれれば良いのに、きっちり正常な頭でイカれてるので性質が悪い例外。嫌いなのは飽くまでヤミウラナイにくるってしまった女子達で、無条件に恐怖する程じゃない。

 

 ―――先生。大丈夫かな。


  この期に及んで、俺は自分の事なんかより先生の心配をしている。仮初でも夫婦になったからこそ気になっているのだと思うが、あの人の精神状態は健康とは言い難い。医者の不養生とは違うのだが、養護教諭が休養必須みたいな状態なのはどんな冗談だ。

 俺なんかよりも自分の心配をしてくれと。

 保健室を出て、自分の教室に戻ってきたが、どうした事だろう。誰の姿も見えない。

「は?」

 教室が綺麗に整えられているのも不思議だ。隼人が居ないだけならまだ呑み込めたが、女子も男子も見当たらない。何があった? あんなに下着で争っていたのに今は一着も見当たらないのもおかしな話だ。警察を呼んだから沈静化した……にしても妙だ。それなら警察が俺を探しに来るか、警察でなくとも女子とか隼人が来るだろう。

「……うわ」

 窓の外に大小色とりどりの下着が投げ捨てられている。ブラにしてもパンツにしても表面に『新宮硝次♡』と書かれているのが不気味だ。それも丁度良く散らばっているから学校の敷地のいたるところに、あらゆる角度で『新宮硝次』『新宮硝次』『新宮硝次』『新宮硝次』…………自分の名前なのかも怪しくなってきた。ここまで信仰されてる男は何者だ。俺なのか? 俺と全く同じ名前の別人という線はないか? 不毛な想像だが、たまに思う事がある。

「おーい。誰か居ないか?」

 置き勉を除けば綺麗さっぱりなくなっているので、他のクラスを見て回る事にしたが、やはり人は居ない。ただし血痕や尿の痕跡は見受けられる。誰も掃除しなかった、或いは掃除する暇もなかった―――いや、掃除する気が無かったの間違いか。教壇の中に入っている席順を見るに、尿の痕跡があるのは男子の席だけだ。血痕は教室中無差別に広がっている。

 ガタン。

「え?」

 掃除ロッカーの中から、明らかな物音がした。用具が落ちたとかではなく、人が入っている。

「……誰だ?」

 ロッカーの中に居る誰かはこの期に及んで自分の居場所がバレていないと思っているのだろうか。逃げられない様にドアの目の前まで歩いて、隙間に向かってもう一度声を掛ける。

「誰だよ。声の距離から分かるだろ。もうバレバレだよそこに居るの。女子でも男子でもこの際何でもいいんだ。取り敢えず出て来いよ。俺も逃げないから」

「…………」

 沈黙を貫いていれば気のせいだと俺が思うとでも。それは大きな勘違いだ。女子か男子かそもそも生徒なのかも分からない。確認しようとドアに手を掛けるも、反対側から引っ張られているのかびくともしない。

「マジか……おい、開けろよ!」

 足を壁にかけて踏ん張っても、全く力が拮抗しない。閂ではないが、道具を使っているのは間違いなさそうだ。相手が男子だったとしても拮抗状態にすらならないのはおかしい。全身を使えるという点で、地の利は俺の方にあるのだから。

「開けろ! 開けろ……よッ! 何でそうまでして姿を隠すんだ! お前は一体誰なんだよ!」

「………………」

「人の話を聞けよ!」

 苛立ちが募って、ロッカーを蹴り上げる。思い通りにならない現実が忌々しい。異常事態に頭が追い付かなくて理性が麻痺してきている。俺はいつからこんな癇癪を起すようになった? これが初めてなのだとしたら、継続しない事を願う。


 

『あ…………テス……あッ! テス……うぅ。しょ、硝次君……♡ お知らせ……体育館……ん。来て……♡』



「…………は」

 佐々島五月の声だというのは分かったが、今の放送は何だ? もう怒鳴り声すら出てこない。度しがたく理解しがたく形容しがたく納得しがたい。何の意味があって、どんなメリットがあって、如何なる気分であったのか。全然知りたくもならないのに気になる。矛盾しているかもしれないが、いやいや。同じ放送を聞けば気持ちが分かる筈だ。

 俺に対して放送するにしても、何を考えてたら自慰しながら放送なんて発想に至るのか。

 もうその手の行為には何も言わないから、どちらかにしてほしかった。艶めかしい声が耳の中に残って不愉快だ。好きでもない奴の喘ぎ声なんて聞いて得すると思うのか。

 ロッカーの事は気になるが、今の放送を何度も続けられると精神的に参りそうだ。最後にもう一度扉を叩いてから、体育館へと走り出した。




 まだHRも始まってないのに、何事だよ。







   












「センパイ」

 体育館の入り口で、夜枝が携帯を見ながら俺を待っていた。

「夜枝……何でお前がここに?」

「センパイが好きな女子はここに集まってますよ。つまり全員ですね。あ、それよりも電話番号確認お願いします」

「え?」

 焦りから視野が狭まっていたが、後輩の太腿には携帯の電話番号が書かれていた。唐突な申し出に困惑したが―――これからも協力させたい時には便利だろうと思い直して、言われた通りに登録する。番号最初の一文字がスカートに隠れて見えないのは嫌がらせだろう。極力中を覗かない様、モチモチですべすべな太腿を撫でるように上で滑らせ、僅かに布をまくり上げる。

「…………お前、この状況でよく俺に嫌がらせできるな」

「あ、こっちはついでで、私がさりげなく役目を買ったんですよ。センパイもその方が良かったですよね。私に感謝して欲しいくらい」

「……ありがとうって素直に言える状態じゃないんだけどな。中で何が始まってるんだ?」

「始まってるっていうか、始まるっていうか。先に行っちゃいますけど、安心してください。センパイが直接何かされるってのはないです。ただ―――」

「ただ?」

「夜道には気をつけた方がいいですよ」

 そんな脅し文句を言い残し、夜枝が一足早く入っていく。恨みを買った時や相手の不安を煽りたい時に使われる言い回しだが、何故そんな事を言われなくちゃいけないのか。

 そう言われたからには入りたくなくなったが、隼人の事もある。生唾を呑み込んでから、遅れて俺も館内へ。



「新宮硝次。壇上へ」



 入って早々俺の名を呼んだのは、よりにもよって担任の先生だ。一年から三年までの女子が振り返って、俺を見て黄色い声を上げた。過激派じゃないというだけで、何故かヤミウラナイの影響は広がり続けている。

「な、何でですか!」

「いいから、来なさい!」

「来るの」

「うおわ!」

 既に逃げ出したくなって一歩退いたら、いつの間にか三年生と思われる女子に背中を押されていた。風紀委員として活動している姿を見た覚えがある。しかし今となっては風紀などどうでもいいと言わんばかりに俺を押して、女子の群れの中へと押し付けた。

「うおおあああああああああああ!」

「きゃああああああああ!」

「しょうじくーん♡」

「かっこいい……♡」

「あれが硝次先輩……!」

「センパーイ。カッコイイデスヨー」

 胴上げさながらに身体が宙を舞って、女子の手に突き上げられながら程なく壇上へ乗せられる。着地は誰も保障してくれず、思い切り背中を打ち付けた。

「いてててて…………」

「新宮硝次君」

「…………校長先生?」

 気付けば舞台袖から校長が顔を見せて、俺の手を引っ張り上げた。恰幅の良い体型と穏やかな表情から、昔は印象が良かったものの、この状況では気味が悪いだけだ。

「最近、君の周りでは騒ぎが大きくなりすぎる。警察も来てしまって、我が校は大変迷惑しているんだ」

「………いや。いやいやいやいや! 俺のせいじゃないでしょ! どう考えても悪いのは女子で―――!」

「我が校としても問題解決に向けて取り組んでいきたい。そこでだ、どうだろう。この学校には教室棟と特別棟がある。君は女子と特別棟の空いた教室で授業を受けなさい。特別クラス、君と女子だけのクラスだ。悪い提案ではないと思うんだが」

「嫌だよ! 普通に嫌! 校長先生! アンタも俺に何か恨みとかあるんですか!? 助けてくださいよ、困ってるんです!」

「恨み…………」

 校長先生はにっこりと笑って頭を振った。

「妻と離婚した事を言っているのかな? ははは、気にしなくても良いよ。もう長くないのは分かっていた」

「――――――っ」

「それに、これまでの君の言動からして、簡単に首を振らない事も知っている。だがよく考えて欲しい。校内に居たカップルは君のせいで全員破局した。男なら責任を取るべきだとは思わないか?」

「浮気は嫌いだ!」

「……そうか。では仕方ないか」

 校長が担任に指示を出すと、彼が連れてきたのは一年男子。名前を園田という。全身を縛られた彼には成す術がない。辛うじて歩けるが、それだけだ。

「や、やめて! やめてください! 杏奈ちゃん! 助けて!」

「無理♡ 私硝次様一筋だから♡」


 





「では男子を君以外退学としよう。そして学校全体の風紀を乱した責任も取ってもらおうじゃないか」

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