訳あり先生は好きですか?

 知尋先生が相貌失認かそれに近い状態という仮説が、否定された。俺の事は顔が分からなくても一人尋常ならざる状態で座っていたし、まあ名前も。女子のこの騒ぎぶりじゃ一致していても無理はない。

 だが隼人は別だ。先生は確かに隼人の方を見て名前を呼んだ。相変わらず興味なしという感じだったが…………。

「はい。ピッキングなんて教師にさせるなよ」

「有難うございます……先生は相貌失認じゃなかったんですね」

「相貌失認? ……ああ、顔が認識出来ないから、今回の騒動とは無縁なんじゃないかみたいな事?」

「ちょ、先生! おい硝次。この人何か知ってそうだぞ!」

 久しぶりに二人きりになれて俺も隼人もテンションが上がっている。別に変な意味ではなく、友達付き合いもままならない環境だったのは言うまでもないだろう。知尋先生はカーテンを閉めてさらに保健室の鍵まで閉めると、当初の発言通り俺の擦りむいた足を治療する為の道具を揃え始めた。

「なあ知尋先生。貴方はもしかして、今回の事知ってんの……知ってるんですか?」



「知ってるも何も、私もやった事あるおまじないだからね。ヤミウラナイ」



「ヤミウラナイ?」

 消毒液の痛みなどまるで気にならない。今はとにかくその詳細を聞きたい所だ。

「闇の占いで闇占い。病む占いで病み占い。もしくは由来不明の病に裏側に無しで病裏無。物騒な名前だけどな、恋愛成就の魔法って、私がやってた頃は言われてた」

「待て硝次。先生の話は変だぞ。やった事ある割には、俺もお前も見た事ないし、先生の反応ももっとなんか……違うと思わないか? そもそもなんか……女子がおかしくなってる事に気づいてないって言うか当然って感じがするし」

「それはそう。私おまじないをしたのはもう二十年以上前の話だ。当時は……友達に教えてもらったから、その友達が何処から仕入れて来たかは分からない。すまないね」

「あー。その友達に連絡とかってのは……無理ですか。やっぱりあれですか、永遠の友情なんてないみたいな」

 隼人は妙な所でシビアな価値観を見せる事がある。心を読んだとかではないのだが、彼は俺の方を見て頭を振った。

「お前とはいずれ縁を切るって意味じゃないからな。硝次。そりゃ今の所酷い目にしか遭わされてないけど、お前は親友だぜッ?」

「ああうん。なんかフォローのつもりが嫌味に聞こえる」

「……ずっと一緒に居るって思ってても。ある日突然消えるって分かっちまったからな」


 あ。


 これはもしかして。俺が悪者。 

「………………」

 本当に、そんなつもりはなかった。隼人にこれ以上の負担はかけたくないとさえ思っている。だから迂闊だった。友達同士のほんのじゃれ合いが、突然傷口に塩を塗るみたいな結末になってしまって。

「えーと。央瀬隼人君。言いたい事は分かるよ。友情は永遠かもしれないが実際会えるかどうかは別の話だ。まあ、それとは別に会えないが」

「……どういう事ですか?」





「全員、死んでる」





 保健室全体の空気がサーっと引いて、俺の身体も血の気を失っていく。擦り傷の治療は既に済んでいた。

「え? え? 全員…………え」

「死んでるってのは……………………病気ですか? 事故ですか?」

「ヤミウラナイのせい。私の親友だった子も、好きだった男の子も全員死んだ。嘘だと疑うなら新聞記事でも調べればいいさ。かなり昔になるけど、頑張れば見つかるだろう。当時も似たような状況だよ。周りがどんどんおかしくなってるのに誰も気づかない。それは当たり前だったと思い込み続ける。非科学的な迷信は信じない様にしてるんだけど、こればかりは信じない訳には。現に死んでしまっているからね。当時は集団ヒステリーみたいな感じで処理されたと思う」

「―――素朴な疑問なんですけど。じゃあ先生は何で生き残ったんですか?」

「運が良かった」

「は?」

「気を失っている内に誰かがヤミウラナイを終わらせてくれたんだ。後遺症として、私は人の顔を覚えられなくなった。君達を識別出来ている理由は声にある。ほら、相貌失認ではないよ」

 似たような物だと思うが、自嘲気味に笑う知尋先生の表情は痛ましくて見ていられない。俺は隼人を手招きして、二人で緊急的に作戦会議を開く。

「おい、聞いたか。全員死ぬのは不味いだろ」

「今のは聞き逃さねえよ。この様子じゃ放置してると俺もお前も死ぬのか。解決方法だけ丁度良く抜けてるってのは最悪だな。こりゃいよいよどうしたもんか……」

「取り敢えず、部外者の揺葉に調べてもらおう。アイツは影響を受けてないから……大丈夫だ。問題は俺らの身の振り方か」

「今回はお前が怪我してたのが不幸中の幸いだったけどな……女子の壁が分厚くて近寄れやしねえし。今回で猶更怖くなった。二人きりで話せる場所があればな……」

 ちら。ちらちらちら。

 無関係な人は巻き込みたくない。出来れば自分達だけの力で解決しなければいけない。全員死ぬと分かったなら猶更その方が良いとは思う。だけどここまで煮詰まってくるともう、頼れるとすれば彼女しかいない。

 知尋先生は努めて目を合わせない様にしていた。

「私は恋愛なんてもうこりごりだ。結局全部消えただけ。協力しろと言われてもお断りだよ」

「すみません。そこを何とか……」

「真面目に頼れんの先生しか居ないんです! お願いします!」

「私しか頼れないね…………それも聞いた。二十年前に。私を信用してくれるのは嬉しいが、私は人を信用出来ない。もう裏切り裏切られ、利用し合うのはごめんだよ。働くのも怠いし、今の私は呼吸してるだけの死骸だ。ゾンビでいい。もう何も考えたくないんだよ」

「いざとなったら俺が先生を嫁に貰いますから!」

「硝次!?」

「いや…………なんか。女子に通じそうなセリフかなって」

「お前……どんな説得だよ。それが通用するのは恋愛脳だけだぞ。大体恋愛に嫌気が差してる人にナンパは逆効果だろうよ」

「……じゃあお前何か考えてみろよ! 先生に協力してもらわなかったら詰みだぞ!」

「あーそれなー。うーん。どうしたもんかなー。俺、モテてたけど、具体的にどの辺りがモテてたのかは知らねえんだよな。取り敢えず優しくしてたらなんか……なあ」

 隼人がモテた要因というと、陽気で、善良で、誰とも公平に接し、成績もそれなり、運動神経は抜群に良く、女子に邪な目を向けた事もなく、誰とでも話を合わせられるその圧倒的なコミュニケーション能力だろう。それ以外に何がある。こいつは聖人と呼んでもいいくらい、根が明るいし善い奴なのだ。



「条件」



 まず進展しそうもない不毛なやり取りをずっと交わしていると、見かねた先生が不満そうに呟いた。

「私も先生の一人だ。養護教諭を先生と言っていいかは分からないが……生徒が全滅するのは見たくない。条件次第で協力してもいいよ。さあ、交渉の時間だ。私を説得してみせろ」

「え…………条件を言ってくれる訳じゃないんですか?」

「交渉力は大事だぞ。えーと新宮硝次君。君はこれから先何人もの女の子にプライベートを侵され、余裕をなくしていくだろう。彼女達の恋はこの先も過激になり続ける。迫られた時、ただ拒絶するのでは逆効果だ。ハッキリ言って、私の好きだった人はそれで泥沼に嵌まった。大事なのは妥協させる事。相手を納得させる事。これはその練習だと思いなさい」

「んな事言われても……隼人~」

「先生が何求めたいか分からねえのに交渉も何もなあ。あー……信用か。因みに知尋先生は。恋愛はこりごりかもしれませんけどパートナーはどうですか?」

「またナンパ? パートナーに良いも悪いも居た事がないから分からないな」

「あー。いや。ナンパっていうかさ」

 隼人は携帯のケースから折り畳んだ紙を広げると、俺の足の上に広げた。緑色の用紙の名前は婚姻届。

「今からこいつに名前書かせるんで、これを信用の担保にってのは……」

「は!? おいお前! 何勝手な事を!」

「お前が先に嫁に貰うとか阿呆な事言ったからだろ! 俺だってちょっと前にこれを生で渡されて戸惑ってたんだよ。あーいい処分先が出来たぜ! どうですか先生!」





 知尋先生は、呆れた様に気の抜けた微笑みを浮かべていた。






「―――そこまで本気なら、それでもいいよ。及第点として。結婚が人生の墓場ならゾンビたる私は還らないといけないみたいな。理屈はそんな感じで―――本当にそんな交渉材料でいいのかい?」

「……………………」

 隼人は他人事だと思って頷きを催促してくる。控えめに言ってウザいが、これしかないのだろう。コイツに丸投げした俺にも責任はある。頓珍漢な発言が報いになったと思え。

 


「大丈夫です」



 己の立場を切り分けるくらい、どうという事はない。どうせ本当に結婚する訳じゃない。そもそもまだそんな年齢でもないし。

 でも、丁度いい機会だ。これを契機に改めて宣言しておこう。



 俺はクラスメイトの誰とも交際する気はない! 




 頼むから全員大人しく隼人に告白しておいてくれ! 

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