放火後ノスタルジー

 知尋先生の言う事がとても信じられず、わざわざ損を被ってまで俺達は警察の到着を校門で待った。パトカーが来るや否や全ての事情を説明したつもりだが、警察の言い分はこうだ。


『殺人は確かに犯罪だけど、女の子の恋を邪魔するのはよくないよね』


 それで本当に、お終い。事件性なんて物は生まれず、パトカーは俺達を通り過ぎて校内へと入っていってしまった。不幸にもタクシーはその近くで待機していたので、その流れで隼人は俺と一緒に乗り込む事に。

 車のドアが閉まった瞬間、隼人が叫び出した。

「何でだよ! どう考えても事件性しかないだろうが!」

「知尋先生の言う通りになったな……」

「いやーマジで何なんだよ…………殺人が正当化される様な世界だったか?」

 恋は盲目というが、それは恋している本人の状態であって、恋している本人の周囲の環境が盲目になるという意味ではない。一目見ておかしいと思える出来事に対して何も感じていない時点で盲目というより節穴だ。

「―――正直さ、もうモテてるってラインは超えてねえかな。あれじゃ執着とかそういうレベルだぞ。それに、アイツ等の反応も過敏すぎる。幾らお前が原因で酷い目に遭ってもあれはやりすぎだ」

「お前がそれだけ人気者だったんだよ。俺はそれで納得した」

「俺が人気なら何やってもいいのか? 俺はお前に何かしてやりたいなんて言ってないし、俺の為というなら何で俺を呼び出さない? クラスメイトだからさ、あんまし悪口とか言いたかねえけど……こんな事されたら建前として良いように使われたって思うのが普通だろ」

「…………」

 どっちが原因でも、決して救われる事はない。無言の時間は唐突に訪れ、暫くは漠然とした緊張感に包まれた。車に揺られ、エンジンの音を聞き、目的地―――隼人の家が遠いので最初にそちらへ―――に向かっている。

 分からない所が分からない。苦手な勉強分野にぶつかった時、俺が良く考える言葉だ。パッと見分からなくて、少し頭を捻っても分からなくて、じゃあ何処が分からないのかと聞かれてもそれすら分からない。

 全部分からない訳ではないのだ。何となく分かる所は分かるが理屈は説明出来ない。この状況はそれに似ている。


 ―――。


 これがテストなら点数をちょっと諦めればいいだけ。どうしても勉強するのが嫌なら退学でもすればいいだけ。だがこれは、退けない。立ち止まった所で俺はこれからも理不尽にモテ続ける。嫌だ嫌だと言っても誰も手を貸しちゃくれない。法よりも倫理よりも道徳よりも、ここでは恋が優先されているから。

「なあ、隼人。俺達で解明しよう」

「………………モテをか」

「解明した方がいい。俺達は同じ境遇にある。そうだよ隼人。俺もだ。俺を守る為だったかもしれないけど、殺せまでは言ってない! 俺達は共に建前にされてる。好き放題するのに丁度いい口実代わりだ。俺も、自分だけが辛いなら我慢してたかもしれない。でもお前が困ってる。それなら駄目だ。やっぱ直さないと」

「―――硝次。気持ちは嬉しいけどな。かなり辛い道だぜ。何となくそんな気がするよ。二度と誰も死なないとも思わない。この様子じゃ誰も止めないからな。ああ、お前はいい奴だからモテて最初は嬉しく思ってたのに、初めてだよ。モテてほしくないって思ってる」

「俺はずっと思ってるよ。早々にこのモテ期はお前に返したい。十分だ十分だもう限界だ! あーもう無理無理無理無理! みんな気持ち悪いよ!」

「…………………俺も、もう何か。いいかもな」

「……え?」

「モテるの、もういいかなってお前見てたら思ったよ。いや、最初はな。嬉しかったぜ。俺にだって承認欲求くらいある、多くの人に好きって言ってもらえるならそりゃ嬉しいよ。それと告白とは話が別だとしてな。でもこんなの見たら流石に嫌だろ。しかも今回の件で、何もしなくても恨まれるのはモテてる奴って事が分かった」

 俺は何もしていないどころか、異常なモテ具合に疲れていただけだ。自慢もしていなければ嫌味も言っていない。愚痴も零さなければ不調も訴えなかった。それなのに、男子は俺を恨んだ。あまつさえ殺そうとした。警察が機能してくれない中で、この筋違いな恨みは文字通り致命的だ。命に関わるなら、生存本能としてやはりこの異常事態をどうにかしないといけない。

「―――――――硝次。正直俺はな、面倒なのは嫌だ。ただモテるだけだったらお前の誘いには乗んなかったよ。幾ら親友でも、プライベートな領域だしな。だけどこっちにも限度ってあるんだな。協力しないと俺は自分の命も危ないし、お前についても取り返しがつかなくなりそうだ」

「…………協力してくれるのか?」



「―――ああ、解明してやろうぜ!」



 隼人が拳を突き出してきたので、同じようにして拳を合わせる。疲れた様子を見せていた親友は、ここに来て久しぶりに笑顔を見せた。

「俺とお前なら敵はいないぜ! つか、卒業までに終わらせたいよな。社会人になってからこんな事起きたら取り返しがつかねえぞ」

「気が長いよ。俺は一秒でも早く終わらせるぞ。何処から手を付けていいかはちょっと分からないけど」

「大丈夫だ。俺達には心強い協力者がいるだろ。お互い昔の顔しか知らない事がこんな時に役立つとか思わなかったな」

 勿論、揺葉の事だ。

 本格的に解決する上で当事者たる俺と隼人は積極的に動く事になるが、渦中に居る関係でどうしても客観視が厳しい時もあるだろう。そこで彼女の出番だ。時として何か問題に取り掛かる時は第三者からの目線が必要で、彼女には安楽椅子探偵にでもなってもらいたい。

「顔を知ってるのはやっぱり前提条件なのか?」

「……まずはそこから調べた方が良さそうだな。正直被害を拡大させるかもしれないけど試さないと終わらない。やろう」

「いや、待てよ。先生は自分の彼女に俺の話をしたらフられたみたいな事言ってたぞ。俺の顔なんか出す必要ないし、違うと思うんだけどな」

「証拠がないだろ証拠が。不自然さについて言いたいなら、生徒の話を恋人との話題にする事自体、変だろ。教師の界隈じゃ変じゃないかもしれないが、そういうのは幾らでも難癖つけられるんだから。確かめてみない事には何とも言えねえ」

「…………そういうもんか」



「お客さん、お客さん。もしかしてあそこが目的地ですか?」



 タクシーの運転手に何の考慮もない会話だったが、ここに来て割り込むように声を掛けられた。窓の外を見遣ると、そこには大勢の人間が野次馬として壁を作っている。



 隼人の家が轟々と崩れる音を立てながら、燃えていた。




「は…………はああああああああ!?」

「隼人!」

 脊髄反射で飛び出した親友の手を引き留めるにはほんの少し遅かった。車のドアが自動で閉まり、再度ロックされる。俺も鍵を開けてついていこうとしたが、ロックは頑丈で、力ずくでは動かなくなっていた。

「え! あのちょっと! 開けてください! 窓でもいいんで! お金払いますから!」

「…………そういう訳には行かないんですよね、新宮硝次君」


 知らない筈の、俺の名前。


 運転手は振り返ったが、その顔にも眼鏡にも心当たりはなかった。

「どうも六未早瀬の父親です。いつも娘が世話になっております」

「…………は、はあ。どうも」

 彼女の家族というだけで一気に警戒心が引き上がったが、変に刺激しても丹春の二の舞だ。慎重に隙を窺うつもりで、可能な限り平静を装う。

「早瀬は可愛い子でねえ……昔はパパのお嫁さんになるなんて言ってくれたんです。それも昔の事と思いましたが、近ごろ娘の様子がおかしくて。ずっと君と子供を作りたい子供を作りたいと言って、夜中に苦しそうな、寂しそうな声を上げるんです」

「は、はあ…………はあ?」

「何をしたんですか。私と妻の大切な子供をここまで苦しませて、貴方は何がしたいんですか? 何故娘の想いに応えない! あんな可愛い娘に好きだと言われて何故受け入れない! お前は悪だ!」

「いや、俺は知らな―――!」

 よそ見をしたままアクセルが踏み抜かれる。タクシーとは思えない速度で貸切車は再度運行し、交通事故も厭わぬ乱暴なハンドリングで車は本来の業務も忘れて自由に走り出す。


 


「このままでは娘が可哀そうだ! 私が、私がお前を殺してやる!」

「ちょ―――やめ! 待って待って待って! 何処に連れていくつもりですか! 警察呼びますよ!」

「警察が何だ! 私の娘の恋を邪魔する奴は誰であろうと許さん!」

 映画みたいにハンドルを奪った所で衝突事故を引き起こすのが関の山。幾ら相手が隙だらけでも俺は乗り続けるしかない。窓を割って外に脱出するのも、ゲームじゃないとあり得ない選択肢だ。

「死にたくないか! 死にたくないなら今すぐ結婚を誓え! 録音してやる! そして今日にでも娘と子供を作るんだ! 一週間でも一か月でも引き籠れ! 支援ならしてやる!」

「い、嫌ですよ! 好きでもないし嫌いでもない! アイツの事はよく知らないのに!」

「なら死ね!」

 信号無視に割り込み、速度制限オーバーと悪逆の限りを尽くすタクシーが辿り着いたのは、漁船が停泊中の港だった。

「―――いッ」

 それでようやく、この人がやりたい事を悟った俺は身を乗り出してハンドルを止めようとする。だがアクセルまでは止められず、そもそもハンドルだって、多少曲げた所で運命は変わらない。この道はあまりにも都合よく―――直進すれば港を突き抜けていけるのだから。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああやめええええええええ!」

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