十二時のシンデレシンドローム
「………………?」
気絶したつもりはなかったけど、いつの間にか保健室に運ばれていた。俺の顔を覗き込んでいるのは、クラスメイトのいずれでもない。
「起きたようだね」
「…………
「何故フルネーム。そうだね。私の名前だね」
養護教諭として密かな人気を持っている。その理由はアンニュイな声とそれに伴って漂うそこはかとない未亡人感だ。本人は独身としか言わないが、あれは絶対未亡人だと一部男子の間では有名になっていた。癖毛で髪がうねっているのと、元々白衣がややくたびれているのがそれを後押ししていたかもしれない。
今の俺からすれば女性というだけで不信に…………と言いたい所だが、窮地を脱せたのは他ならぬ女子なので、なんとも言えなくなってしまった。ベッドの上から動けない訳じゃないが、身体に力を入れるとあちこち痛くて、動く気が失せた。
「あんまり動かない方がいい。骨は奇跡的に逝ってないみたいだけど。全身痣だらけだから。頭もたんこぶが出来てるし、一番痛いのは恐らく股間だろ。青あざがこれ以上ないってくらい出てる」
「………………何で、ここに」
「同じクラスかな、女子が三人駆け込んできて、君を運んできた。今日は何やら騒がしいな……部活の音だけじゃなくて、バタバタしてる。今日は本当に……落ち着かないね」
粗末な回転椅子に座ってコーヒーブレイクを堪能している。マグカップに置き皿まで用意して気合の入れ方が違う。養護教諭なのにまるで優雅な令嬢の昼食……は無理があるか。まずそんな年じゃない。
「……先生は、俺が好きじゃないんですか?」
「は?」
「いや…………何でもない……です。もう」
ナンデモイイ。
痛みと共に、心が疲れている。大体俺の質問の仕方も変だ。だけど男子の言い分を信じるなら女性の先生もおかしくなっている筈で……だったら質問はまともと言えるか。言えるか馬鹿たれ。
「…………包帯は大袈裟じゃないですか?」
「それは痣を舐めてるね」
全身を覆う冷たさは少しも気にならない。湿布とか軟膏とか、とにかく俺の身体はありとあらゆる対処法が施されているのだろう。全治何か月という次元ではないだろうが、数日はこのままか。
「………………先生。お願い。いいですか」
「内容による」
「隼人……央瀬隼人を探して……きてください。お願いします。アイツの事、心配で」
「心配ね。私が一番心配してるのは重傷の君だが。生徒の捜索なら一応仕事の範囲内だな。ああ、分かった。ここに連れて来ればいい?」
「…………おねがい、します」
「じゃあ大人しくしてるように。はあ……騒がしい所、嫌なんだけど」
知尋先生の退出する音が聞こえる。彼女の言う通り、耳を澄ませると学校全体が騒がしい。外から聞こえるのはテニス部とか陸上部とかサッカー部の活動……だろうか。それにしては声とかが大きい。剣道部の掛け声みたいだ。
上の階からはバタバタと駆け回る音、はるか遠くの方では吹奏楽部の楽器の音。静かにしていなければ聞こえない音。俺が聞こうともしなかった音。確かに煩いのだが、こういう日常の音こそ、何より俺が求めていた物ではないだろうか。別に特別な事は必要ない。ただ何となく煩い、何となく聞こえる。代わり映えのない日常の中で道端の草の如く存在してくれればそれで良かった。
―――現実、なんだよな。
分からない事だらけだが、これは絶対に現実だ。夢なんかじゃない。流石に全身をボコボコに殴られたら自覚する。現実逃避などしている場合じゃない。問題なのは現状の自覚と、解決策の模索ではないだろうか。
まず俺は、理由は分からないがモテている。そのモテ方はハッキリ言って異様だ。態度に出す女子も居れば遠巻きに反応する女子も居る。担任の先生がどういう経緯か俺の存在を彼女に教えたらフられたというのも気になる。
じゃあ俺は女子に守られて絶対に安全なのかというと、そうとは限らない。丹春を強く拒絶したら危うく俺は殺される所だった。なら受け入れればいいのか。そんな単純な話だろうか。余程女性が好きなら楽だろうが、特に好きでも何でもない女子の強烈な想いを受け入れ続けるのはストレス以外の何者でもない。悪質なストーカーを無制限に抱え続ける様な物で、その精神的負荷は想像したくもない。
俺の道は二つ。
・まじないが原因だとは思っているが、何とかしてこのデスマッチなハーレムを解消する。
・全部受け入れて、周りに迷惑を掛けない為に自殺する。
大真面目な選択肢だ。真剣に考えている。解決策のかの字も見えない中でこの選択肢が浮かぶのは当然だろう。学校の勉強をどれだけやってもこの問題に対する正解は見えてこない。今まで、ただ勉強だけを頑張って親の言う事に従っていればそれなりの人生を約束されると思っていたがそれはあらゆる意味で間違いだった。両親とてこんな異常事態には付き合ってくれないし、勉強でどうにかなる分野じゃない。頼れる隼人は目の敵にされて、揺葉は遠くに居るのでそもそも何も出来ない。
でも、死にたくない。
死にたいと思う事はあってもやっぱり死にたくない。痛いのは今回きりにしてほしい。
ガララッ。
「…………硝次。大丈夫か?」
「隼人…………お前こそ」
しかし見たところ、怪我はない。対する親友は変わり果てた俺の姿を見て深々と頭を下げた。
「ごめん。俺のせいだ」
「な、何言ってんだよ。お前は狙われてたんだろ。それに、お前からクラスに頼んで報復させた訳じゃないって分かってる。そんな奴じゃないもんな」
「でもアイツ等の愚痴に親身になったのは俺だ。それで勝手に……俺がお前を恨んでるって思ったのかもな。全部俺のせいだ。お前と距離を取ればって自分の事ばっかり考えて――――――ごめんなさい」
「い、いいって。やめろよ謝らないでくれよ…………女子を向かわせてくれたのお前だろ。お陰で助かった。だからもし恨んでたとしても、それでチャラだ。ありがとな…………ほんと」
お互いがお互いに対する罪悪感を抱いているせいで会話が少しぎこちない。保健室には二人だけしかいないのに。まるで、誰かが聞いている様な慎重さだ。
「俺……よく覚えてないんだけど、俺をリンチしてた奴らは結局どうなった? まさかマジで殺されてるとか……言わないよな」
「さっきまで隠れてたから俺は知らねえよ。急に知尋先生に開けられてマジビビった……つかお前、知尋先生には何もされなかったのか?」
「何か……興味なしって感じだった。俺にも分からねえよ。何なんだほんと……」
とっとと帰りたいが、この身体ではたとえ隼人に引っ張られても帰れないだろう。
「揺葉もさ、影響受けてないよな」
「ん? ああ……そう言えばそうだな。でも電話越しだしな。もう会ってない時間のが長いだろ。馴染みとは言うけど馴染んでない時間のが長いって冗談みたいな状態だ」
「まあな。俺も小学校の頃の顔しか覚えてねえよー。アイツ、ネットリテラシーがどうとか言い出して顔出したりしないもんな」
「この前うちの文化祭の写真ネットに挙げて問題になった奴いたし、割と正しい気はするけどな」
とは言うが、俺達はリテラシー以前にそこまで活用していない。なので揺葉も俺達の事は昔の顔を思い浮かべながら話しているだろう。
――――――ん?
「もしかして、顔を知らなきゃ大丈夫なんじゃないか?」
「は? でも知尋先生はどう説明すんだよ」
「相貌失認みたいな…………」
「お前なあ……自分の仮説を補強したいが為に変な可能性を出すのはヤバいぞ。顔を知らなきゃ大丈夫って。そりゃそうだろ。顔が分からないなら一目惚れすらあり得ないしな」
「いや……有り得ないとは、限らない、んじゃないかな」
考えてみると、知尋先生は女子三人とアイツ等を一くくりにしていた。それに、俺の事を一度も名前で呼んでいない。所詮養護教諭が生徒の名前を憶えている筈がないという理屈は……どうだろう。教師事情が分からないので何とも。しかし隼人の方は有名なのでその友人として俺の苗字くらいは分かるのではないだろうか。
そう考えると、俺は『央瀬隼人』というフルネームを出したので先生は生徒の一人と認識したという説明もできる。彼にそう伝えると、考え込むように俯いた。
「…………まあ、顔が認識出来ないなら。そうか。直接聞くのもあれだし、後で確認するか……あーもう! 雰囲気が暗えよ! 何で窓にまでカーテン掛かってるんだ! 開けるぞ!」
隼人が乱暴な足取りでカーテンに手を掛けて、遮断していた光を全開に開放する。
正にその瞬間。
グシャッ。グシャッ。
何が落ちて来たと認識する暇もなく、肉の塊が落下。バラバラになった肉片が勢いよく飛び散り、保健室の窓にも張り付いた。
「ひっ…………!」
「…………マジ、か!」
その後も次々と肉塊が落ちてくる。その度に窓に破片がぶつかって、砂ぼこりでお世辞にも綺麗と言えなかった保健室の窓が瞬く間に血肉臓腑で塗りたくられる。
「―――な、何してるんだ!」
隼人は逃げるよりもむしろ窓を開けて、外側に居る人間に怒鳴り声をあげていた。アイツが怒るのを初めて見た気がする。それにしても彼の一言に対する反応は何倍にもなって返ってくる。外にはどれだけの人数が集まっているのだろう。
「あーみんなー! 一人一個持ち帰って、各自捨ててくれるー? ごめんねー! 場所が無くてー!」
「そいつら硝次君襲ったカスだから! 別にその辺捨ててもいいよー♡」
「二人共、早く帰りなさい」
外からの狂気に身を固めていると、いつの間にか知尋先生が戻ってきている事にも気づかなかった。先生は窓の外の景色を見て、溜め息をついている。
「警察来てうるさくなるからさ。早く帰った方がいい。今タクシー手配したから、重傷の君はそれで頑張れ」
「…………………………じ、事情聴取とか。え。あ、ちょ。ま、お。俺は残った方が……」
「ああどうせ、事件性とかないから。損をしたいだけならご自由に」
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