比翼連理に夢想中

「美味しい?」

「……うん。美味しい」

 普通に食事をしている、夜七時の事。カラオケでたくさん食べて来たからそこまで食べられないなんて、そんな舐めた事を言い出せる雰囲気ではなかった。丹春には殺人未遂の前科……前科はないが……とにかくそれをやらかした過去がある。過去と言っても今日の朝の出来事だが。命の危機を感じた時、人はどうしてか体力を使う。流石に腹ペコとまではいかないが、満腹など嘘の様にお腹が空いてしまった。お腹が空かないといけなかった。いつその包丁が俺に向くかと思うと家なのに冷や汗が止まらない。

 幸い、丹春は高校生にしてはかなり料理が上手で―――と言っても食べているのはビーフシチューだが―――普通に食べられる。文句のつけようがないという表現はまずかった場合文句をつける意の裏返しなので、そちらは正しくない。この状況で文句をつけられる肝があるなら俺はまず困っていないのだ。

「でさ。マジなの。俺の両親が出かけた話」

「本当だよ。あ、もしかして不法侵入したとか思ってる? やだー。まるで犯罪者みたいじゃない。心配しなくてもそんな事しないよ。だってそんな事しなくても硝次君はお家に入れてくれるもんね?」

「俺が許可出す前に勝手に居たんだけど」

「それはだって、帰りが遅かったから」

 話が通じるような通じないような状態をずっと繰り返されていると俺もどうしていいか分からない。人間が真に恐怖出来るのは理解不能で対話不能の怪物と言われているが、彼女達はちゃんと理解している様に見える。対話出来ている様に見える。だが全て見せかけだ。俺の言いたい事は伝わっていないし、伝わっていないなら対話も出来ていない。何処かズレている。

 相手が普通の人間なら話題を修正すればいいだけだが、相手は危険度マックスの女子。些細な否定でも殺される不安がある。作為的に対話不能を演じているならまだ良い方だが、この様子だと本気で会話が出来ていると思い込んでいる。よく考えて欲しい。勝手に家に居た理由に『帰りが遅かったから』は説明になっていない事に。

「……なあ丹春。隼人の事好きじゃないんだよな」

「え、全然好きじゃないよ。あんなの。別に嫌いって訳でもないけど」

「あんなの……」

 今までの女子なら考えもつかない発言だ。人気者をあんなの呼ばわりか。そんな風に呼ばれるのはどちらかというと俺だったと思うが。第三者の意見を聞きたい所だが、頼れる第三者こと家族が何処にもいない。携帯にもメッセージを送ってこない。何のつもりだろう。

「じゃあさ、俺の何処を好きになったか言える?」


 カチャン。


 丹春が箸をおいて、膝に手を置いた。

「どうしてそんな事を尋ねるの?」

「……気になるじゃん。好きになってくれてるのは……嬉しいけどさ。自分の何処が好きなのかも分からないままなのはどうなんだ? ぱ、パートナーとして」

「…………パートナー!」

 言葉選びは大正解だった。彼女は頬に手を置いて熱を測る様に、照れ隠し気味に首を振って俯く。

「もう、照れちゃう♪ これは、あれでしょ? 硝次君、私が浮気するかもって心配してるんでしょ!?」

「え。いや、ちが―――」

「そんな心配しなくても私は硝次君一筋なのに。心配性だなあ。好きな所だよね。でも、結構難しいな。だって全部好きなんだもん」

「誰だって言えるじゃないかそんなの」

「しょうがないよね、本当なんだから! これって運命? 赤い糸? うふふ♪ うふふふふふ♡」

  

 ……何か、おかしいんだよな。

 

 おかしいのは元々というか、当たり前だ。幾ら俺を好きと言っても、そこに中身なんてある訳ない。彼女達はついこの前まで隼人に夢中だったのだ。それがおまじないを経て何故か『俺が好き』になったのだから中身が生まれる道理がない。

 だからどんなに運命だの一途だのを示されても、俺には信じられない。

 ビーフシチューは美味しかったので綺麗さっぱり片付けてしまった。食べ物に罪はないので幾ら相手が危なくても残す理由にはならない。

「……気が済んだら帰ってくれないか?」

「え?」

「お前の言葉は信じられない。一緒に家に居るだけで吐き気がしそうだ」

 刺激するなと隼人は言ったが、だからって肯定し続けるのも問題だ。俺は彼女を好きでも何でもない。ずっと家を占領されても困る。だから思い切って言ってやった。これで俺の命が危険に晒される様なら今度こそ警察の出番だ。もう勘違いとは言わせない。

「―――どうすれば信じてくれる?」

「信じられない。どうやっても」

「そっかー。じゃあ私が帰るって言っても信じてくれないよね。うん、だったら帰らない!」

 

 俺の拒絶を意にも介さず、丹春は背中を向けて後片付けを始める。まさかそんな風に言い返されるとは思わなくて俺の方が狼狽してしまう。もっとインパクトのある反応を求めていたのに、こんな流され方はない。

「い、いや! 帰れよ! 皿洗いはこっちでするから!」

「だーめ! 硝次君はゆっくりしてて? あ、お風呂入ってきてもいいよ。もう準備してあるから」

「か、帰れって!」

「~♪」

「帰れよ!」

「~♪」

「かああああええええええええれええええええええええ!」

「疲れてるんだね~!」

「うわあああああああああ!」

 頭に血が上って、気づけば丹春の手を掴み壁に押し付けていた。こんなに人に対して苛立った事はない。取り合ってもくれない、理解しようともしてくれない、俺の気持ちなんて一ミリも考えてない。吐き気がする。頭が痛い。アポカリプスみたいな性格の女子なんて出会いたくなかった。

「ふざけんなよ! 俺の事が好きだってんなら少しはこっちの話を聞いてくれよ! 帰れ今すぐ出てけ二度と俺の視界に入るな俺の近くで喋るな金輪際家の敷居を跨ぐなああああああああああああ―――むぐ」


 必死の叫びも届かない。唇同士が重なって、あらゆる暴言がファーストキスの外連味に早変わり。


 突然のキスに動揺した所を今度は逆に押し倒される。丹春は飽くまで微笑みを崩さず、しかし今度は包丁を口の中に突っ込んで。わざわざ舌の上で止めた。

「今すぐ出て、視界に入らなくて、喋らなくて、この家の敷居を跨がなかったらいいの?」

「…………え?」

「硝次君、私の旦那様になってくれる? 今のって結婚の条件って事だよね?」

「……えっ。えあああ。ああえええ!」

 何でそうなる!

 口の中に刃物が入っているのでろくに喋れない状況だが、喋った所で誤解が解けるとは思えない。丹春の眼はハートマークが浮かんでいるみたいに蕩けている。声音は熱っぽい湿っぽさを帯びて、手持無沙汰の手がさわさわと俺の脇腹を撫でている。

「高校生で結婚なんて駄目だけど、硝次君がそれで結婚してくれるなら……いいよ? だってそうとしか思えないでしょ。私が今日危ない日だって知ってたんだから♡ えっち♡」

「………………………」

「大丈夫。お世話してあげるから! えーと、視界に入らない為には硝次君の眼を抉る必要があって、喋らない……聞こえなければいいんだから耳を落とす? 鼓膜を破ればいいんだっけ? それでそれで、この家が出入り禁止だから私の家に捕まえて―――うん♪ 問題なし!」

「あああええええええ! あああええええおおおおお!」

「ちょっと痛いかもしれないけど、私はどんな姿の硝次君でも愛してるからね! 二人の子供、たくさん作らないと!」

 包丁が口の中から引っ込んだ所で、俺は食い気味に言葉を重ねた。

「ごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめん! うそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそ! 全部冗談! え、エイプリルフールと間違えただけ! だ、だから許して! お願い!」

「? 怒ってないのに、変な硝次君。嘘なら嘘でいいんだよ、私だって高校生の分別はついてるもん。ほーら、早くお風呂入ってきて。それとも一緒に入りたいから待ってる?」

「いや! 入ってきます!」

「照れちゃった♪ あ、そういう所好き!」

 

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