本能的恋の抑止力

「おいっすー。硝次、おはよ」

「隼人。おはよう」

 親友が陸上部に所属している関係……はないが、ただ話したいからという理由で俺はいつも早めに登校する。八時にHRが始まるので、大体七時には教室で彼を待っている。家にあんまり長居する理由もないし、友達との雑談は楽しい。腐り果てていた俺の生活習慣が改善されたのも隼人のお陰と言えばそうなるので、家族もこれを辞めさせる理由がない。妹は寂しがっていたが。

「いやー疲れた疲れた。朝練って効率が良いとは思えないんだよな……眠いし。つか、朝弱いだけなんだが」

「それでよく怪我しないな。大丈夫か?」

「へーきへーき。これでもクラスのスポーツ大将だぞ? 流石に大会前とかは頑張って調整するけどこれくらい何ともないぜ。今日はなんか楽だったしな」

 奇跡的な幸運により、席の位置は俺が教室の隅で、隼人がその一個前。だから話す時はいつも彼は椅子の背もたれを腕置きにして跨ぐように座る。陸上部の朝練は切り上げるのが早い方で、後もう数分もすれば他の部活に所属するクラスメイトが続々と帰還してくる。この少しの時間を俺達は『0時限目の休み時間』と呼んでいる。

「楽って? 夏なのに楽とかないだろ」

「いやさ、いつもは部活終わりに女子が告白待ちで立ってるとかあるんだよ」

「うわ。朝から嫌味かよ」

「いつもの事だろ。今更なんか言う事かよ。どうせ断るから気にしてないよ。でも今日は無かったんだ。俺としては、そっちの方が不思議なんだよな」

 隼人は本当に嫌味を言っていないが、嫌味に聞こえかねない言い草なのは間違いない。だけれど告白を受けるのは日常茶飯事で、俺も嫌味でないと知っている。お決まりの返しみたいなものだ。

 確かに告白がなかったのは不自然極まる。俺達は現在高校二年生だが、それまでの間彼が告白を受けなかった日など一日として存在しない。一切の誇張抜きで、何人もの女子が粘り強く告白を繰り返すのだ。隼人が良くも悪くもそれに対して何の印象も持っていないから成立する悪循環。

 告白に失敗したら友達付き合いも出来ないという考えは間違いだ。隼人に限ってはその後も分け隔てなく接してくれるし、告白を茶化す様な真似はしない。ただ断っているというだけ。本人が茶化さないので他の男子も茶化す真似はしない。告白もされていない癖に人の勇気を嗤うのは流石に惨めだからだ。

「お前なんか知ってる?」

「あー」

 おまじないが効果を見せるまで消極的になる戦法……? 俺にはさっぱりだが、バレたら台無しと言っていた様な気がする。

「いやー知らないな―。でもなんか、あれじゃないか? アプローチを変えたみたいな。消しゴムのカバーの裏に好きな人の名前を書いて一年……だっけ。バレなかったら成就するみたいなのあっただろ」

「その理論で行くと……俺の事を好きだというのが俺にバレなかったらみたいな? だけどアイツってもう二十回くらい告白してきてるんだけどな」



「おはよー!」



 0時限目の休み時間が終了した様だ。

 隼人を訪ねる様に入って来たのは昨日おまじないをしていた女子の一人こと砂羽角杏子さわすみきょうこ。吹奏楽部に所属するポニーテールの女子で、昨日俺を拉致した実行犯だ。

 彼女本人は活発で可愛らしい雰囲気もあるが、とにかく隼人以外への男子に対する当たりが強い。俺は無害なので例外中の例外として、基本的には男子の悪い所ばかり目につくしそれを声に出すせいであまり評判はよろしくない。

「おはよう、杏子」

「おはよう」

「………………」

 杏子は俺と隼人を交互に見る。何故? おまじないの事はばらしていないぞと顔で伝えても反応が薄い。いつもはお手本みたいな猫なで声で『隼人君♡』なんて言うのだが。

 杏子は自分の椅子を引っ張って俺達の間まで持ってくると、俺の机に腕を置いて、首を傾げた。

「硝次♡ おはよ♡」

「ん?」

「え?」


 我が耳を疑って、ついでに隼人を見る。


 見ようとしたが、杏子に首を戻された。

「おはよ♡ 元気だった?」

「あ………………はい」

「…………お、おお。よ、良かったな硝次。何か好かれてる……みたいで?」

「きょ、杏子? 俺への挨拶は……まあいいんだけど、さ。隼人はどうした?」

「ん? 何の事? 私は昔から硝次一筋だよ? ってもう、言わせんなバカ♡」





 嬉しいとか嬉しくないとか、それ以前の問題だ。





 めげずに告白を繰り返す女子は常々メンタルが強靭というより狂人でおかしいと思っていたが、いよいよ本当におかしくなってしまったのか。俺は狼狽する事しか出来ない。わざとブラウスのボタンを開けさせて控えめな谷間を見せつける行為も、手を握ってニコニコ笑う仕草も。それは隼人にしか見せなかったのではないのか。

「やだもう! 何処みてんのよエッチ♪」

「硝次、お前……この状況でよくそんな真似を」

「いや、ちが! だってお前これ……ええ? ええええ?」

 谷間をまじまじと見つめられて尚、彼女は満更でもない表情で顔を赤らめている。見たのは事実だが、それは思考を正常化する為に一先ず本能に従った結果だ。だがその反応を見て更に混乱している。


 ―――これ。あのおまじないのせいか?


「おはようございます。何やら騒がしいね」

 その後も続々と同級生が教室に戻ってくる。その一番乗りはやはりおまじないに参加していた女子こと桜良丹春さくらあかはる。校外学習では決まって年齢を間違えられるくらいの矮躯が特徴的な女子だ。隼人には一目惚れに近く、それ以来ずっと盲目的に彼女の席を狙っている。

「硝次君、おはよう。杏子ちゃんが何かした?」

「いや、何もしてないけど……えっと。丹春。俺の隣に何が見える?」

「……隼人君」

「丹春。おはようっ」

「おはよう……」

 反応が薄い!

 俺の知る丹春は隼人の顔も碌に見れず、隼人と鉢合わせするだけでろれつが回らなくなる初心な女子だった筈だが。もう至って普通。これ以上ないくらい淡白なやりとりが続いて、俺が一番平静を装えていない。

 モテる事が日常になっていた親友も、この状況には眉を顰めて静かに混乱していた。

「な、なあ丹春。お前って隼人の事好き……だったよな」

「え? 隼人を? どうして? 私はずっと硝次君が好きだけど」

「やだー丹春ってば尻軽ー。隼人が好きならそう言ってよ。遠慮してたんだけど、これでもう硝次は私のモノね♡」

「ちょ、何でそうなるの! 硝次君も出鱈目言わないの!」

「ご、ごめん」

 二人だけじゃない。続々と帰って来た女子が悉く俺に挨拶を交わしてきては隼人を無視する。ただならぬ状況だが他の男子は事の異常性に気づいていない。彼のモテ具合はいつもの事なのでよく観察していない奴には『俺は挨拶だけで済まされている』様に見えているのだ。

「…………ええっとお、お前のモテ期、なんか過激だな」

「いや。どう考えてもモテ期じゃないよこんなの! どうしたんだ二人共。あんなに好きだったのに!」

「や、いいって硝次。別に俺だってモテたくてモテてた訳じゃないんだ」

「あーお前。その言葉またも敵に回したな。お前のせいで誰とも付き合えない男子が今お前の敵になったぞ!」

「あはは。何だよ嫌味じゃねえって。確かに変な状況だけど親友がモテて俺は嬉しいよ。お前は良い奴だからな。どうせ良い目を見るならお前が―――」




 ドンッ!




 あらゆる音を叩き潰しかねない異音に、クラス全体が沈黙する。そして既に手遅れとなってしまった状況が全体に認識された。

 丹春が鞄に隠していた包丁を隼人の机に突き刺していたのだ。異音の正体は深々と鉄が天板に突き刺さった音。包丁は半ばまで埋まり、机下の棚で止まっていた。隼人はいよいよ両手を顔の横に挙げて、仰け反りかけている。 

「お前なんかが親友とかあり得ないんですけど」

「………………ちょ、な、おい。それはちょっと、シャレに」

「洒落じゃない。撤回してよ。隼人。ねえ。私の目の前でさ。撤回してよ。謝ってよ! 硝次君と一番親しいのは私! 理解してるのも私! この中の誰よりも私が知ってるの! ねえ、そんな私の目の前で親友とか! よくも言ったな!」



「謝れええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!」



  

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る