第四十三話・静かな激動

「ねぇ〜龍ちゃん。どうなのかなぁ〜」


「龍兄……そんなことがあったって……何で報告してくれなかったのです……?」


「そうなのか。仁。そうなのか。仁。そうなの――」



 真由美、麗奈、西園寺の三人の目には光がなかった。


 口々に何か言いながら龍仁に迫る絵は、もはやホラー映画である。



「ま、待て! あれは事故だ! 東雲もそう言ってたじゃねえか!」


「はい。あれは避けようが無かったと思いますよ」


「分かってるのです……」


「分かってるんだけど〜でもね〜……」


「仁の、仁の、仁の……うぅ……」



 キスは、酔った榊原先生による無意識の行動だと聞いても、それで納得はできなかった。


 かと言って、何をどうすればいいのか、その答えを持っている者は居ない。



「こうしたらいかがでしょうか?」



 堪りかねた東雲が四人に提案する。



「忘れましょう」


「えっ?」


「忘れるとは、どう言うことだ?」


「エミっち! それは無理なのです!」


「キスは事実だとしても、気持ちの入っていない、唇と唇が当たっただけの事故ですよ」


「気持ちが入ってない……そう言われると、何でもないような……」


「まゆちゃん! それでもキスはキスなのです!」


「しかし、避けようが無かったのだから、仁を責めるのはお門違いではないか?」


「うぅ……そうなのです……」


「そうだ。こんなのはどうです?」


「恵美ちゃん、いい考えがあるの?」


「かなり強引ではありますが、皆さんもキスしたらいかがですか?」



 東雲以外が、時間が止まったように動かなくなった。


 一番最初に動いたのは、龍仁だった。



「おいっ、東雲! 何言ってんだよ!」


「榊原先生だけがキスしたから皆さん混乱してらっしゃるのでしょう? でしたら、皆さんもキスしたら落ち着くのでは?」


「いやいや、そんなわけない――」


「いいかもね!」


「麗奈はその案に賛成するのです!」


「え? まゆ? れな?」



 西園寺は戸惑っているが、真由美と麗奈はその気になっている。



「しかしですね。意識がハッキリした状態で唇はどうかと思います。頬にかおでこと言うことで如何でしょう」


「そ、そうだな。それなら何とか……」


「う〜ん。よし! わたしはいいわよ!」


「麗奈もそれで手を打つのです」


「おい! 俺の意見は聞かねえのかよ!」


「佐々川くん。ここは二輪車倶楽部のためにお願い致します」



 普段そんなに笑顔を見せない東雲が、笑顔で龍仁を見つめる。



「わ、分かった。それが二輪車倶楽部のためになるなら」


「ありがとうございます。皆さん! 決まりましたよ」


「恵美ちゃんって〜強引だな〜……」



 普通に考えると有り得ない提案であった。


 だが、混乱状態であったのと、東雲の落ち着き払った口調に納得してしまった四人。


 椅子に座り、まな板の上の鯉となる龍仁。


 西園寺の、順番にするのは何か恥ずかしいとの意見で、一斉にキスすることになった。


 何かあればジャンケンで決めるという、もはや二輪車倶楽部のお約束によりキスする場所を決めた。


 麗奈と真由美が頬。西園寺がおでこにキスすることに決まった。



「では、私と健児さん、美春さんは外に出ていますね。見られているとやりにくいでしょうから」



 そう言って三人は部室を出ていった。


 四人だけになった部室。


 唇では無いが、それでもキス自体経験がない三人。


 誰も動き出すことが出来なかった。


 この状況を何とかしようと真由美が声を出す。


「じゃ、じゃあ〜三、二、一でキスしますよ!」


「分かったのです」


「よ、よし! いつでも来い!」


「では! 三! 二! 一!」



 麗奈と真由美が同時に龍仁の頬にキスをする。


 西園寺がおでこにキスをしようと顔を近づける。


 龍仁のおでこまで数センチ。


 しかし、西園寺の唇が龍仁のおでこに到達することはなかった。


 西園寺の靴が、床の小さな段差に引っかかった。その影響により膝が少し曲がる。


 西園寺の唇は、おでこではなく、龍仁の唇へと到達していた。


 三人は、誰が言うでもなく目を閉じていた。


 麗奈と真由美は、いま起きた出来事を見ていない。


 何かがおかしいと、そっと目を開けた西園寺。


 おでこにキスしたならば、そこにあるのは龍仁の頭頂部のはずだった。


 西園寺の目には映ったのは、龍仁の眼だった。


 超近距離で見つめ合う二人。


 何が起きたのか理解した西園寺は、静かに離れていく。


 数歩後退ってから、全身を真っ赤にしてフリーズした。



「やっぱり、ほっぺでも緊張しちゃうね」


「ドキドキしたのです……」


「龍ちゃん、ありがとっ!」


「うん? 龍兄とナナちゃんが固まってるのです」


「あっ、あぁ、こ、これで良かったのか……?」


「うん! 少しスッキリしたよ!」


「今回は事故だったから許すのです」


「あれ? 七海ちゃん?」


「ナナちゃん? ほっぺにキスで固まるとは、さすがなのです」



 そこへ高崎、東雲、美春が入ってくる。



「終わりましたか?」


「あっ、恵美ちゃん。ありがとね! おかげで少し落ちついたよ」


「麗奈は落ち着かないのです。ドキドキが止まらないのです」


「う、あ、え、う、い、き、きす、した……」


「七海さん? なぜカタコトなのです?」


「七海ちゃんって、二輪車倶楽部で一番ウブなの」


「そうなんですか。それでこの状態なのですね」



 事実を知らない三人は、西園寺がおでこにキスで固まったと思っている。


 西園寺がそれを訂正できるはずもなく、それは龍仁も同じであった。



「では、今日はここまでにしましょうか。明日から文化祭の準備にかかりましょう」


「そうだね。明日から皆んなで頑張ろう!」


「頑張るのです!」


「頑張るぞ〜!」


「おっ、おぅ。頑張ろうぜ」


「が、がんばる……わたしがんばる……」



 龍仁と西園寺以外はスッキリした表情で帰路につく。


 少し遅れて歩く二人。龍仁が西園寺に、小さな声で話しかける。



「あぁ〜、七海」


「にゃ、なんだ、仁……」


「何て言うか、気にすんな」


「い、いや、仁……それは無理だ……わたしは、仁のことが好きなんだ」


「お、おぅ……」


「好きな人とのキス……気にしない訳がないだろう……」


「そうか……」


「じ、仁はどうなんだ? 気にしないのか? わたしとのキスは何とも思わないのか?」



 そう言って龍仁を見る西園寺。その瞳は潤んでいた。


 龍仁は、その質問に対する明確な答えを持っていなかった。


 しかし、西園寺の潤んだ瞳を見て、何か答えなくてはいけないと察した。


 龍仁は、今答えられる思いを素直に答えた。



「何とも思わないわけねえだろ……」


「そ、そうか……少しは思ってくれたなら嬉しい……」



 先ほどの落ち込んだような表情から、一転して笑顔で龍仁を見つめる西園寺。


 まだ少し潤んだ瞳の西園寺に見つめられ、胸が激しく鼓動するのを感じた龍仁。



「今は、一方的に気持ちをぶつけているのは分かっている」



 龍仁のシャツを掴む西園寺。



「それでも気持ちをぶつけないと、仁の心の扉は開かないのだろ?」


「心の扉……」


「わたしの心の扉は開いている。仁のためだけに……」


「七海……俺は……」


「さて、明日から文化祭の準備だな。仁! 頑張ろう!」


「あぁ、頑張ろうぜ」



 連日のハプニング、七海から伝えられた今の気持ち。


 恋愛感情欠落者と呼ばれている龍仁に、今までに無い感情が湧き上がったのか。


 激しい胸の鼓動がそれを証明しているのか。


 それを龍仁が感じ取れるようになるには、まだ足りない何かがあるのだろうか。


 麗奈、真由美、西園寺、榊原先生、彼女たちの中に、その足りない何かが眠っているのかもしれない。

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