第十七話・兆し

 真由美がプールから搬送されて二時間が経っていた。

 

「軽い脳しんとうだと思われます。身体に重大なダメージはないようです」

 

 榊原先生が医師から説明を受けている。

 

「では、特に心配するようなことはないんですね」

 

「そうですね。発見から救助まで早かったようですし、肺に水も見当たりません。とは言え、安静が必要です。入院して様子観察しますが、まず心配ないでしょう」

 

「わかりました。ありがとうございます」

 

 診察室を出て、みんなが待つ控え室へ向かう。

 

「なにやってんだろ、わたし。生徒を危険な目にあわせるなんて……」

 



「あっ、先生。まゆちゃん大丈夫なのです?」

 

 とても心配そうな顔で麗奈が立ち上がる。

 

「うん。心配ないそうよ」

 

「良かったのです……」

 

 ポロポロと泣き出す麗奈。

 

「龍仁の救助が早かったからだな」

 

「ささっち~泳げないんでしょ~?」

 

「体が勝手に動いたんだよ。で、その後ぶっ倒れちまった」

 

「仁まで倒れてて心配したぞ」

 

「み、みなさん……」

 

 榊原先生が神妙な顔で話し出す。

 

「ごめんなさい。先生がちゃんと見てなかったから……」

 

「先生のせいじゃねえよ。気にしなくていいって」

 

「で、でも」

 

「仁の言う通りだ。誰が悪いわけでもない」

 

「先生は何も悪くないのです」

 

「大丈夫だよ先生。誰も先生のせいだなんて思ってないからさ」

 

「そうだよ~気にしなくていいよ~」

 

 力が抜けたように座り込み、泣き出す榊原先生。

 

「あらぁ、先生泣かないでくださいよぉ」

 

 美春が横について抱き締める。子供をあやす母親のような表情で。


「ところで龍仁」

 

「なんだ?」

 

「本当に大丈夫なのか?」

 

「あぁ、何ともない」

 

「一緒に溺れたのかと思ったよ」

 

「医者が言うには、精神的負担ってやつらしい」

 

「納得だ。お前には相当な恐怖だったろうからな」

 

「そう言えば、仁は泳げないのだったな」

 

「あの時は何も考えてなかったんだよ」

 

「本当に自分のことは二の次なのだな。わたしの時もそうだったな……」

 

 プールで倒れている龍仁。そして、祭りの夜の光景が浮かんできた。

 

 西園寺の顔が険しくなる。

 

「仁! もう少し自分のことも考えてくれ!」

 

「お、おぅ」

 

「人助けは悪いことではないのだが……心配する者の身にもなってくれ!」

 

 そう言うと控え室を出ていった。その目にはうっすらと涙が光る。

 

「西園寺の言う事はもっともだな」

 

「ナナちゃんの気持ちが、麗奈には痛いほど分かるのです」

 

「そうだねぇ。七海さんに謝っておいたらどうかなぁ」

 

「わ、わかったよ……」

 

 重い足取りで控え室を出ていく。



 

 控え室から少し離れたところに七海がいた。

 

「な、七海。心配させちまって悪かったな」

 

 背を向けたまま何も言わない。

 

「何て言うか、体が勝手に動いちまうんだよ」

 

 振り向いたその目には、涙が溜まっていた。

 

「そこが、仁の良いところでもある……。だが、一歩間違えば……」

 

「今度からは、もう少し考えることにするよ」

 

「本当だな。約束してくれるか?」

 

「わかった……できるだけな」

 

 西園寺が龍仁の胸元に飛び込む。

 

「約束してくれ! 嫌なんだ! 仁を失いたくないんだ!」

 

 泣きながら叫ぶ。

 

「な、七海……」

 

「好きなんだ……」

 

 その言葉と同時に病院の館内放送が流れた。

 

「んっ? 何て言ったんだ?」

 

 思わず言ってしまったことを後悔するとともに、恥ずかしさで全身真っ赤になる。

 

 そして、龍仁に抱きついていることに気付く。

 

「いや、あ、あれだ! 約束しろと言ったのだ!」

 

 慌てて龍仁から離れる。

 

「わかった。ちゃんと考えるようにするよ」

 

「よろしく頼む……」

 

 恥ずかしさのあまり顔が見れない。

 

「み、みんなのところへ戻ろう」

 

 走って控え室へ戻る西園寺。

 

 残された龍仁が、胸に手を当てる。

 

「何だろう、これ……」

 

 龍仁には、鼓動が早くなっている理由が分からなかった。

 

「そう言えば前にも……」

 

 思い出したのは、クロに結婚しようと言われた時のことだった。

 

「まっ、いいか」

 

 龍仁も控え室へと戻る。


 控え室に二人が戻ったところで帰ることになった。

 

 駐車場に着き、助手席には美春が乗り込んだ。

 

 まだ少し落ち込んだ榊原先生。

 

 榊原先生を慰めている美春。

 

 何となく落ち着かない西園寺。

 

 真由美が心配でおとなしい麗奈。

 

 何も考えていない高崎。

 

 落ち着いた様子の南藤。

 

 疲れて寝ている龍仁。

 

 これと言った会話もないまま学園に着いた。


 


「先生は明日も病院行くけど、誰か行くのなら車出すわよ」

 

 龍仁、美春、麗奈、西園寺が返事をする。

 

「じゃあ、お昼過ぎに部室で待ち合わせしましょう」

 

 明日の予定を確認したところで解散となった。




 目を覚ます真由美。

 

 時計は二十一時を示していた。


「あれ? ここは……」

 

 天井を見ながら考え込む。

 

「そっか……わたし、溺れたんだ」

 

 水面を見ながら沈んでいく光景を思い出す。

 

「助かったの?」

 

 上半身を起こし周りを見渡す。

 

 そして、薄れいく意識の中で見た人影が浮かぶ。

 

「龍ちゃん……じゃないよね……」

 

 同時に涙が頬をつたう。

 

「諦めてないじゃない……」

 

 真由美は思い出していた。

 

 沈みゆくなかで、龍仁への想いが浮かび上がっていたことを。

 

 両手で布団を強く握りしめる。

 

「伝えなきゃ……もう、後悔したくない」

 

 出逢ってから今までのことが脳裏に流れていた。

 

「みんなを騙してたこと……許してもらえないよね……」

 

 悲しげな表情。涙の量が増えていく。

 

「わたしが悪いんだから、仕方ないよね……」

 

 涙を拭うと横になった。

 

 窓の外を眺める。そのうちに瞼を閉じ、再び眠りについた。




 翌日の病院駐車場。

 

 五人が車から降りる。

 

「先生。もう少し元気な顔するのです」

 

「そうだよね……彩木さん心配させちゃダメだよね」

 

「きっとぉ、真由美ちゃんも気にしてると思うよぉ。みんなに迷惑かけたぁ、とか言いそうだものぉ」

 

「まゆちゃんなら言いそうなのです」

 

 龍仁と西園寺の二人は三人の後ろを歩いていた。

 

「仁、一つ聞いてもいいか?」

 

「なんだ?」

 

「前に、クロの話があっただろ?」

 

「あぁ、あの話か」

 

「仁は何と呼ばれてたのだ?」

 

「りっくんって呼ばれてたな」

 

「それを誰かに言ったことは?」

 

「言ったことは無いかもしれねえな。それがどうかしたか?」

 

「いや、何かヒントになるかと思ってな」

 

「別に探すわけじゃないから、気にしなくていいだろ」

 

「そうだな……」

 

 西園寺は考え込み、その後は会話することもなく、みんなの後について病室へと向かった。




「ま〜ゆちゃ〜ん! 麗奈が来たのです!」

 

 場が暗くならないように元気に入る。

 

「まゆ、どうだ?」

 

「うん。大丈夫よ」

 

「無事で良かったねぇ」

 

「ごめんね。みんなに迷惑かけちゃって……」

 

「ほぉらねぇ」

 

「思った通りなのです」

 

 キョトンとした顔の真由美。

 

「えっ? 何が思った通りなの?」

 

「まゆちゃんなら、そう言うだろなって話してたのです」

 

 真由美の顔が少し曇る。

 

「みんなに迷惑かけたのは事実だから……」

 

「そんなことないわよ。彩木さんは何も悪くないのよ」

 

「誰が悪いって訳じゃねえからな。真由美が謝る必要なんてねえよ」

 

「うん。ありがとね」

 

 真由美が頼りなげな笑顔で返す。


「そうだ」

 

「まゆちゃん、どうしたのです?」

 

「わたし、どうやって助かったの?」

 

「それはだな……仁が飛び込んで救助したのだ」

 

「えっ? うそでしょ……」

 

 龍仁の顔を見る。龍仁は、視線を窓の外へ向けていた。

 

「龍ちゃん、潜れないんでしょ?」

 

「気がついたら飛び込んでたんだよ」

 

「何てことするのよ! 龍ちゃんまで溺れたらどうするのよ!」

 

「七海にも散々怒られたよ」

 

「あっ、ごめんなさい。助けてもらって怒るなんて……。でも、自分のことも大事にしてほしいの」

 

「今後は気を付けるよ」

 

「うん」

 

 言い過ぎてしまったと感じた真由美は下を向く。

 

「龍ちゃん……助けてくれた事には、とても感謝してるよ。ありがとう……」

 

「あ、あぁ」

 

 何となく気まずい空気が流れる。

 

「とにかく、まゆちゃんも龍兄も無事でよかったのです!」

 

「そうだねぇ。今はぁ、素直に喜んで良いんじゃないかなぁ」

 

 麗奈と美春のおかげで、少しだけみんなの表情が緩む。

 

 その後は何気ない会話をし、真由美から笑い声も出るくらいに和んだ。


 

 

「じゃあ、そろそろ帰りましょうか」

 

「そうだな。まゆを疲れさせては申し訳ないからな」

 

「疲れるなんてことないよ。みんなに元気もらったよ」

 

「元気出たなら良かったのです」

 

「安静にしてぇ、ゆっくり休むんだよぉ」

 

「うん。みんな、ありがとね」

 

「早く戻ってこいよ。真由美が居ねえと麗奈が淋しがるからな」

 

 笑顔で出ていく龍仁。榊原先生と麗奈も後に続く。

 

 西園寺と美春は少し遅れて病室を出た。

 

 真由美は、閉められた病室の扉を、無表情で眺めていた。




「美春」

 

 病室を出てから、静かなトーンで西園寺が呼びかける。

 

「何かなぁ?」

 

「仁が、クロに何と呼ばれていたか聞いた事は?」

 

「それは聞いた事ないかもぉ」

 

「誰にも話してないと言うのは確かなようだな」

 

「という事はぁ、真由美ちゃんもぉ、聞いてないんだよねぇ?」

 

「そうなんだ。まゆだけが知っているのは不自然なんだ」

 

「もし真由美ちゃんが聞いてたのならぁ、私や麗奈ちゃんにも話してると思うのぉ」

 

「りっくんと呼んだのは、まゆがクロだから。そう考えると腑に落ちる」

 

「どうしようかぁ?」

 

 病院の廊下を歩きながら難しい顔をする二人。

 

「分からないのだ。長い間誰にも言わないのには、まゆなりの理由があるはずだ」

 

「そうだねぇ」

 

「だが、このままでは良くない気がする。まゆが、今も仁のことを好きなのだとしたら……」

 

「今の状況はツラいだろうなぁ。でもぉ、七海さんはいいのぉ? 真由美ちゃんがぁ、ライバルになるかもしれないのよぉ」

 

「まゆは大事な友達だからな。ライバルになるとしても、それは受け止める」

 

「そっかぁ。友情と恋の板ばさみだねぇ。難しい問題だなぁ」

 

「今は、解ける気がしないな」

 

 駐車場に着き、車に近づいた。

 

「まゆと話せる機会があれば良いのだがな」

 

「三人でぇ、ゆっくり話してみたいねぇ」

 

「その時はよろしく頼む」

 

「頼まれたよぉ」

 

 三人に遅れて二人も車に乗り込んだ。



 

 学園に着き、四人を降ろして榊原先生は帰った。

 

「先生、大丈夫かな」

 

「龍兄が心配しなくても大丈夫なのです。昨日よりは元気になってたのです」

 

「ならいいんだけどな」

 

「いいのです。さて、麗奈たちも帰るのです」

 

「そうだな。今日のところは帰るとしようか」

 

「そうだねぇ。帰るとしますかぁ」

 

 手を振りながら帰る四人。この日はここで解散となった。


 


 真由美がプールで溺れたことで、龍仁を巡る恋愛模様に一つの変化が訪れようとしていた。

 

 龍仁の気持ちにも変化の兆しが見え、今までの恋愛感情欠落から一歩進んだようでもあった。

 

 まだ恋と言うには小さい変化だが、恋を知るための大事な変化であった。

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