第十五話・プール前夜

「暑いなぁ……」

 

 うちわでダルそうに扇ぐ龍仁。元倉庫の部室には、もちろんエアコンなどない。

 

「せめて扇風機が欲しいのです……」

 

 ぐったりしている麗奈が、消え入りそうな声で要望を伝える。

 

「今日は風もないからサウナ状態だね」

 

 真由美は下敷きをパタパタさせている。

 

「これはさすがに耐えがたい暑さだな」

 

 西園寺は優雅に扇子を振っている。

 

「もう無理なのですー!」

 

「れなちゃん。騒ぐともっと暑くなるよ」

 

 その時、部室入り口に人影が現れる。

 

「ふっふっふ、お困りのようですね」

 

 部室入り口に現れたのは榊原先生。その手には袋がぶらさがっていた。

 

「さあ、みんな! アイスの差し入れよ!」

 

「先生大好きなのですー!」

 

「そいつはありがてえな」

 

「イチゴのかき氷あるかな」

 

「ありがたい。これで少し生き返るな」

 

 四人がアイスに群がる。

 

「アイスの他にも差し入れがあるわよ。さあ、やっておしまい!」

 

 榊原先生の合図で作業員が入ってくる。

 

「な、何が起こるのです?」

 

「理事長に直談判して、エアコンを設置していただくことに成功しました!」

 

 全員から称賛の拍手が送られる。

 

 そして、作業員はすばやくエアコンを設置し、疾風のように去っていった。

 

「はやくはやく! はやくエアコンを動かすのです!」

 

「よし! エアコン起動!」

 

 龍仁がエアコンのスイッチを入れる。低い機械音とともにエアコンから風が出てくる。

 

「よし! 動いた!」

 

「龍兄……暖かい風が出てるのです……」

 

「龍ちゃん……それ暖房のスイッチじゃないかな……」

 

「仁……はやく暖房を止めてくれ……」

 

「す、すまん」

 

 慌てて冷房に切り替える。

 

 今度は冷たい風が部室を満たしていく。

 

「天国なのです~」

 

「先生助かったよ。ありがとな」

 

「どういたしまして~佐々川くんのためなら、このくらい何でもないのよ~」

 

「ここは、部員のためだと言ってほしかったのです」

 

「れなちゃんに同意するわ」

 

「そうだな。顧問ならば部員のためと言うべきとこだな」

 

「ごめんね~先生素直だから~」

 

「それはそれでダメだと思うのです……」

 

 麗奈が呆れた顔で見つめる。


「ところでみなさん」

 

 唐突に榊原先生が話し出す。

 

「新しいプールできたの知ってる?」

 

「知ってるのです」

 

「レインボープールですよね?」

 

「そうそう。もう行ったのかな?」

 

「わたしは存在すら知らなかったのでな」

 

「俺も知らなかったな」

 

 真由美と麗奈も首を横に振る。

 

「ならば! 行ってみましょうよ!」

 

 付き出したその手にはプールの招待券が握られていた。

 

「おっ、タダで行けるのか」

 

「それはいいのです!」

 

「せっかくだから行ってみようよ」

 

「決まり! 部員全員集合で行きましょう!」

 

「いまから行くのです?」

 

「いやいや。準備もあるでしょうし、みんなに連絡しなきゃだしね」

 

「じゃあ、先に連絡してみなきゃだな。明日でいいのか?」

 

「そうね。みんな大丈夫なら明日九時でどうかしら」

 

「よし。じゃあ明日九時で」

 

 それぞれ手分けして連絡する。

 

「南藤は大丈夫だ」

 

「美春ちゃんも大丈夫なのです」

 

「高崎くんも明日は補習ないって」

 

「では、明日九時に部室集合!」

 

 プールの予定が決まったところでこの日は解散となった。


 


「学校のプールと何か違うのか?」

 

「ナナちゃん……不憫なのです」

 

「れ、れな、そんな顔で見ないでくれ……」

 

「スライダーとか流れるプールとか、色んなプールがあるのよ」

 

「世の中には、そんなに色んなプールがあるのか。ちょっと想像できないな」

 

「ナナちゃん……麗奈が導いてあげるのです」

 

「だ、だから、そんな顔で見ないでくれ……」

 

 ふと麗奈が真顔になる。

 

「ナナちゃん、質問なのです」

 

「なんだ?」

 

「もしかしてなのですが、学校の水着以外は持ってるのです?」

 

「いや、競泳水着以外は持っていない」

 

「思った通りなのです」

 

「七海ちゃん。買いに行こうよ!」

 

「買いに行くのです!」

 

「えっ? 競泳水着ではダメなのか?」

 

「ダメなのです」

 

「ダメね」

 

 二人が腕組みしながら言い放つ。

 

「ダメなのか! ど、どうすればよい? どこで買えばよい? 何を買えばよい?」

 

 うろたえる西園寺。

 

「一緒にいくのです」

 

「そうね。一緒に行きましょう。わたしも新しいの欲しいしね」

 

「では、今から買いに行くのです!」

 

 三人は駅前のショップへ向かった。




「す、すごいな。こんなに種類があるのだな」

 

「ナナちゃん、ビキニって知ってるです?」

 

「そ、そのくらいは知っているぞ! 貝殻で作られた水着だ」

 

「その知識はどこで……」

 

 真由美が困った笑顔になる。

 

「わたしたちの水着より、ナナちゃんのを見繕うのが先なのです」

 

「そうしましょう」

 

「よ、よろしく頼む」

 

 二人は店内を見て回り、数着の水着を持って戻ってくる。

 

「では、ナナちゃんのファッションショーを始めるのです!」


 


「まずはこれです!」

 

 フリフリレースのワンピース。

 

「なんか七海ちゃんに合わないね」

 

「次です!」

 

 ピンクで胸に大きなリボン。

 

「違うわね」

 

「これでどうです!」

 

 白のワンピースに、ピンクのハートが無数に描かれている。

 

「れ、れな……これは可愛すぎるのでは……」

 

「七海ちゃんには幼すぎるわね……」

 

「最後のは自信があったのです」

 

 そして真由美のターン。


 


「これはどうかしら?」

 

 紫のビキニ。ただし、ほとんどヒモで布面積が少ない。

 

「まゆ……これで人前に出るのはちょっと……」

 

「これはもう裸なのです」

 

「ならばこれでどう?」

 

 黒で、背中全面と、首元からお腹まで布が全く無い。二本の線があるだけで、さきほどのビキニよりも布面積が少ない。

 

「こ、これは無理だ……」

 

「これは破廉恥なのです」

 

「じゃあ、これはいかが?」

 

 前から見ると普通の白いワンピース。後ろはV字にヒモがあるだけで布がない。

 

「ある意味……これが一番恥ずかしいぞ……」

 

「まゆちゃんのはアダルトすぎるのです」

 

「七海ちゃんなら似合うと思ったんだけどな」

 

「あ、ありがとう。大体分かったから、あ、あとは自分で選ぶとする。二人も自分の水着を探してくれ」

 

 西園寺は逃げるように水着を探しに向かった。

 

「じゃあ、わたしたちも探そうか」

 

「探すのです」

 

 結局、別々に探すことになった三人。


「あらぁ。みんなも来てたのねぇ」

 

「あっ、美春ちゃんも買いにきたのです?」

 

「去年の水着がぁ、小さくて着れなくなったのぉ」

 

「そんなに成長したの?」

 

「身長はそんなに変わらないんだけどぉ、胸がキツくて着れないのぉ」

 

 三人が美春の胸を凝視する。

 

「み、美春。ちなみに、サイズはどのくらいなのだ?」

 

「えっとぉ、Fだよぉ」

 

 ショックを受ける麗奈と西園寺。

 

「不公平だと言わざるをえないのです……」

 

「実在するサイズだったのか……」

 

「毎年大きくなるから大変なんだよぉ」

 

「まだ大きくなると言うのか……」

 

「あやかりたいのです」

 

 二人が美春の胸に手を合わせて拝む。

 

「二人ともぉ、恥ずかしいからやめてぇ」

 

「ほらほら、美春ちゃんの邪魔しないの!」

 

 泣きながら真由美に引きずられていく二人。

 

 その後、それぞれの水着を買った四人は、駅前のカフェでお茶することにした。


 


「明日はぁ、みんな来るんだよねぇ?」

 

「うん。部員全員来るよ」

 

「佐々川くん嫌がらなかったぁ?」

 

「ん? なんで仁が嫌がるのだ?」

 

「龍ちゃんね、実は泳げないの」

 

「え? そうなのか? しかし、授業でプールに入っているのでは?」

 

「龍兄はたしかに入っているのです。しかし、入っているだけなのです。泳いでいないのです」

 

「正確に言うとね、水の中に入れないのよ」

 

 西園寺が不思議そうな顔をする。

 

「仁が水を怖がるとは驚きだ」

 

「昔は大丈夫だったのです」

 

「泳ぐの得意だったのよ」

 

「すごく早かったよねぇ」

 

 考え込む西園寺。そして口を開く。

 

「そうか。なにかあったのだな」

 

「うん。龍ちゃんらしいと言えばらしいんだけどね」

 

「聞いてもよいだろうか?」

 

「話すなとは言われてないからね。あれは小学五年の時だったかな」

 

「麗奈と、まゆちゃんと、龍兄の三人で下校してるときの話なのです」

 

「二年生くらいの子が川原で遊んでて、その中の一人が川に落ちるのが見えたの」

 

「想像できると思うのですが、龍兄がすぐに助けに行ったのです」

 

「仁ならそうするだろうな」

 

 納得顔の西園寺。

 

「龍ちゃんは泳ぎ上手だと思ってたから、あまり心配してなかったのよ」

 

「その子のところまで泳いで、抱えたまでは良かったのです」

 

「何も問題なかったのだな」

 

「そこまではね。問題はそこからなのよ」

 

「その子がパニックになって暴れてたのです」

 

「そうか。聞いたことがあるぞ。それだと、助けた人まで溺れることになると」

 

「そうなの。さすがの龍ちゃんも何ともできなくて、一緒に流されちゃったのよ」

 

「近くにいた大人に助けてもらって事なきを得たのですが、それからは水に顔を浸けるのが怖いのです」

 

「とは言っても、完全に潜ったりしなければ、顔を浸けられるようにはなったのよ」

 

「努力してたもんねぇ。哲也くんも手伝ってたしねぇ」

 

「そんな事があったのだな」

 

「でも、プールで遊ぶくらいなら、気にしなくても大丈夫だと思うよ」

 

「だから、気にせず明日は楽しむのです!」

 

「そうだな。楽しもう!」

 

「それではぁ、今日は帰りましょうかぁ」

 

「そうだね。じゃあ帰りましょうか」

 

 四人は店を出てから少し一緒に歩き解散した。


 そして、それぞれの夜がやってくる。


 

 

「龍ちゃん、誉めてくれるかな?」

 

 部屋で、袋に入ったままの水着を眺める真由美。

 

「誉めてもらうくらいは、いいよね……」

 

 寂しげな笑顔でつぶやいた。

 

「そのくらいは、許してもらえるよね……」




「明日は龍兄にベッタリしてやるのです」

 

 龍仁の部屋の方を見つめる麗奈。

 

「家に帰ると一緒の時間がないのです」

 

 学校に居るほうが、家に居るより一緒に居られる理不尽を愚痴る。

 

「こんなに近くに居るのに……切ないのです……」




「勢いで買ってしまったが、これで良かったのだろうか……」

 

 今日買った水着。これで良かったのか自問自答する西園寺。

 

「子供っぽくはない、肌の露出もそんなに多くはない」

 

 二人の選んだ水着を回避して選んだ水着。本人的には気に入っている。

 

「また、綺麗だと言ってもらえるだろうか」

 

 ベットの上で水着を抱き締めた。頬を赤らめながら。




「明日は、これで佐々川くんを悩殺ね」

 

 榊原先生も水着を新調していた。

 

 プールを提案したのは、もちろん龍仁へのアピール目的であった。

 

「頑張ってはいるんだけど、やっぱり、まだ恥ずかしいな……」

 

 みんなの前で元気一杯の姿を見せるのは、榊原先生の照れ隠しでもあった。

 

「かなり成長したはずだけど足りないよね。佐々川くんに相応しい女性には、まだまだ遠いぞ」



 

 それぞれの想いを、夜が包み込む。

 

 その想いは、今はまだ届かない。

 

 その想いを届ける方法はまだ、誰も知らない……。

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