第十一話・諦める覚悟

「おはようさん!」

 

 食堂へ最後に入ってきた龍仁が元気に挨拶する。

 

「龍兄おはよーです」

 

「おはよう。龍ちゃん」

 

 食堂で座って待っていた二人。

 

「仁! もう少しで朝食ができるからな」

 

 調理場で包丁を持った西園寺が返事をする。

 

「佐々川くん、ちょっと待っててね。いま先生の愛情が入りまくった朝食できるからね~」

 

 ウキウキのヘラヘラ顔でくねくねしている榊原先生。


「七海って料理できないって言ってなかったか?」

 

「あ、あぁ。だから、この合宿を生かしてだな、先生に教わっておこうと思ってな」

 

「そうか。で、何つくってんだ?」

 

「目玉焼きだ!」

 

 包丁を握って堂々と返事する。

 

「いや、目玉焼きに包丁いらないんじゃ……」

 

「先生も言ったんだけど、雰囲気が出るから持ってたいんだって」

 

 楽しそうに包丁を持つ西園寺をみる。

 

「まっ、本人がそう言うならいいか」

 

 そうこうしているうちに朝食ができあがった。


「こんなにバリエーション豊かな目玉焼きは初めてなのです」

 

 パッと見て目玉焼きだと分かるものはそこには無かった。

 

「あはは……頑張ってはみたのだが、今は……これが精一杯……」

 

 うなだれる西園寺。

 

「見た目は悪くても、美味しければいいじゃないか」

 

 目玉焼きを口に運ぶ龍仁。

 

「ど、どうだ? 大丈夫だろうか……」

 

「おっ、おぅ……少し香ばしいが、目玉焼きっぽいぞ。ちょっと変わった味がするくらいだ……」

 

 冷や汗を流しながら口を動かす。

 

「そうか! 初めてにしては上手くできたようだな」

 

 目をキラキラさせる西園寺。

 

 目玉焼きとおぼしきものを見つめて青ざめる三人。


「ごちそうさんでした!」

 

 食べ終わった龍仁は部屋へ帰る。

 

「な、七海ちゃん? 次頑張ればいいじゃない!」

 

「合宿中に腕を上げればいいのです」

 

 目玉焼きを食べて自信喪失している西園寺に、優しく声をかける二人。

 

「先生に任せなさい! そうですね~。では、合宿中に肉じゃがを伝授します!」

 

「男性を落とすのに必須と言われる伝説の料理なのです」

 

「伝説って言うのはどうなのかな」

 

「わ、わたしに作れるだろうか?」

 

 自信なさげな顔で先生を見る。

 

「その一点に集中すれば大丈夫! ……だと思います」

 

「よろしくお願いします!」

 

 泣きながら土下座する西園寺を見つめる二人。


「ナナちゃんが急に料理に目覚める理由がわからないのです」

 

「龍ちゃんが美味しそう〜に先生の料理食べてたからじゃないかな?」

 

「なるほど納得なのです」

 

 目を細めて西園寺を睨む。

 

「……負けてられないのです」

 

 ふと真顔に戻って真由美の方を向く麗奈。

 

「まゆちゃん」

 

「なに?」

 

「ナナちゃん、龍兄のこと好きだって、本気で気づいてないのです?」

 

 ドキッとする真由美。

 

「どうなのかな?」

 

「好きなのは見てれば分かるのです。でも、自覚がないように思うのです」

 

 それは、真由美にも分かっていた。そして、気づかなければいいと思っていた。

 

「だとしたら、それは本人が気づかないとだね」

 

「麗奈としては、フェアじゃないと思うのです」

 

 その言葉に胸が痛くなる。

 

「そうだね……でも、無理矢理気づかせるのも違うんじゃないかな」

 

「それは、そうなのです……でも、スッキリしないのです」

 

「大丈夫。きっとそのうち気づくよ」

 

「う~ん。では、しばらく様子を見るのです」

 

 自分が卑怯ものだと言われた気がした。そして、とても小さな声でつぶやく。

 

「わたし、嫌なやつだな……」


 


 この日の自動車学校へは真由美以外で行くことになった。

 

「まゆちゃん、ゆっくり休んでるのです」

 

「うん。ありがとう」

 

 少し体調が悪いと言って残ることにしたのだった。

 

「じゃあ行ってくるわ。なんかあったら連絡しろよ」

 

「わかった。連絡する」

 

「まゆ、ちゃんと寝てるんだぞ。食べたいものがあったら連絡してくれ。帰りに買ってくる」

 

 笑顔で手をふる真由美。

 

 真由美を残して車は出ていった。


 


 今日、みんなと顔を合わせるのが辛くなった。

 

 みんなを騙しているようで苦しくなった。

 

 部屋に戻ると、カバンの中から生徒手帳を取り出して開く。隠すように挟んだ写真を取り出した。

 

「どこで間違えちゃったのかな……」

 

 小さな男の子に見える二人が、仲良さそうに写っている写真。

 

 真由美は、写真を見つめたまま動かなくなった。




 移動中の車の中で、突然口を開く榊原先生。

 

「ところで佐々川くん」

 

「なんですか?」

 

「いま好きな人とかいるの?」

 

「いないっすよ。って言うか、好きとか良く分からんです」

 

「龍兄ってこんな人なのです」

 

 麗奈がため息まじりに割って入る。

 

「でも、待ってる人は居るのです」

 

 榊原先生がデレッとしながら龍仁を見る。

 

「前向いて運転するのです」

 

 麗奈の隣で西園寺が面白くなさそうな顔をしている。

 

「先生のことじゃないのです」

 

 肩を落として下を向く榊原先生。

 

「だから、前向いて運転するのです!」

 

「れ、れな。待ってる人と言うのは?」

 

「別に待ってるってわけじゃねえよ」

 

 たまらず龍仁が口を挟む。

 

「違うのか?」

 

「小さい時の話なんだけどな、結婚しようって言われたことがあんだよ」

 

 西園寺と榊原先生固まる。

 

「小学校入る前によく遊んでた子がいたんだよ」

 

「ヤンチャすぎて誰も遊んでくれなくなったのを、龍兄が遊んであげてたらしいのです」

 

「短髪で色黒。ずっと男の子だと思ってたんだわ。ある日、引越しするからもう遊べないって言われたんだよ」

 

 麗奈以外の二人は真剣に聞いている。

 

「そん時にさ『僕、必ず戻ってくるから! 女らしくなって戻ってくる!』って言われて、初めて女の子だって知ったんだよ」

 

「そ、そこからなぜ結婚になるのだ?」

 

「その後にな『僕、お前のことが好きだ! 結婚してくれ!』って言われた」

 

「じ、仁はなんて答えたのだ?」

 

「答える間もなく走って行っちまったから、返事してねえ」

 

「さ、佐々川くんは、その子を待ってるのかな?」

 

 引きつった顔で聞く。

 

「待ってるって言うか、ちゃんと返事してねえからな」

 

「な、なんて返事するつもりなんだ?」

 

「ま、まさか、佐々川くんは、結婚承諾するつもりなのかな?」

 

「しねえよ。ちゃんと断りたいんだ」

 

 安堵のため息をつく二人。

 

「この話を知ってるのは南藤くん、美春ちゃん、まゆちゃん、麗奈だけなのです」

 

「で、戻ってきてないのか?」

 

「分かんねえ。あれから転校生は何人も居たけど、らしい女の子を見てねえのは確かだ」

 

「そんな昔の話、その子も覚えてないと思うのです。今頃他の男と付き合ってるのです」

 

 窓の外を見ながら麗奈がつぶやく。

 

「佐々川くんはなんで断るの?」

 

「友達として楽しかったのはあるんだけど、好きとかそんな気持ちないからな」

 

「名前とか覚えてないのか?」

 

「あだ名で呼びあってたから覚えてないんだよな。黒いからクロって呼んでた」

 

「名前も分からない。きっと容姿だって変わってるだろうし、探すのは無理かもね」

 

「まぁ、そんな話があったってだけだ」

 

「突然現れてライバルにならないことを、麗奈は祈ってるのです」

 

 麗奈の言葉に合わせて二人も頷く。




 写真を見ながら微動だにしなかった真由美が立ち上がる。

 

「これ以上は無理かな……」

 

 調理場へ向かって歩き出す。

 

「わたしは、みんなとこれからも仲良くやっていきたい」

 

 その表情には決意が見える。

 

「わたしみたいな卑怯ものは、龍ちゃんの横に並んじゃだめなんだよ」

 

 食堂に入るとガスコンロの火をつける。

 

「もう……諦めるよ」

 

 写真を見つめて涙ぐむ。

 

「振られるって分かったとき……諦めれば良かったんだよね……」

 

 写真を火に近づける。

 

「さよなら、りっくん。クロは、もう戻らないよ」

 

 燃え上がる写真を見つめている。

 

 ボロボロと流れ落ちてくる涙。

 

「これでいいんだ……」

 

 調理場に、真由美の小さな泣き声だけが聞こえていた。



「みんな、おかえりなさい!」

 

「まゆちゃん大丈夫?」

 

「うん! もう大丈夫だよ」

 

「無事で何よりだ。朝よりスッキリした顔になってる。もう大丈夫そうだな」

 

「七海ちゃん、心配かけてごめんね」

 

 心からの笑顔になっていたかは分からない。

 

 諦めたとはいえ、すぐに気持ちを切り替えるのは難しい。

 

「頑張らないとだね……」

 

「まゆ、何を頑張るんだ?」

 

「七海ちゃんの料理教室!」

 

 笑顔で返す真由美。

 

「そ、そうだな。頑張らないとな」

 

「応援するよ」

 

 麗奈がヒソヒソと話しかけてくる。

 

「まゆちゃん、敵に塩を送るのです?」

 

「れなちゃんだけ応援するのは、フェアじゃないでしょ?」

 

 ニコッと麗奈に微笑む。

 

「むぅ〜確かに、友達としてはそうなのです。フェアと言うなら、ナナちゃんに龍兄への気持ち教えてあげるのです?」

 

「いま教えると、邪魔しちゃうことになるんじゃないかな」

 

「なんで邪魔になるのです?」

 

「意識すると、照れて行動できなくなるんじゃないかな」

 

「それは有り得るのです」

 

「でしょ」

 

「まゆちゃんが中立なのは分かったのです。それでいいのです。それでも勝つのは麗奈なのです!」

 

「何に勝つのだ?」

 

 西園寺がキョトンとしている。

 

「いまは秘密だよ」

 

 真由美がウィンクで答える。

 

「何だか楽しそうだな」

 

 龍仁が笑顔でやってきた。

 

「あっ、龍ちゃん。わたし、とっても楽しいよ」


 


 これでいい。これがいい。この空間を大事にしたい。

 

 わたしの叶わない夢は、ここに必要ないんだよね。

 

 わたしは、もう大丈夫だよ……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る