第十話・救われて

 龍仁たちとは二年前の教育実習で会っていた榊原先生。

 

 そして、そこで何があったのかを静かに話し出す。

 

「二人はあの時の先生を覚えてる?」

 

「地味、暗い、声が小さい、いつもオドオド、存在感がない、麗奈の記憶はそんなとこなのです」

 

「そうね。わたしの記憶もそんな感じかな」

 

「耳が痛いわ~。でも、間違ってないかな」

 

 西園寺が驚愕の表情で榊原先生を見る。

 

「そ、それは別人と言っても過言ではないな」

 

「そうなのです。わたしたちが分からないのも無理ないのです」

 

「丸メガネって呼ばれてたから、名前も覚えられてなかっただろうしね」

 

「先生ごめんなさい」

 

 真由美が頭をさげる。

 

「いいのいいの。それ自体は仕方ないと思ってるから」

 

「それで、なぜ今の先生が出来上がったのかナゾなのです」

 

「では、今からナゾ解きするよ」




「はーい皆さん静かに! 今日から教育実習に来られた先生を紹介します。榊原さんどうぞ」

 

 榊原が下を向きながら入ってくる。

 

「は、初めまして。教育実習でお世話になる榊原理英です。よろしくお願いします」

 

 大きめな丸いメガネ、化粧の薄い顔に三つ編みおさげ、黒のリクルートスーツ。下を向きオドオドした態度は先生らしさからほど遠い。

 

「声が小さくて聞こえませーん」

 

「顔見えないっすよ」

 

「彼氏いますか~? 居ないと思うけど聞いてみました~」

 

 あちこちからヤジが飛んでくる。

 

 服を握りしめる榊原の手に力が入る。足がガクガク震える。顔から血の気が引いていくのが分かる。

 

 その時、大きな声で一喝する男子生徒がいた。

 

「お前らうるせえぞ! 先生の話が聞こえねえだろうが!」

 

 榊原はそっと顔を上げて声がした方を見る。

 

「先生、悪かったな。続けてくれ。今度はもう少し大きい声だといいな」

 

 その笑顔に少し楽になった榊原は、さっきよりほんの少し大きな声で自己紹介を始めた。

 

 今度は生徒全員がおとなしく話を聞いてくれた。

 

 そして朝のホームルームが終わり、担任と職員室へ戻る。


 


「あ、あの。さっきの男子生徒は?」

 

「あぁ、佐々川くんね。ぶっきらぼうだけど、友達思いのいい子よ。とにかく真っ直ぐな子ね」

 

「佐々川くん……」

 

「さっきはあんな感じになっちゃったけど、みんな悪気はないから気にしない方がいいわよ」

 

「は、はい……」

 

 初日から自信喪失してしまった榊原。その後も頑張ろうとするが、すべてが空回り。更に自信をなくしてゆく。

 

 先生と呼んでくれる生徒はおらず、丸メガネという呼び名が定着してしまっていた。

 

 挨拶しようとするが、声が小さく小柄なせいもあってか気づいてもらえないことの方が多い。

 

 こうして数日が過ぎ、目指す理想に自分の能力では辿り着けないと気づく。

 

 誰とも挨拶せず、生気のない状態で歩く榊原。早くこの教育実習が終わることだけを考えていた。

 

 教育実習最終日の放課後、気がつくと屋上に立っていた。


「きれいな夕日……」

 

 頬に流れる一粒の涙。

 

「先生ごめんなさい……先生みたいになりたかったけど……わたしには無理でした……」

 

 涙が次々と流れ落ちていく。

 

「もう無理! わたしなんかが先生なんて無理な話だったのよ!」

 

 号泣する榊原。スーツが濡れるほどの涙があふれてくる。

 

 その時屋上出入口の扉が開き、人影が近づいてくる。


「よっ、先生」

 

 そこに居たのは龍仁だった。

 

「えっ、あっ、あっ、あの……」

 

「とりあえず、涙ふきなよ」

 

 慌ててメガネを外し、スーツのそでで涙をふく榊原。

 

 どちらが言うでもなく、同時にフェンスを背にして座る二人。

 

「先生、大変そうだな。大丈夫か?」

 

「大丈夫じゃ、ないみたい……」

 

 首を横に振りながら答える榊原。

 

「何で先生になろうと思ったの?」

 

 膝をかかえながら下を向いて話し出す榊原。誰でもいい、誰かに聞いてほしかった。

 

「中学生の時ね、友達がいなかったの。っていうか、みんなに無視されてたんだよね」

 

「そうなんだ」

 

「その時にね、すごく心配してくれる先生がいてね、毎日話しかけてくれてたの」

 

 顔を上げて、思い出すかのように遠くを見つめる。

 

「そのうちにね、何となくまわりの人たちとも話せるようになったんだ」

 

「良かったじゃねえか」

 

「うん。先生がね、まわりの人たちと話せるようにって、わたしに気づかれないように動いてくれてたみたい」

 

「いい先生だな」

 

「おかげで、少ないけれど友達もできた」

 

 ほんの少し笑顔になる。

 

「それでね、今度はわたしが誰かを助けてあげよう。先生みたいになって、つらい思いをしてる子を助けようって思ったの」

 

「それが先生になろうと思ったキッカケなんだな」

 

「でもね……」

 

 空を見つめる榊原。

 

「わたしには無理だった……先生みたいにはなれない……」

 

 そう言って目を潤ませる。

 

「先生はさ、先生になりたいの? その先生のコピーになりたいの?」

 

「えっ?」

 

「先生は先生じゃん。その人と同じになる必要ないだろ」

 

 黙って佐々川を見つめる榊原。

 

「無理しなくてもさ、先生には先生なりのやり方があるんじゃねえかな」

 

「わたしなりの……」

 

「無理せず自分にできることからやればいいじゃん。まずは元気に挨拶するとかさ」

 

 笑顔で榊原を見る。

 

「それだけでも違ってくんじゃねえかな。まわりの目なんか気にせず、自分の殻やぶってみようぜ!」


 榊原の心から何かが落ちた。

 急に心が軽くなった。


「そっか。わたしなりのやり方でいいんだ。先生みたいになれなくても……」

 

「先生には先生のいいとこあるだろ? 人と比べなくていいさ」

 

「ありがとね。先生、もう少し頑張れそう」

 

「先生になったら、俺の先生になってくれよ。ちゃんと成長したか見てやるよ」

 

 ニコっと榊原に笑顔を向ける。

 

「言ったな~。成長した姿見せつけてあげるからね」

 

「楽しみに待ってるよ」

 

 飾られた偽りの言葉ではない。心からの真っ直ぐな言葉。

 

 夕日に染まるその笑顔に、胸の鼓動が早くなる。顔が火照っているのがわかる。

 

 これが、榊原の初恋だった。




「と言うことがあったのよ」

 

「こんなちゃんとした理由があるとは想像してなかったのです」

 

「そして、約束通り佐々川くんの先生になったのです!」

 

「先生にはなったようですが、成長したというより変身だと思うのです」

 

「わたしなりのやり方で殻やぶったら、こんなのが出来上がりました~!」

 

 湯船の中で奇妙な踊りを披露する榊原先生。

 

 二人が唖然としているなか、西園寺は涙ぐんでいた。

 

「いい話ではないか……」

 

「あの踊り見ながら泣けるナナちゃんはすごいと思うのです」

 

 まだ踊っている榊原先生に真由美が不思議そうな顔で質問する。

 

「何があったのかはわかったんですけど、こんな都合よくこの学園の先生になれます?」

 

 踊りをやめて笑顔で真由美を見る。

 

「あぁ~それね。あの後も相談事があると中学校には顔出してたのよ。その時偶然見ちゃったのよ」

 

「何を見たんですか?」

 

「佐々川くんが白羽学園に合格と書かれた書類」

 

 ニッと笑う榊原先生。

 

「ぐ、偶然よ! 本当に偶然だからね!」

 

「分かったから落ち着くのです」

 

「だから、この学園に直談判したのよ。そのとき、理事長先生にさっきの話をして土下座したのよ」

 

 三人の、開いた口がふさがらない。

 

「そしたら理事長先生が『分かりました。合格です』ってね」

 

「この学園って大丈夫なのか不安になってくるのです」

 

「所有地で熊飼ってるとか普通じゃないしね」

 

 榊原先生が真面目な顔に戻る。

 

「そんな訳で、佐々川くんは先生の初恋の相手なの」

 

「今まで他の男性を好きになったりしなかったの?」

 

「なんかね、まわりの男ってみんな子供に思えちゃうのよね。あの時の佐々川くんは、わたしより大人に見えたのよね」

 

「麗奈には先生が子供に見えるのです」

 

「これを見ても子供だと言えるかな~」

 

 そう言いながら胸を揺らす。

 

「中身の問題なのです!」

 

 笑いながら胸を揺らす榊原先生と麗奈の怒号が飛び交う大浴場。

 

「これは強敵だよ……れなちゃん」

 

 誰にも聞こえないように、自分に言い聞かせるようにつぶやく真由美。

 

「初恋か。わたしの初恋はいつ来るのだろうな」

 

 龍仁への気持ちが恋だと気づいていない西園寺。


「さて、先生の話も終わったことだし、そろそろ就寝の時間としますよ」

 

「そうだな。そろそろ寝るとしようか」

 

「そうしましょうか」

 

「麗奈は眠れそうにないのです」


 こうして榊原先生のナゾは解けた。

 

 それは、榊原先生が軽い気持ちではないと知ることでもあった。 

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