第四話・晴れ時々熊

 晴天。そう呼ぶに相応しい青空が広がっている。

 

 学園からバスで一時間の山の中、一年生四クラス総勢百二十名が降り立った。


「全員注目!」

 

 百瀬先生の一声で静かになる生徒たち。

 

「今日の遠足について今一度説明する。遠足のしおりを読んで知っているとは思うが、コースは全部で五つある」

 

 話を聞きながらしおりを確認する生徒たち。

 

「各班ごと、事前に決められたコースを間違えないように」


 この学園の遠足は、コースに設置されているチェックポイントを通過し、集合場所へたどり着くこととされている。


 一通りの説明を終えた百瀬先生から開始の合図が出される。

 

「それでは皆、事故のないように楽しんでくれ。何かあれば、担任の携帯に即時連絡を入れること。それでは、遠足開始!」


「さて、行くか!」

 

 龍仁、麗奈、西園寺が同じ班。南藤、真由美が同じ班となっていた。

 

 龍仁たちはBコース。南藤たちはCコースへ向かう。美春は一組のクラスメイトとCコースを選択していた。


「南藤くんがCコースを速攻で選んだんだよね。何でかなぁと思ったんだけど、美春ちゃんに聞いてたんだよね」


 にやにやしながら真由美が南藤を覗き込む。

 

「い、いや、クラス違うから、コースくらい一緒がいいじゃないか」

 

「そうだよねぇ。そういう事にしておこう」

 

 顔を赤くした南藤が真由美から目を逸らす。


「じゃあまた後で会おうぜ!」

 

「中央広場でお昼ご飯食べるのですー!」

 

 途中に全コース合流する場所が一箇所だけある。

 

 全生徒そこで昼ご飯を食べることになっている。

 

「はぁい。また後でねぇ」

 

 生徒たちが順番に山の中へ消えていく。

 

 龍仁の班は最後となった。


「何事もなければいいのだがな」

 

 百瀬先生が生徒たちを見送りながらつぶやいた。



 

「遠足って、もっと整備されたとこでやるものだと思うのです」

 

「確かに。道らしい道がないとはな」

 

「遠足と言うよりサバイバルなのです」

 

「地図とコンパス、GPS渡された時に嫌な予感はしてた」

 

 龍仁と麗奈がグチグチ言いながら進む後を、西園寺は黙ってついて行く。

 

「この山って学園の所有で間違いないです?」

 

「らしいな」

 

「だったら、もう少し整備して欲しいと麗奈は思うのです」

 

 麗奈の愚痴が止まらない。

 

「そうだな。七海、大丈夫か?」

 

 後ろを歩く西園寺の方を向く。

 

「だ、大丈夫だ」

 

 西園寺は目を合わせず答える。

 

 何となく元気がないように見える。


「ほんとに大丈夫か?」

 

「あ、あぁ。だ、大丈夫、だ」

 

 やたら周りを気にしながら進む西園寺。

 

 何か様子がおかしい。

 

「ちょっと現在地確認しとくか」

 

 龍仁が地図を広げたその時だった。


「いやぁぁぁぁぁぁー!」


 慌てて龍仁が振り向くと、固まったまま動けなくなった西園寺が見えた。

 

「どうした七海! 大丈夫か!」

 

「ナナちゃん!」

 

 二人が素早く西園寺の元へ向かう。

 

 西園寺が涙目で訴える。

 

「た、頼む……虫をどけてくれ……」

 

「は?」

 

「む、虫だ! 虫をどけてくれ! は、早くー!」

 

 西園寺の肩に小さな虫が乗っかっていた。

 

 麗奈が背伸びして西園寺の肩から虫を摘む。


「もう大丈夫なのです」

 

「七海、何か様子がおかしいと思ったら、虫が怖かったのか」

 

 涙目で何度も首を縦に振る西園寺。

 

「そっか。麗奈、七海の隣に居てやれ」

 

「了解なのです!」

 

 麗奈が力強く敬礼する。

 

「可愛いとこあるじゃん」

 

 西園寺が顔を真っ赤にして下を向く。



 

 何度か西園寺の悲鳴と麗奈の「とりゃ!」の掛け声を聞きながら、ようやく少し開けたところに出た。

 

「地図だと、もう少しで広場に出そうだな」

 

「早くみんなに会いたいのです!」

 

 弾むような声で言いながら、麗奈がスキップしている。

 

 その時、木々の間から何かが現れた。

 

「く、熊さんです?」

 

「どう見ても熊だな……」

 

 体長二メートルほどの熊がそこに居た。


「みんな動くな」

 

 抑え気味の声で言いながら、西園寺が前へ出る。

 

「私が引き付けてる間に下がるんだ。そこの茂みまで下がったら、先生に連絡してくれ」

 

「ナナちゃん危ないのです〜」

 

 麗奈はガタガタと震えている。

 

「早く行ってくれ」

 

「バカ言ってんじゃねえよ」

 

 龍仁が西園寺を押しのけて前に立つ。

 

「女の子にそんな真似させられるか」

 

 女の子と言われて、頬がほんのりピンク色。

 

「私なら空手の心得がある。少しは時間稼ぎできるだろう」

 

 そう言って構える西園寺の前に、手を伸ばして龍仁が止める。

 

「だめだ。いいから早く下がれ」

 

 七海は熊を真っ直ぐ見据えたまま動こうとしない。

 

「まったく。虫怖がるくせに熊に立ち向かうとはな」

 

「そ、それとこれとは話が別だ」

 

 頬のピンクが濃くなっていく。

 

「顔にケガでもしたらどうすんだよ」

 

「こんなじゃじゃ馬、ますます嫁にいけなくなってしまうな」

 

「じゃあ、そんときゃ俺がもらってやろうか?」

 

 龍仁なりに和ませようと言った冗談だが、西園寺をフリーズさせるには十分すぎる破壊力だった。

 

「麗奈、連絡は任せた」

 

「わ、わかったのです」


 じわじわと茂みに向かって下がる麗奈。

 

「さ~て、命がけのにらめっこ開始だ」




 ピピピピッ、ピピピピッ。

 

「こちら百瀬。どうした?」

 

「先生! 熊さんが、熊さんが」

 

 泣きじゃくる声が電話口に聞こえる。

 

「熊が出たのか? 他の者はどうした?」

 

「れ、麗奈を逃がすために、龍兄とナナちゃんが……」

 

 号泣していて後半は良く聞き取れなかった。

 

「早く、早く助けてほしいのですー!」

 

「心配するな、すぐに助ける。お前はそこを動くな!」

 

 GPSで位置を確認する百瀬先生。

 

「榊原先生は佐々川麗奈を頼む」

 

「わかりました! 百瀬先生は?」

 

「二人の救助に向かう」

 

 そう答えると猛然と走り出す。手に竹刀を握りしめて。




 決して楽しくはないにらめっこは続いていた。

 

「七海」

 

「なんだ」

 

「お前も下がれ」

 

「ことわる」

 

「強情なやつだな」

 

 そんなやり取りの最中、突如熊が立ち上がる。

 

「いよいよヤバいかな……」

 

「佐々川」

 

「なんだ」

 

「生きて帰れたら、また駄菓子屋に付き合ってくれ」

 

「バカ野郎。変なフラグ立てんじゃねえよ」

 

「フラグ? なんだそれは?」

 

「生きて帰れたら教えてやるよ」

 

 その時、熊がゆっくりと両手を上げながら吠える。

 

「ここまでか……」


「ゴローーー!」


 その時、熊の咆哮よりも迫力のある声が響き渡る。

 

「貴様、こんなとこで何をしている!」

 

 声の主は、竹刀を肩にかけ、熊を睨み付けている百瀬先生であった。

 

「誰が出てきていいと言った?」

 

 冷ややかな声で問い詰められた熊は、震えながら後ずさりする。

 

「今日は、家で大人しくしておくように言われなかったか? どうなんだ!」

 

 ち、違うんです! そんな声が聞こえてきそうなジェスチャーをする熊。

 

「言い訳なぞ聞かん!」

 

 激しく両手を振る熊。

 

「ハウスっ!」

 

 百瀬先生が竹刀を地面に叩きつけると、熊は一瞬ビクッとして我が家へ向かって爆走した。

 

「涙目になってる熊、初めて見たぜ……」


「お前たち、大丈夫か」

 

「私も佐々川も大丈夫です。ありがとうございました」

 

「先生助かったよ。って言うか、あの熊何なんです?」

 

「私のペット。熊のゴローだ」


 沈黙がその場を支配する。


「ペット~?」

 

「理事長に許可をいただいて、この山で飼っている」

 

 二人とも次の言葉が見つからなかった。

 

「人に危害を加えることはないが、少々いたずら好きでな」

 

 熊が帰っていった方に視線を向け、口角を上げながら一言。

 

「後でお仕置きだな」

 

 眼鏡の奥がキラリと光る。

 

「俺、この人にだけは逆らわないようにするわ……」



 百瀬先生誘導のもと、中央の広場にたどり着いた。

 

「龍兄ー! ナナちゃーん!」

 

 麗奈が泣きながら駆け寄ってくる。

 

 榊原先生と共に、ほんの少し先に到着していたらしい。

 

「二人とも無事でよがっだのでず~」

 

 真由美や南藤たちも少し遅れて駆け寄った。

 

「大丈夫なの? みんなスゴい心配してたんだよ」

 

「哲也くんなんかぁ『どこだー! 俺が助けに行く!』って言うからぁ、先生方が必死に止めてたんだよぉ」

 

「友達助けに行くのは当然だろ!」

 

 そこで龍仁と西園寺が同時に頭を下げる。


「心配させてすまん!」

「誠に申し訳ない!」


 美春の方を向いていた南藤が二人に向き直る。

 

「お前たちが悪いわけじゃないから謝るなよ」

 

「二人ともお腹空いたでしょ? お昼ご飯食べよ!」

 

 真由美が空いた場所を指さしながら二人に微笑みかける。

 

 ご飯を食べ終え、先日駄菓子屋で買ったお菓子を皆で食べながら、何気ない会話に花を咲かせる。

 

 その後の遠足は何事もなく終わり、学園まで戻って解散となった。



 

「思い出深い遠足になったな」

 

「まったくだぜ」

 

「本当に無事でよかったね」

 

「龍兄が居なくなったら麗奈は生きていけないのです」

 

 西園寺は、龍仁たちの少し後ろを歩いていた。


「七海! 生きて帰れたな! 駄菓子屋行くか?」

 

「そうだな。そう言えば、フラグとは何なんだ?」

 

「そっか。それも約束してたっけか」

 

 フラグについて説明を始める龍仁。

 

 そんな彼を見つめる西園寺。


 彼と一緒なら、過去を振り切り、前へ進める気がする。


 過去の呪縛から解き放たれつつある西園寺。その顔に、自然と笑みが溢れだす。

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