メンヘラと異形①

 ◆


 異形の腕が出鱈目に振り回される。

 腕だけではない、オドネイの肉体から何本もの触手の様なモやノが皮膚を突き破り飛び出してきていた。


 触手に見えるそれらは、よくよく見れば白い長虫が寄り集まったものだと分かるだろう。

 不気味だとか気色が悪いだとか、そういう生半な表現ではこの悍ましさを表し切る事は出来ない。


 そんな薄気味悪い"白い鞭"が鋭い先端をシルファ達に向けていた。

 夜気を裂きながら伸び行く白槍には強い殺気が込められている。


 だが、一般人ならまだしもシルファ達は銀等級冒険者でも上澄みに近い。

 殺気に怯む事なく、正確に対処・迎撃・反撃を積み重ねていく。


 シルファの頭部を貫く軌道のそれを、グランツが盾でカチ上げ、そしてアニーが短刀でバラバラに引き裂いた。


 パーティの盾であるグランツはシルファとアニーの前に立ち、一撃一撃を瞬時に受けてはいけないもの、受けても構わないものに選別し、対処している。


 受けてはいけないが、どうしても対処の出来ないものはアニーが処理をする。


(どれもこれも喰らうわけにはいかない。達人の槍の一撃みたいな力が込められてやがる。それにしてもこれだけの攻撃を無傷で捌くとは…俺は思ったより凄いんじゃないのか?金等級…狙えるか…?)


 グランツは辟易しながらも自分の仕事を十全にこなしていた。

 雑念を交える余裕すらもまだあった。


 ◆


 アニーはグランツが余裕を残して受けている時は投げナイフをオドネイに投擲するなど、遊撃としての役目をこなしていた。


 シルファはと言えば当然火力役だ。

 氷槍が、氷刃が。

 十重二十重の氷術が乱れ飛ぶ。


 化物に変貌してしまっても、それでも父は父だ。

 シルファの端整な相貌は蒼白で、唇をかみ締めながら術を撃ち込んでいる。


 だがオドネイはそれらを受けても攻勢を弱める事がなかった。


 シルファ・ロナリアの術師としての業前は、魔導協会の区分に従えば三等と二等の間…準ニ等に届くか届かないかという辺りまで研ぎ澄まされているが、氷術というのは殺傷力には優れるが“破壊”力には欠ける。


 そして、今この場面で求められているのはまさにその破壊力なのだ。


 常識的に考えられる急所が急所足り得ないというのであれば、点の殺傷力という氷術が他の術に優越する部分が殺されてしまう。


 ◆


「やっぱり厳しいな」


 グランツがごちた。

 状況は拮抗してはいるが、今だけだろうということはグランツにも分かっていた。

 シルファは優れた術師だが、無限に術を打ち続けられるというわけではない。


「同感ね。そろそろ攻め方を変えましょうか。切っても刺しても堪えないって反則よね」


 アニーもそれに応じる。

 グランツもアニーもこの状況に冷静さを欠くどころか、まるで散歩中の会話さながらに平静な様子を見せていた。


 シルファの攻勢が緩めば、オドネイは勢いを強め、やがてはそのまま飲み込まれてしまうだろう。


 そしてシルファの攻勢はそれほど長くは続かない。それらを理解してなおグランツとアニーは平静だった。


 なぜならばまだまだ取れる手はあるからだ。


 例えば毒。


 例えば打撃には弱いと踏んで腹を括っての徒手格闘。


 例えば火で焼いてしまう事。


 試すべき手、取れる手はまだまだいくつもあり、その引き出しの多さはグランツとアニーの戦闘経験の豊富さを意味している。


 ◆


 ――に、にげぇぇぇ、なさいいいしるふああああァァッ


 偽りの王都、その一角に絶叫が轟いた。


『逃げなさい、シルファ』


 四肢の隅々、そして内臓どころか脳にまで白長虫を満たしながらも、オドネイ・ロナリアは自身を蝕む狂気に抵抗をしていたのだ。


 オドネイ・ロナリアの精神が完全に死滅していない事を寿ぐべきだろうか?

 そうかもしれない。

 だが少なくともこの場面では呪われるべき出来事であった。


 シルファの手が、術を紡ぐ唇が止まる。

 それは瞬きの数分の一にも満たないほどの短い時間であったが、死ぬには充分な間隙でもあった。


 オドネイとシルファ達の拮抗はシルファの火力投射とグランツ、アニーの防御によって成立していたが、シルファの火力投射が僅かに停止した事で状況は破滅的な勢いでオドネイの優勢に傾いた。


 グランツには処理しきれない、アニーでもフォローしようがない程の飽和的な攻撃が3人を襲う。


 一際太い白い触手が振り上げられた。

 それが中空で更にいくつもの束へ別れ、細く白い槍となってシルファ達3人に浴びせかけられたのだ。


 ◆


 アニーが地を蹴り、中空に飛び出した。

 彼女の目から見て、シルファにいくつかの致命的な攻撃が迫っているのを認めたからだ。


 アニーの役目はグランツの守りをフォローしたり、隙をついて攻撃の援護をするという遊撃的なものだ。そしてこれが肝心なのだが、“機動力のある肉盾”としての役目も遊撃に含まれている。


 白い槍が肉体の重要器官を庇うように両腕を十字に構えたアニーの腕に突き刺さる。


 いくつか幸運だった点がある。


 1つはシルファが傷つかなかった事。


 今1つは白槍が突き刺さったのはアニーの腕のみであった事。


 アニーの両眼がこれ以上無いほどに見開かれたかと思いきや、短刀で左腕に突き刺さった部分を抉り飛ばす。


 切り離された肉片には白く長い虫がウゾウゾと蠢いていた。


「グランツ!私の右腕を」


 アニーの言葉が最後まで発される事はなかった。

 グランツの重剣の鋭い振り下ろしがアニーの右腕の肘から下を切り落としたからだ。


「いィィッ…!?う、ぐ、ち、畜生…シルファ!傷口!凍らせて!」


 はっとシルファがスタッフをアニーに向け、術を使うとアニーの腕の切断面がたちまちに凍てついていく。


 荒く息をつくアニーにシルファは悲嘆に暮れた視線を向けた。


「ご、ごめんなさい…わた、わたし…」


 弱々しい声は、常のシルファからは想像もできないものだった。


 アニーはぽんとシルファの頭に残った左手を置き、仕事はしっかりやらなきゃね、とだけ言った。


 ――仕事はしっかりやるから


 ◆


 シルファは王都のギルドで柄の悪い冒険者達と揉めていたアニーの姿を思い出す。


 その時シルファは間に割りこんでその場を取り持った。


 なぜなら放置しておけばアニーは冒険者達をタダでは済ませないように見えたからだ。

 それはそれでいいが、冒険者達にも彼等なりのツテというものはあり、そのツテ次第ではアニーの身も危ういと考えた為である。


 シルファは本来、冒険者間のトラブルには介入しない。これはシルファだけのポリシーと言う事ではなく、多くの冒険者にとって共通の基本的なスタンスであった。


 冒険者間のトラブルで仮に死人が出たとしても、それは殺されたほうが悪いのである。


 とはいえ限度はあるが。

 悪意をもって他の冒険者を害したり殺めたりと言うような事があれば、ギルドは実戦部隊を駆り出してくるだろう。


 昔の話になるが、先代ギルドマスターの時代、とある金等級冒険者が人身売買に関わり、新米冒険者や時には銀等級冒険者も捕らえられ他国に売られたという事件があった。


 結局その金等級冒険者は、更に上の黒金級冒険者に殺されて事件は収束した。

 その黒金級冒険者…『禍剣』という者がギルドが抱える実戦部隊の1人であると噂されている。


 先代ギルドマスターはその責によりマスターの地位を退き、かわりにその座に収まったのがルイゼ・シャルトル・フル・エボンである。


 ◆


 しかし少なくとも喧嘩程度の事ではギルドも国も動いたりはしない。


 それでも介入したのは、当時のシルファは自身の私兵というか護衛が欲しいと考えていたからだ。


 上の二人の姉とシルファの関係は余りよくなく、それでも二番面の姉とはまだ交流があるのに対して、一番上の姉とシルファは険悪といっても良い関係であった。


 例えるならば、上の姉がゴロツキをつかって物理的にシルファを排除しようとしても不思議ではない…その程度には険悪だった。


 シルファも同様である。


 流石にごろつきを使うほど下品ではないが、貴族らしいやり方で上の姉を排除しても良いとすら思っていた。


 ともあれ、そういう事情もありシルファの身辺はお世辞にも安穏としているとは言えない。

 シルファが自身の護衛を欲しがるのは当然の仕儀であった。


 その時シルファには既にグランツという青年を護衛として雇っていたが、やはり1人では不安な面もあった。もう1人、2人と考えていた所、アニーを見つけたというわけだ。


 シルファは人を見る目にはそれなりに自信を持っている。その目から見てアニーという女性は、少なくとも実力面では及第点と言えた。


 ◆


「…ありがとう、アイツ少し面倒くさそうだったから」


 アニーとシルファの親交はそこから始まり、シルファは偶然を装って何度か冒険に出かけたり、食事に誘ったりと少しずつ距離を縮めていった。


 ある日の食事の帰り、アニーがシルファに言った。


「…それで、良く分からないけれどシルファは私をどうしたいワケ?何か考えがあってこうしているんでしょう?失礼かもしれないけれど貴女の事は調べたわ。この国の貴族のご令嬢だって話じゃないの。お貴族様が一冒険者に何の用なのかしら」


 疑念に塗れたアニーの問いに、シルファはただ真意のみを以ってそれに答えた。


 要するに、自分は姉達と仲がよくなく、最近は身の危険を感じているということ。


 だから護衛を探していて、そんな時にアニーを見つけた所、実力的にも護衛に良さそうだとおもったから手を出したということ。


 しかし警戒心が強そうだったから少しずつ距離を縮めようとした事。


 今では友達のように感じてしまって、護衛としていざというときに命を捨ててもらうのはなんだか嫌だと思ってしまい、護衛は別の者を見つけようと思ってるという事。


 そんなシルファの告白に、アニーは大きなため息をつかざるを得なかった。

 貴族にしては甘すぎるというか、こんな甘ちゃんならその姉とやらにもあっさり殺られてしまうんじゃないかと。


 でも、とシルファがなおも続ける。


「あなたのように警戒心が強く、隙のない相手から信じてもらうには、一切の駆け引きをせずにこちらの真意を伝える事が一番効果的だとおもったんです」


 そんな言葉にアニーは何となく目の前の貴族の娘…シルファを気に入ってしまったのだ。


「いいよ、護衛ね。やってあげる。仕事はしっかりやるからお給金もしっかり出してよね」


 ◆


 雇い主の為に命をかけるのも仕事の内である。

 アニーもグランツもシルファも、それは分かっていた。


 だが理解と納得は似て非なるものである。


 アニーの右腕、肘から下を喪失した痛々しいその光景にシルファはこれっぽっちも納得できなかった。ましてやそれを招いた原因が自身の未熟さであるならば。


「…お父様。今のお父様はロナリア家の当主たる資格がありません。ゆえに、その座を退いて頂きます」


 立ち上がったシルファの両眼が蒼く燃える。

 血統魔術の覚醒だ。

 オドネイが展開した偽りの世界を、シルファが内より同種の術で破砕しようとしている。


 ばきり、ばきりと周囲の空間に何らかの圧が加わっていく。


 魔術において複数の心象世界の同時顕現は相克する。要するにその場には1つの世界しか顕現出来ないという事だ。


 複数顕現すれば世界と世界は削りあう。

 その強弱を決めるのは互いの内面的な強靭さである。


 術師としてのオドネイ・ロナリアと、その娘であるシルファ・ロナリアの格差は甚だしい。

 通常ならば勝負にすらならない。


 しかし現実には、シルファが顕現しようとしている世界がオドネイのそれを圧倒しつつあった。


 ◆


 クロウの顔がふと月の出ている方角を向いた。

 違和感を覚えたからだ。

 知っている者の魔力を感じる。


 ――シルファ?


 クロウは手近な建物の壁を蹴り、向かいの建物の屋根の上へと飛び上がった。


 しゃらり、剣を引き抜く。

 夜気に触れた愛剣の刀身は月の光に磨かれて艶かしく輝いていた。


 クロウは屋根から屋根を駆け、跳び、また駆けた。


 そして“違和感の中心”の元へたどり着いたクロウは一際高く飛び上がり


 ◆


 もはや偽りの世界は維持の限界点に達していた。

 ほろりほろりと世界が綻んでいく。


 だが忘れてはいないだろうか?

 偽りの世界が解かれたとしても、依然脅威は存在し続けるという事を。


 確かに戦闘の音などで周辺住民などが異変に気付くかもしれない。


 シルファの目が横たわるアニーを見遣る。

 右腕の切断面は凍結させて止血しているが、切断面周辺の皮膚の色が紫色に変色している。


 呼吸も荒い。


 残った左腕の、ナイフで抉った傷口からの出血もある。こちらはグランツが布で硬くしばり、一先ずの止血としていた。


 対して眼前の化物はどうか。

 攻撃を凌いではきたものの、依然として悍ましい触手をくねらし、今にも跳びかかってきそうだ。


 シルファの様子が変わった事で、あちらも様子見をしているようだがそれもいつまで続くか。


 シルファの頬をつめたい汗が伝う。

 その時なにか不思議な感覚に導かれ、シルファは咄嗟に空を見上げた。


 その動作に触発されたか、触手が再び先端をシルファ達へ向け、彼女達を刺し貫こう伸びてくるが


 ――世界が割れる


 ◆


 黒い人影が空を割って落ちてきた。

 人影は爪先で地擦り、地面を盛大に抉りながら前方を激しく蹴り上げる。


 くるくると白い触手の切れ端が宙を舞う。

 人影が触手を蹴り千切ったのだ。


 シルファ達の前に人影が立つ。

 クロウだった。


「あ、ク、クロウ…様…」


 シルファの言葉にクロウは“はい”とだけ答えた。ボキャブラリーがないからだ。そして甲斐性もない。助けにきたよ、とか、大丈夫か、とか。そういう言葉をかけられるほどの能力はクロウにはない。


 クロウの目が異形を見遣る。

 その視線には色が無く、まるでぼんやりとしているような風情であった。

 要するにいつも通りということだ。


 しかしそんないつも通りの様子から吐かれる言葉には、普段は礼儀正しく穏和な彼をして似つかわしくない不穏な雰囲気が塗されていた。


「あなたの皮膚は硬かった。薄い鉄板のような。それを使ってシルファ達を殺したかったんですね。そしてそれを邪魔した俺の事も殺したいんですよね。殺気が伝わってきます。俺は良い事だとおもいます。フェアだ。だって俺も同じなんです。シルファ達はどう思っているかわからないけれど、俺は彼女達を友達だと思ってる。いや、知人以上友達以下かも。とにかく俺は友達が少ないから、仲良くしてくれる彼女達は大切な人達なんです。そんな人達を傷つけた。そんなあなたを俺も」


 ――殺したい、かも


 最後にぽつりと呟かれた言葉には明確な殺意がこめられていた。


 空気が弾けた。

 クロウが地を蹴ったのだ。


 次瞬、振りかざした剣を地面へ叩き付けたクロウの姿があった。

 王都の石畳は“着弾点”を中心に罅が広がっており、その衝撃力の大きさを物語っている。


 異形はクロウの高速の唐竹割りに反応できず、その肉体を真っ二つに切り裂かれていた。

 しかし死んではいない。

 切断面から白い長虫が伸び、分かたれた肉体を再び接着しようとしている。


「早く!反撃をしてくださいよ!じゃないと俺が一方的にあなたを殺してしまうじゃないですか!」


 クロウの絶叫が王都に響く。

 その叫びには聞いたものを鬱にさせかねないほどの悲痛が込められていた。


「殺されるから殺していいんだ!本当は皆そんな事はしたくないけれど、やらなきゃならない時もある!だったらせめて公平でないと!フェアじゃない!フェアじゃないよ!無抵抗で殺されるのはやめてくれ!!」


 シルファ達にはもはやクロウが何を言っているのかさっぱり分からなかった。

 とりあえずクロウが余人には知れぬ独自の論理で生きている事は分かる。


「クロウ様…元気そうです…」


 シルファはほかに感想を持つ事ができなかった。

 グランツとアニーも同じだ。


「俺は、俺は金等級にはなれねえな…」


 グランツとて男だ。

 眩い金の輝きをその手に、と夢想したこともある。ついさっきの事だが。

 しかし金等級となるにはあんな風にならなければならないとするなら、自分には無理だと感得した。


 ◆


 滅茶苦茶な暴力に業を煮やしたか、異形の切断面を接着しようとした長虫がクロウへその先端を向け、数千本の白い寄生針となって襲おうとする。


 その瞬間、クロウは異形の傍らの何もない空間を切り裂いた。


 ――秘剣・空吸い


 豪速で斬られた空間は瞬間的な真空地帯を作り出し、周辺の空間は当然をそれを大気で穴埋めしようとする。


 その様があたかも虚空に空間が吸われていくような様であることからザザが名付けたこの秘剣は、大気の吸引により敵手の体勢を崩す他、至近で放たれた飛び道具の軌道をも逸らす。

 これはザザがかつて考案した失敗秘剣『凍風・殺し風』が原型となっている。


 ともあれ数千本の白い針は真空を埋める気流に吸い寄せられ、クロウへ突き刺さる事はなかった。


 代わりに突き刺さったのは爪先である。


「俺を…殺せえェェェ!!!!」


 クロウの蹴りが破城槌の衝撃力で異形に突き刺さり、蹴り飛ばした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る