メンヘラと外道術師②
◆
外道術師は元の名をアルベルトと言う。
アルベルト・フォン・クロイツェル。
彼は貴族の嫡男だった。
東域でもアリクス王国に次ぐ勢力を誇るテーゼル公国の貴族だ。
国家元首であるテーゼル公爵…その五代前のテーゼル女公爵が当時の勃発した人魔大戦中、下位とはいえ魔将と相討った事による功績として、当時のアリクス国王から自治権を付与されている。
クロイツェル家はそのテーゼル公国の貴族家であった。しかも伯爵家という上級貴族の嫡男だ。
過去形なのは、彼がすでに廃嫡された身だからだ。
彼自身が特段何かをしでかしたわけではない。
敢えて言うならば、貴族らしからぬ容姿、そして生来内にこもりがちなその性格であろう。
率直に言ってアルは容色優れるどころか、その正反対といっていい。
ぎょろりとした大きな目、ふとぶとしいその体躯、かといって貫禄があるといったことではなく、要するに肥えていた。
例えるなら人間の皮を被ったヒキガエルといったところか。
それでも陽気な性格であるとかそういうモノがあればまた話は違ったであろう。
しかしアルは陰気を通り越していっそ不気味ですらあった。
そのぎょろりとした目でただただ見つめてくるのだ。
見つめ、ぼそりぼそりと何かを呟き去っていく。
害を為すわけではない、ただただ不気味な男。それが周囲が見るアルという男だった。
それに対して、アルの家族は上級貴族としての格に相応しい態度、容色だった。
アルの父母はアルをその不気味さゆえに愛することができなかった。
無理もないだろう、アルは二人のどちらにも似ていない。
もちろん、アルが二人に全く似ていないのは極めて…きわめて不幸な偶然にすぎないのだが。
それでもアルが伯爵家でただ一人の跡継ぎであるなら後の不幸は起こらなかったに違いない。
アルには弟と妹がいたのだ。弟は父に似て、妹は母に似ていた。そして弟妹達もまたアルを疎んでいた。
ここまで語れば十分だろうが、結論から言えば誰からも愛されなかったアルは廃嫡された。
ただ、廃嫡はそれ相応の瑕疵がなければ為されない。アルは不気味ではあったが、悪事を働くような事は決してなかった。
だから伯爵夫妻は一計を案じた。
侍女の強姦。
やってもいない悪辣な犯罪を被せられ、アルは11年暮らしていた屋敷を追い出された。
アルは反論しなかった。
というより出来なかったのだ。
会話がうまく出来ないから。
アルは産まれてからずっと無視されてきた。話かけても誰も彼に言葉を返す事はなかった。
アルと会話することを伯爵夫妻が禁じたから侍女や下男たちもアルと関係を築くに至らない。
いわゆるネグレクトである。
誰もアルに話しかけなかった。
だからアルは会話の仕方がわからない。
だからアルはいつもボソボソ不気味な呟きを発する。
だからアルは一層気味悪がられ、嫌悪されていく。
アルは“それ”を自身の醜さゆえだと思った。
◆
屋敷のとある下男は追放されるアルに激烈な暴行を加えた。
彼は真実など知らない、しかし婦女暴行は憎むべき犯罪だ。
それでもアルが貴族のままなら彼もそこまではしなかっただろう。
だがアルはもはや貴族ではない。
殴る蹴るの拷問まがいの暴行でアルの目は半分開かなくなってしまった。
腫れあがったぼってりした瞼、全身に青あざを浮かべ、とぼとぼ屋敷を去っていくアルの姿を皆嘲笑した。
アルは家族に嫌悪されていることを知っていた。
アルはそれでも家族を愛していた。
だが、愛とは不変なものだと誰が言ったのだろう。
アルの愛はその日、憎しみに変わった。
アルはこの時点では学のない少年にすぎなかった。
だから自分が抱く感情に名前を付けることはできなかったが、後日アルはあの時自分が抱いた感情こそまさに憎しみであった、と気づくことになる。
もしも去っていくアルの瞳をのぞき込む者がいればとても彼を嗤うことなどできなかったであろう。
アルの憎悪に彩られた瞳は、まるで黒い炎のようであった。
◆
アルは屋敷を去りこそしたが、街を去る事はなかった。理由は1つ、街を出ても何処にいけばいいか分からないからだ。
街の裏路地の片隅に身を横たえ、そして残飯のほうがまだ上等といえるゴミを食い、そんな生活を続けても彼が生きていたのは、ひとえに彼にも貴族の血が、貴族由来の魔力が流れていたゆえであろう。
平民と比べて、貴族というのは生物的に別種と言える程に強度に格差がある。
ならばその力を使い、暴力で日々の糧を得ればいいだろうと人は言う。
だがアルは暴力的な思考に染まってはいなかった。コミュニケーション能力に問題は抱えていたものの、それでもアルは本当の貴族たりうる気高さを失ってはいなかったのである。
だがアルがいかに元貴族であるとは言え、日々の粗食、劣悪な生活環境は着実に彼の精神と肉体を蝕んでいく。
◆
とある雨の日、アルは熱に浮かされながら“希求していた未来”を夢に見ていた。
夢の中でアルは優しい父母に笑顔を向けられ、弟と妹はアルを慕い…そして己の隣には慕ったあの娘がいて。
そんな幸せな夢幻が蹴りの一撃で引き裂かれた。
アルが顔を向けると、そこには複数の薄汚い浮浪者たちがいた。
「す、すまねえな。おまえさんの身体がよう、金にな、なるんだよ。かうっていってる人がいてな。何につかうかわかんねけどよう。目玉とかよ、内臓が高く売れるらしんだわ、へ、へへへ」
浮浪者の1人の言葉にアルの感情に氷点下の霜がさした。怒りは一定以上まで高まると、熱さではなく冷たさを帯びるのだ。
だがアルは浮浪者の言葉に怒りを覚えたのではない。幸せな夢幻を破られた事に怒りを覚えたのだ。
アルの思考は高熱に蝕まれ、まとまらない。
だがそれゆえに枷のない暴力が、半ば八つ当たり気味に浮浪者達へ叩きつけられた。
貴族の子弟はたとえ子供であっても、大人の頭を握り潰すくらいの事は出来る。
伯爵家の嫡男であったアルともなれば、熱発してようと身体が弱っていようと、浮浪者の数名を挽き肉にする事は蝶の手足を捥ぐ事よりも容易い。
だが浮浪者達を殺したアルの狂気はそこで収まらなかった。
なぜ自身がこんな目に遭うのか。
家族と幸せと暮らすことを想い、憧れる事も許されないのか。
何が悪いのか?
そこで己の容姿こそが不幸の原因であると感得したアルは、己ではない他者になりたいと希求したのだ。
アルは殺した浮浪者達の皮を剥いで、己の皮膚へと貼り付けはじめた。
それは尋常の様子ではない。
しかし狂気は熱と化学反応を起こし、それまで抑圧されていた名状し難いドロドロした感情がそこへ混じる事で、このような仕儀を彼に為さしめた。
しかし、幸福にもというべきか、不幸にも、というべきか。
愛が反転し憎悪と化したアルの願いはこの世界に“正しく”作用し、アルはその日、1つの術を得る事になる。
それからアルは得た術を使い、様々な悪事を働くようになる。
人殺しという本来の彼が考えていた最大の悪徳をしてしまったことで、心の枷が外れてしまったのだ。
己を愛してくれない世界を大切にする必要はない。アルは次々と人を殺し、皮を奪い、金品を強奪し、欲を満たしていくようになる。
全てが単純な事だった、とアルは思う。
己の姿でさえなければ何も簡単なのだ、と。
旨い飯を食うのも、柔らかい布団で眠る事もなにもかも。愛だって簡単に得られるだろう。
そうして“本来の自分”を否定し続けたアルは、いつしか己が誰だったのか、名前すらもを忘れてしまった。
かわりに彼の術は強まり、外法に手を染めつづける外道の術師が生まれた。
◆
弾け飛んだ腕を見た外道術師は、それでもなお生きる事を諦めなかった。
それは外道術師にこびりついたアルという男の残滓であったのかどうか。
少なくともアルは貴族の身でありながら、ドブネズミのような生活をしながらも生きようとしていた。
外道術師は残った手で懐にのんだ短刀の柄を握る。だがその手がベキベキという厭な音と共にひしゃげた。
クロウが腕を伸ばし、力任せに外道術師の手ごと胸に腕を突き刺したのだ。
そしてクロウの掌に己の心臓が握られたと思った瞬間、外道術師の視界は暗転し、意識は失われた。永遠に。
◆
外道術師の胸から腕を引き抜いたクロウは、力を失った男の身体を横たえ、手を組ませた。
クロウは一度も名前を聞かなかった。
それは何故か。
外道術師が他者の姿を奪い悪事を為す者であるなら、本来の姿への忌避感が根底にあったからと想像する事は難しくない。
ならばアイデンティティの象徴たる名前を聞く事は余計な苦痛を与えてしまうことになりかねないだろうか
そうクロウが配慮したかどうかは定かではないが、兎も角も“仕事”はこれで終りだろうか?となにとはなしにクロウが窓から外を見ると、窓に黒髪の少女の姿が映っているではないか。
クロウはハッと振り向くが、そこには誰も居ない。
しかし窓には依然黒髪の少女が立っており、クロウが彼女を見ていると、その小さい指が一点を指差しはじめた。
クロウはその方向へ目をやるが、何も見えない。
だが、己の相棒である彼女がそこを指し示すというのなら黙って向かうべきだろうと窓を引き上げた。
クロウは知る由もないが、その方向は奇しくもシルファ達が逃れた方向だ。
そしてクロウの愛剣に名付けをしたのはシルファである。
窓から身を乗り出したクロウの姿が闇に掻き消える。
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