閑話:ザザ~月翳る夜、二人の男が②~

 ◆


 ランサックは中央教会所属、2級異神討滅官である。

 この大陸…イム大陸の宗教はいくつもあるが、その最大勢力である中央教会には2種類の実戦部隊が存在する。


 1つは異端審問官。

 これは法神教の穏健派からなる。

 彼等は純粋に法神へ信仰を捧げており、良く言えば狂信者。悪く言えば狂人だ。


 今1つは異神討滅官だ。

 これは法神教の過激派からなる。

 彼等はいずれも亡国の係累や、その貴種、あるいはその子孫だったりする。宗教を隠れ蓑に勢力を伸ばし、やがては自身の祖国を再興させるという野望を抱く。


 この二つの派閥は常に争っており、血が流れる事も珍しくはない。

 勿論、これらの派閥にも属さぬ者達もおり、そういったものたちは市井の街教会なりで日々の聖務に励んだりしている。


 ランサックは過激派…それも異神討滅官という立場にあった。


 二等異神討滅官『黒鬼』ランサック


 雷を纏う黒槍を融通無碍に振るい、邪教徒だろうが魔獣だろうが、魔人の類だろうが貫き殺してきた。


 ただし元がつく。


 彼もまた亡国の血筋をひく貴種ではあるが、他の者達ほどには祖国興国には興味がない。


 とはいえ、彼を育てた者達に対してそれなりの恩義を感じていたから野望につきあっていただけである。


 だがある時、彼の人生を一変させる事件が起きた。

 それはある任務での話だ。


 若きランサックは邪教徒討伐の任を帯び、とある僻地へと赴いた。


 結論から言えば、邪教徒のアジトというのはその地の土地神を祭る小さい農村の事で、その神というのも獣が信仰をうけ、ちょっとした変異をしたにすぎないというものだった。


 獣とは巨大な鹿である。

 生来体躯に優れたその個体は、その体格の良さゆえにささやかな信仰を受けるに至った。


 勿論大きいだけで信仰を受け続けたわけではなく、村の者に明らかな利益を齎すからこそ信仰を受け続けた。

 巨大鹿の糞は非常に有用な堆肥となったのだ。

 本来芽を出すのに1ヶ月はかかる様な作物が、その鹿からひりだされる堆肥を使う事で1週間程度へ短縮される。


 兎も角も、村の者達の心身の何処にも邪悪の萌芽は無い。

 少なくともランサックはそう判じた。


 ◆◆◆


 だがランサックの同僚や上司はそうではなかった。

 これは法神教のトップ、教皇アンドロザギウスによる悪意のある錯乱術が原因ではあるのだが、ともあれランサックの同僚や上司は異常とも言える殺気、殺意をその小さな農村の民へ向けた。


 なぜランサックが錯乱術の影響を受けなかったかといえば、先にも述べた通り、その無気力さゆえである。


 ちょっとした義理で野望につきあってただけで、その無関心さというものは術への強固な抵抗力となっていた。


 術とは一般的には世界に存在する逸話・伝承…いってみれば多勢の共通認識を元として力を顕現させるものだが、逆にいえば誰もしらない伝承や逸話からは力を引き出しえない。


 要するに、鈍感なものは術に対しても強いのである。


 そんな鈍感ランサックは同僚や上司の凶行を止めようとし、そしてその全員を殺め、自身も重症を負う事になった。


 僻地の村を村民が異神討滅官を殲滅する事などは出来ないし、死体を始末して逃れたとてランサックの不在は直ぐにわかってしまうだろう。

 そうなれば彼の裏切りは明らかになるし、そうなれば場合によっては神敵認定だ。


 ランサックに十分な後ろ盾があれば別かもしれないが、彼の後ろ盾なんていうものは他ならぬ中央教会である。


 そこで都合よく現れたのがルイゼであった。

 彼女はこの村の聖獣に用事があったのだ。

 ルイゼは魔法薬の類も佳く取り扱う。


 材料の中には育成に面倒を要するモノあるのだが、この村の信仰対象の鹿の堆肥は、彼女の魔法薬精製にとって非常に有用なものであった。


 村を訪れたルイゼはランサックと出会い、事情を聞き、一拍思案したかとおもえば白魚の様な指で天を指した。


「欲望に濁った眼。中央教会の殺し屋に相応しい眼ですが、どうにも勝手が違うようですね。よくよく見れば野望や狂信に芯をゆがめられているのではなくて、単に性欲に眼が曇っている野猿の眼です。まあ、腕に覚えはありそうです。新しい犬も欲しい頃でした。貴方、猿ではなく犬になりなさい。この状況は私がどうにかしてあげましょう」


 ランサックは間抜け面を晒しつつ、その指の方…つまり、空を見る。


 閃光。


 轟音。


 ランサックはあんぐりと口をあけた。

 空はこんなにも真っ青だというのに、まるで天にまします法神が怒雷を地上を迸らせたかの如き巨大な落雷を見たからだ。


 落雷はランサックが手をかけた複数の遺体…異神討滅官の遺体を撃ち据える。


 かくの如き所業を為した元凶をランサックはまんじりとした様子で見つめた。


 女はルイゼと名乗った。


 アリクス王国の貴族にして冒険者ギルドマスター、さらには大陸最大規模の術師組織、魔導協会の上級術師にして、大陸最小規模でありながらも最も畏怖されている連盟所属。

 ついでにいえば大陸で3人しかいない黒金級の冒険者でもある彼女を知らない者などは居ない。


 ちなみにこの3人の黒金級冒険者とは


 数百年あるいは数千年を生きていると噂されている『禍剣』シド・デイン


 冒険王ル・ブランの直系、『旅行者』アンリ


 そして彼女、『四大の』ルイゼ


 上記の3名の事である。

 当然ランサックとてルイゼの事は知っていた。

 だがルイゼという女を飾る様々な肩書きなどよりなにより、ランサックの眼を曇らせ、濁らせたものがある。


(一体なぜ死体を…いや、そんな事はどうでもいい。とんでもないモノをもってやがるッ…!でかいだけじゃない、品がある…。あのふくらみをわしづかみに出来たなら、俺は、俺は法神様だって突き殺せるぜ。だが尻はどうだ?し、尻は…尻も肉置きが良さそうだ。顔もいい。造り物みたいな美しさなのに造り物めいた冷たさを感じない。じょ、条理に反していやがる。まさか、美と性の悪魔か…!嗚呼畜生ッ!あ、あの上等女陰を、俺の、俺の魔羅槍で散々に突きまわしてぇなあッ!)


 そんな下賎なランサックを、ルイゼはまるで“性欲を抑えられずに野犬と性交をしてタチの悪い病を受けてその病原菌が脳にまで回り、狂い野たれ死んだ浮浪者を見る様な眼”で見つめながら、その蕾の様な唇を開いた。


「中央教会の殺し屋の皆さんは私が始末しました。なぜならば、私がこの地の聖獣の元へ出向こうとしたら異端だと襲いかかってきたからです。貴方はそれを見ていた。そうですね?」


 ランサックは黙って頷いた。

 ルイゼが何を言わんとするか、その察しがつかないほど彼も阿呆ではない。


 正当防衛だ。


 ルイゼほどのビッグネームともなれば、中央教会とて軽々に手を出せる存在ではない。


 責があるのがランサックの如き木っ端野良犬であればたちまちに潰されてしまうであろうが、ルイゼの如き巨龍であるならば潰されるのは先方である。


 ルイゼが喚んだ落雷は異神討滅官の面々の遺体を判別不可能なほどに損壊させてしまっていた。

 これならばランサックの槍の刺突痕などは分からないに違いない。


「それで、この後どうしますか?教会へ戻りますか?それとも私に飼われますか?私の犬になるならば、跪き私の靴へ接吻をなさい」


 考えるまでも無かった。

 育ての親たちに対する義理はこれまでの任務で既に果たしたし、大体こんな農村の村民を殺そうなど趣味が悪すぎる。


 彼等を殺すに値する理由があれば話は別だが、別に放って置いたところで何の問題もないではないか。


 自身が道具である事は否定する気はないが、せめてその使い手くらいは選びたかった。

 道具の安っぽい矜持である。


 ランサックは惨めでみすぼらしい野良犬の様に四つんばいとなり、ルイゼの美しい脚へと唇を捧げた。


 ――これが、ランサックとルイゼの関係の始まりであった。


 ◇◇◇


「ルイゼは言った。王都に潜む魔族共を狩り出せ、と。あの嬢ちゃんは魔族だ。だから殺すぜ」


 ランサックが言うとザザはシニカルな笑みを浮かべて応じた。


「ギルドマスターが元凶か。ならお前の次に斬るのはギルドマスターだな」


 こればかりは言ってはいけない言葉というものがある。


 言ってしまえば後は殺し合うしかないという決裂にして必殺の言葉だ。


 ザザもランサックも、それを自覚した上で “それ” を言った。


 ◇◇◇


 ザザはたかが娼婦の為に命を張るとはなんと馬鹿らしい、と思う。


 リリスという名は本名では無いだろう。

 ザザはリリスの内面的な事など何一つ知らないのだ。

 情は交わしても、それは金を積んだ結果でしかない。


 人間関係とは突き詰めれば時間を積むか金を積むかでしかまともな形にはならないが、金を積んで形にした人間関係というものは非常に脆い。

 だがザザという男には前者の時間を積むという事が出来ないのだ。


 何故出来ないのか?

 ビビっているからである。


 人体の様に、どこをどう斬れば殺せる、どこをどう斬らなければ殺さずに痛めつける事が出来る…そういう勘が人間関係では働かない。


 自身が好意をぶつけたにも関わらず、それがてんで見当違いであったら?それは恥だ。

 だが、それのみならず、嫌悪感を与えてしまったら?それは恥どころではすまない。


 恥……要するに、ザザは自分が傷つくのがとても怖いから人間関係という無明の闇に足を踏み出す事が出来ず、ある程度解答が保証されている金の関係に身を委ねるのだ。


 これは彼本人の気質もあるのだろうが、人種的な気質というモノもあるかもしれない。


 自己の内面を晒すことへの病的な恐怖、自身の気持ちを伝える事への保身的な恐怖。

 恥という概念への嫌悪にも似た忌避感。

 これらは彼の産まれた極東の民の国民的気質である。


 とかく、極東の民というのは恥に対しては敏感だ。


 ザザが依頼にあたって努めて無傷であろうとし、それを実行しているのは彼の内面を顕したものなのかもしれない。


 だがこの極東の民というのは平時はこのようにビビリで控え目なのだが、一旦腹を括ると自棄にも似た覚悟を決めるという性質も持ち合わせていた。


 確かに彼等極東の民は恥を恐れる。

 恐れるのだが、それが閾値を超えてしまうと、恥を恐れる自分を恥じてブチ切れてしまうのだ。


 故郷で自身より強大な剣士から逃げ出したという過去は、彼に本名である佐々次郎という名を捨てさせるほどの傷を与えていた。

 肉体への傷ではない、精神への傷である。


 更にちょっとイイなと思ってる女を、一緒に居て安らげる女を、好みの乳を持つ女を、国やら上司やらその飼い犬やらの脅しに屈して引き渡すくらいならば、そんな腰抜けはもうこの場で腹を斬ってくたばった方が良い――…ザザはそれくらい腹を括っていた。


 ザザの影の揺らいだと思えば、次の瞬間にはランサックの眼前に、いや、その上方へ飛び上がっていた。


 突撃と跳躍、そして斬撃。

 これらが同時に放たれる。

 跳躍中に手元でくるりと片刃の長剣を回し、峰の部分でランサックを強打した。


 いわゆる峰打ちだが、これは手加減の類で放った技ではない。


 斬撃より打撃が弱いと言うのは素人の考えだ。

 打撃でも十分人は殺害せしめる事は可能だ。


 ザザが宙より振り下ろした打撃は、緋金剛の原石をも打ち割る剛力が込められていた。

 正しくザザはランサックを撲殺しようとして剣を振り下ろしたのだ。


 勿論そんなものを棒立ちで受けるランサックではない。

 槍の柄の部分でそれを受けるも、凄まじい衝撃に腰がやや沈む。

 だが受けた。


 受けた瞬間、電撃が剣を伝ってザザの腕を焼き焦がした。

 ランサックはただ受けただけではない。

 雷の力を帯びた魔槍の力を起動していたのだ。


 ザザの、剣を握る手から力が抜ける。

 しかしザザにとってはさほどの問題ではなかった。


 なぜならこの秘剣は2度刺すからだ。


 力強い握力でなくとも、とりあえず剣を支えるだけの握力があれば良かった。


 一旦槍を引き、更なる追撃の刺突をと体勢を整えようとしたランサックは背にゾクリと寒気を覚える。


 死神が自身を見入っている。

 そんな悪寒だ。


 打ち下ろされた剣が下方へ滑っていく。

 滑り…そして、地へと切っ先が“着弾”し、大地の反動が剣に伝わる。

 その反動が極点に達したその瞬間。


 ザザが魔力を多分に込めた蹴りを自身の剣の峰へ放とうとした。


 跳躍の際に魔力を足に回し、天空より激しい峰打撃を繰り出し、大地に剣を叩き付ける。

 その反動は強烈な反発力を生み出し、さらにそれに乗する形で跳躍時に足に込めた魔力をもって峰を蹴り上げる。


 大地の力と魔力蹴撃の力という砥石は、下方より跳ね上がる斬撃を限りなく鋭く研ぎあげるはずだ。


 この技はかつてザザが佐々次郎であった時、当時ライバルだと目されていた大剣豪へ叩き付けるはずの技であった。両者は決闘を約したのだ。


 しかしザザは戦わずに逃げた。


 なぜなら戦えば死ぬ事を言葉にならぬ霊感にて感得したからである。


 いわばこの天地人の集約に等しい斬撃は恥の象徴とも言える技だ。

 過日のザザからすれば、このような恥の技を放つ位ならば死んだ方がマシと放言していたであろう。


 しかしザザは今、意地を恥より優先した。

 即ち、恥の技ではなく意地の技と相成ったのである。


 ――魔剣・燕返し


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