閑話:ザザ~月翳る夜、二人の男が③~

 ◇


 ランサックは体勢を崩している。

 このままザザが剣を跳ね上げれば、ランサックは股間部から頭頂にかけて一刀両断されるだろう。


 だがザザが友殺しを為す事は無かった。

 なぜならザザの手首、及び足を影が縛り付けたからだ。


 その拘束力は決して強くはない。

 だが、ザザはその影の束縛を強引に解く気になれなかった。


 なぜなら恐らく術者は自身のよく知る者であろうからだ。

 魔力と言うものが精神に紐付いていることはザザも知っている。

 そしてザザは自身を縛する影の鎖から立ち昇る魔力、その匂いを知っていた。


 さらにザザの豊富な戦闘経験からみて、この手の拘束術式は破縛されれば術師に反動が向かうタイプのものだ。


 だからザザは無理矢理に引き千切る事が出来ない。破れば恐らくは術者であるリリスの肉体に反動が向かうだろう。


 この制止で頭が冷えたというのもザザが大人しくしている理由である。


 反動など無視してランサックを殺せばどうなるか。リリスは傷つくだろうが死にはするまい。

 だがザザにはその先どうなるかさっぱりわからない。恐らくはアリクス王国から追われることになるだろう。


 なぜならランサックの背後にはルイゼがいる。

 高名な術師である事もそうだが、何より彼女には権力がある。ランサックはその彼女の飼い犬だ。ペットを殺されれば飼い主は檄するであろう。


 ザザはランサックを斬殺し、そしてルイゼに追われれば可能なかぎり逃避し、不可能そうなら立ち向かうつもりでいた。

 リリスを連れて。


 自身でも笑ってしまうほど無計画で低脳な計画だとザザは自嘲する。


 それでも怯える野良犬の如く身を縮こまらせてリリスを殺されるよりはマシであった。


 そこへきて、今度はリリスが自ら姿を現し、危険へと身を投げようとしている。


 ザザは何をどうすればいいのかさっぱりわからなかった。


 往時の自分であったなら、立ちふさがる壁は全て剣一本で切り伏せ解決したであろうに。


 ――しがらみを得て、俺は弱くなったのだろうか


 故意に封じていた魔剣を取り出し、それに向き合い、ザザは何となく自身が一皮向けたような気がしていた。


 だがここに来てザザは再び自身への疑念に囚われる。


 ――糞、たかが商売女にそこまでいれあげたのか俺は。情1つで身動きできなくなるとは


 こんな事ならば、あの大剣豪との決闘を逃げたりせずに、男らしく立ち向かいくたばったほうがよかったのかもな、などとザザは益体も無い事を考えていた。


 ◇


「リリスか。何故ここに?」


 ザザが背後に向けて短く問う。


 はたして暗がりから密やかに歩みを進めてきたのは、ザザの良く知る黒髪の乙女であった。


「ザザ様。良いのです」


 何がだ、とザザは問わなかった。

 リリスが何を良しとするつもりで口を開いているのかはザザとて分かっていたからだ。


「ザザ様。良いのです。私は貴方に逢えて幸せでした…。人間、私をその槍で突き殺しなさい。お前の見立て通り、私は魔族です。かつて人に敵対し、人に恋をし、同胞に背を向けた裏切り者です。末路はこのようなものであろうと自分でも思っておりました」


 ランサックは用心深くリリスを見遣る。

 リリスの言う事を丸々信用したわけではないが、どうも自分の知識にある魔族とは勝手が違うような気がしたからだ。


 ランサックはリリスについては比較的害の無いものと考えていた。

 それはルイゼが速やかな抹殺を命じなかったことからも明らかだ。


 恐らくは魔族間での抗争なりなんなりから逃避し、劣等と蔑む人間をほどほどに餌にしながら暮らしているはぐれ魔族と言った所だろうと考えていた。


 彼女より遥かに悪辣な人間なんて幾らでもいる。

 危険を冒してまで排除する必要は今の所はない…そう考えていたのだ。


 しかしルイゼが今回王都に潜伏する魔族を可能な限り始末しろと命じてきた事で、その“今の所は”と言う猶予期間が終わったのだとランサックは受取った。


「…なぜ抵抗せずに殺されようとする」


 ランサックが低い声でリリスに問いかけた。


「お前に阿って殺されてあげるわけではありません。お前1人であるならどうにかなるかもしれませんが、あの魔女が私を殺すと決めたのならば、抗しえないでしょう。それでも私1人ならば逃げる事が出来たかもしれません。しかし…私にはあの可愛い人の命や居場所を無くしてまで、とは思いません」


 リリスの視線の先には顔色を蒼白にしたザザが居た。


 そう、ザザの顔色は蒼白だ。

 だがそれは己が足手まといになっていたと知った無様が故ではない。


 ――どいつもこいつも


 ザザの血の気が引いていたのは憤怒ゆえである。


 リリスはザザの力では事態を出来ないと考えこのような仕儀に及んだのであろう。


 ランサックやルイゼはザザを排除し得ると考えてこのような仕儀に及んだのであろう。


 何もかもがザザという男に対しての侮辱に他ならなかった。

 だが何より業腹なのが、ザザ自身も自身の力がいかなる形でも事態解決には及ばないと心のどこかで気付いているという点である。


 ――ならば見せてやる


 ザザは本日二度目の自棄的狂怒を発し、おもむろに懐に吞んでいた短刀で自身の脇腹を突き刺す。


 ――死剣・影腹


 ◇


「なっ!?お、おい!」


 つい先ほどまでザザを殺そうとしていたランサックはザザの奇行に思わず声をあげ、その次の瞬間口を閉じた。


 いや、閉じさせられた。


 下方より繰り出された掌撃に顎を強かに強打されたからだ。

 文字通りの神速はランサックの動体視力を完全に優越していた。


 リリスはザザの変貌に唖然とし、束縛をといてしまっていた。


 倒れ付すランサックの頭を踏みつけ、ザザは全身から生命力から成るオーラを迸らせ吠えた。


「ルイゼェェエ!どこかで見ているのだろう!犬をけしかければ俺がどうにかできるとでも思ったか!見ての通りだ!リリスを見逃せ!さもなければ貴様のお気に入りの犬をぶち殺してやる!その後は俺も死ぬ!アリクス王国から達人が二人も消えるんだ!魔族との戦争で不利になるんじゃないのか!」


 そして、くるりとリリスを見遣り、こうも言った。


「リリス!俺の命だとか居場所だとかについて勝手にべらべら抜かしてくれたな!俺が可愛いだと!?舐めるな!貴様は俺の命を惜しむがゆえに自分の命を差し出すくせに、俺の矜持はまるで無視か!だったら貴様を救ってくたばってやる!ハハハハー!ざまぁみやがれ!!」


 ザザのトチ狂った絶叫にリリスは唖然とし、意識が朦朧としているはずのランサックも呆れたような気配を醸し出している。


 ――ザザ、貴方は頭がおかしいのですか


 闇に呆れたような声が響く。

 同時にずっとそこに居たかのように…ルイゼ・シャルトル・フル・エボンの姿がザザの眼前に像を結んだ。


「…良く考えてみれば、金等級でまともな子はいませんでしたね。私が選んでいるので当然ですが」


 ルイゼは白くほっそりとした人差し指で宙空に斜線を引いた。


 途端、ザザは脇腹を押さえて転げて悶え苦しんだ。


「うっ…!ぐ、おおおお…」


 ゴロゴロ転がるザザにリリスがあわてて駆け寄り、怪我を見てアワアワとしている。

 だがザザの脇腹に空いた穴はその傷を火で炙ったように焼け爛れていた。


「とりあえずの止血です」


 ルイゼはその様子を虫けらを見るような目で見ながら言い、倒れているランサックへやおら蹴りをくれた。


 鎧で身を固めているはずのランサックが一瞬宙に浮くほどの強烈な蹴りだ。


「仕事が雑です。ランサック。下調べくらいはしなさい。その上であの女魔族を始末するのならば、ザザが不在のうちに殺ればいいでしょう。なぜザザが女魔族と懇ろであることを知っていて彼を誘うのですか。この役立たず。私は確かに王都に潜伏する魔族を始末しろとは言いましたよ。でもこういうケースでは一言相談くらいあっても良いのではないですか?金等級冒険者は人魔大戦の際の有用な攻め札である、と私はいいましたよね。拙速に過ぎたのは何故です?ああ、功を焦ったのでしょうかね。仮に勘付かれていることを知った女魔族がアリクス王国から遁走すれば獲物がいなくなるわけですからね。私からの褒美に目が眩みましたか?いいですか、ランサック。有能な働き者、有能な怠け者、無能な働き者、無能な怠け者。私が嫌いなのはどれだとおもいますか?3番目です。無能な働き者ランサック、余り舐めた失態を犯すようならこの場で挽き肉にしますよ。もう一度言います。………殺すぞ、ランサック」


「ひ、ひぇ…す、すまねえ…でもよう、ザザだってあの女が魔族だってしったら目を覚まして手をかしてくれるんじゃねえかって、い、痛い!やめてくれ!」


 ◇


 ランサックは生きていた。

 とりあえずは、だが。


 ルイゼの暴虐にリリスは唖然とするばかりであった。

 だが逃げるわけにもいかない。

 逃げられないだろうし、なによりザザを置いて行くわけにもいかない。

 想像以上に頭がおかしいザザだが、そんなザザをリリスはいつのまにか好いていた。


 そしてルイゼは絶対零度の視線をリリスへむけて口を開く。


「女魔族。結論から先に言います。条件付きで見逃します。お前は我々に与しなさい。お前の知る限りの魔族についての情報を提供しなさい。そしてきたる人魔大戦ではお前も戦うのです。人の為に元同胞を殺しなさい。そうすれば命は永らえさせてあげましょう。王国を離れる必要もありません。戦後はザザと好きなだけイチャついていなさい」


 リリスには否応も無かった。


 ◇


「なるほど、既に大分入り込んでいるわけですね。特定は出来るのですか」


「ではお前を私の従者として連れまわします。匂う貴族を訪問します、その場で判別なさい」


「ロナリア家の?ロナリア伯爵令嬢が“そう”だと言うのですか?」


「ああ、残滓。すると親族ですかね。厄介な事です…ああ、そういえばそろそろあの子にも仕事をふらなければとおもっていました」


「ザザもランサックも…使えないかもしれませんね。少し痛みすぎてます。ザザの自傷は一種の呪いです。破術しなければ傷を塞いでも死にます。その破術は私がやりますが、今はともかくロナリア家が懸念となりますね。王国貴族である私が動けばそれは魔族の謀に乗る事になります。やはり、あの子に任せましょうか。あの剣もありますし、将級でもない魔族に遅れは取らないでしょう」

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