王都の夜

 ■


 バルバリは闇夜に紛れ、ロナリア伯爵家へ向かっていた。

 懐にはだんびら…ではなく、密書を吞んでいる。

 サウザール・コイフからロナリア伯爵への密書だ。

 バルバリは歩を進めながらある光景を想起する。


 ◆


「バルバリ。これをロナリア伯に届けよ。ロナリア伯爵家ではない、ロナリア伯爵に届けるのだ」


 サウザールは書き上げた密書、そして懐から白い爪をピアスへ仕立てたものを取り出し、バルバリへ手渡した。


「これを見せれば余計な事は聞かれず、直接ロナリア伯に通されるはずだ」


 その時のサウザールの様子は無表情ながらも、バルバリには何やら敬愛する主の精神がささくれ立っているかのように感じた。


 ◆


 サウザールがバルバリへ託した密書の内容は、在る1つの懸念についての警鐘だ。


 彼は、サウザールは不気味な気配を感じていた。

 それは例えるならば、大きく立派で表面が滑らかで艶やかな石をひっくり返してみたら、毒虫が大量に群れを成していたのを見てしまった…という様なゾワゾワした不快感であった。


 アリクス王国に何か不穏なモノが入り込んでいる。

 これは多少なり能のある貴族ならば薄々感づいている事だ。

 不穏な何かは貴族間の連帯を傷つけ、仲違いさせ、いがみ合わせようとしている。これもまた多くの貴族が感じ、懸念している事である。


 だがサウザールが、いや、能ある貴族の多くが懸念しているのはここまで分かりやすく明らかに動かれて、全く尻尾をつかめないという事だ。


 いや、怪しい人物は何人かいる。

 しかし実際にそれらの人物を捕まえようとすると忽然と姿を消してしまうのだ。


 それらの人物の多くがコイフ伯爵家、そしてロナリア伯爵家の関係者であると言うのは……



 ◆◆◆


「成り代わり、ねぇ」

<挿絵①近況ノートにて>

 不機嫌そうに顔を背け、ジョアンナ・ゼイン・フォン・プピラ女公爵はボヤいた。


 くすんだ金色の髪の先をいじりながらジョアンナは虚空に目をやっている。何かを想い悩んでいるかの様な様子の主に侍女が目をやるが、やがてジョアンナはぱちぱちと激しく瞬き、大きくため息をつく。プピラ家当主ジョアンナは時折この様に虚空を見つめる奇癖があった。


 彼女が口にした成り代わりと言うのは、人魔大戦から何度も何度も使われてきた魔族側の常套撹乱戦術である。


 人魔大戦はヒト種と魔族の戦争だが、この戦争の形と言うのは回を重ねる毎にそれなりに洗練されてきている。

 洗練といっても良い意味ではない。


 魔族側が学習をしてきて、謀略の類を駆使しだしてきたという意味だ。このなり代わりと言うのも、第二次人魔大戦から使われてきた戦略である。これは文字通り、ヒト種に化けて人類を内部から瓦解させようとする類のものであった。

 こういった暗謀は人類間の戦争であっても似たような事は行われてきたのだが、魔族の使うそれはやや毛色が違った。


 “影の相貌”と呼ばれる魔族がいる。

 これは魔族にしては脆弱であり、少々腕に自身がある騎士ならば単身で切り伏せることが出来る程度の力しか持たないのだが、恐るべきはその特殊能力だ。


 簡単に言えば人に化ける。

 いいや、正確にいえば人格の乗っ取りだ。

 化ける対象を殺し、対象の記憶や経験、生来の癖などを全て乗っ取ってしまう。


 これの何が問題かといえば、見分ける術がないのだ。

 まあ救いが無いわけではない。

 自身の手で殺さないと乗っ取ることができないのだから、身辺警戒を厳にする事で乗っ取りを防ぐ事が出来る。

 ここがミソだ。

 自身の手で殺さなければ乗っ取りは出来ない。

 この辺りの制約を見るに、乗っ取りが種族由来の特殊な能力ではなく、自分で殺す事を起動条件とした術の類である…と唱える研究者もいる。


 現に、この乗っ取りを再現した外法の術も存在する。

 他者を殺し、その皮を被る事で身体を変容させる術だ。

 これはロナリア伯爵家の御用商人であったカザカスを殺し、その皮を被った術師が行使した。

 もっともこの術には非常に致命的な欠陥もあるのだが…


 ともかく身辺警戒で乗っ取りは防げる。

 しかし、ヒト種のすべての個体に対してそのような対策を打つことは出来ない。ここが不味い。

 従って、一般市民から末端の兵士、末端の兵士からその上役である兵士長…と乗っ取りが繰り返されると、その魔手はやがて貴族にすら及ぶだろう。


 当然その辺りはヒト種側も警戒をしているのだが、それでも犠牲は出る。よって、成り代わりはヒト種側にとっては使われることが分かっては居ても防ぎづらい非常に嫌な謀略なのだ。


 まあ魔族側はこの迂遠さを嫌って、強者であっても強制的に魔に染めてしまえと思う者もいる。

 そういった者らが降魔薬の開発に繋がったわけだが、その辺りの事情はヒト種は知らない。少なくとも今は。


 ◆◆◆


 ジョアンナを初め、アリクス王国の上級貴族はこの成り代わりがいかなるものかを知っている。

 知っているからこそ、それを喧伝しない。

 そもそも尋常な手段では見破ることが出来ないのだ。

 公開した所で混乱が広がるだけなのは目に見えている。


 ジョアンナは脳筋ばかりのアリクス貴族でも珍しく情報と言うものに重きを置いており、コイフ伯爵家とロナリア伯爵家の周辺が臭いという情報を既に掴んでいた。


(何も気付いていない様なら忠告をしなければ、とおもっていたけれど、自分達で動いてくれるみたいだし助かるわね。それにしても嫌ねえ、成り代わりが出てくる時はいよいよ戦争が近付いている、と言う事よねぇ)


 ほうっとため息をつくジョアンナは、この鬱々した気分を少し変えたいと思い、流し目で侍女をみやる。

 ジョアンナの視線を受けた侍女は頬を赤らめながらジョアンナへ近付いていく。

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