2章・第16話:人が人を助けたいと思うことは

 ■


 クロウの精神状態は虚なる者を滅ぼした時に比べて良化した……筈だった。だが、実際は違った。

 悪化したのだ。


 生も死も、こんなものは考えたって仕方のない事なのだ。

 そこに特別な意味を見出そうとすると沼に嵌る。

 生は生、死は死。


 ただそこにある事実、ただそれだけ。

 それ以上考える事を放棄して、事実を事実としてだけ見れば良い。というか、そうしなければ頭がおかしくなってしまう。


 生なり死なりに何らかの答えを見出したいのならば、普遍的な真理ではなく、自分なりの何らかの納得を見出さなければならない。必要なのは答えではなく納得感なのだ。


 だがクロウは所謂真理の方を見出そうとしている。

 ただでさえ考え込む男なのだから、そんな事を考えていたら狂気を加速させてしまう。


 カルミラがクロウを“こいつ頭がおかしい……”と思うのは当然な事だった。


 ■


「俺は俺が嫌いだ。殺す事を正当化しようとしている。熊を弄んだ貴女への怒りで貴女を殺害する後ろめたさから少しでも楽になろうとしているんだ……卑怯だ……俺は屑なのだろうか? 貴女はどう思う? ところで貴女の名前はカルミラと言っていたね。俺はクロウだ。俺の名前を覚えてくれ。俺も貴女の名前を覚えよう」


 目の前の狂人がまた訳の分からぬ事を語りだした。

 話をころころ変えるな!!! 私もお前が嫌いだよ!!!! と思いながらも、これをチャンスとばかりにカルミラは“同族”へ交信を試みる。


 カルミラにとってはこれはとんでもない恥を晒す事に等しい。

 たかが人間に追い詰められて仲間へ助けを求めるなど、魔族にとっては自死にも値する恥だ。

 だがもうカルミラには目の前の狂人が人間だとは思えなかった。


 言ってる事は訳がわからないし、だが口調自体は落ち着いている。それでいて、全身から放たれる殺気は益々濃密になっていく。その様は正しく狂人だ。


「人間、貴様が何を言っているのか私には分からない。でもこのまま私が殺されると思うなよ! そうだ! 私はカルミラ! 魔氷姫カルミラだ!」


 クロウは頷いてしゃがみこんだ。

 クラウチング・スタートの構え。


「さようなら、カルミラ」


 次の瞬間、地面が捲れクロウの姿が掻き消えた。

 しかし人間を遥かに動体視力の彼女はクロウがとんでもない速度で突っ込んでくる姿をはっきりと見た。


 ──ああ、これは

 ──しんだ……


 カルミラは目を瞑った。

 どうあれ、真っ当に殺りあった結果だ。

 最期は誇り高く逝きたい、そう思っての覚悟の瞑目。


(こわああああああ!!!!!)


 ではなかった。

 単に、歯をむき出しにして飢えた野獣の如き狂相で襲い掛かってくるクロウが怖すぎたから目を瞑っただけだった。


 クロウの振りかざした剣がまさにカルミラの首を切断しようかというその瞬間、クロウは弾かれた様に後方へ飛んだ。


 ──כדור אש מתפרץ


 クロウの背後から直径150センチほどの大きな火球が飛んできたからだ。


 なぜ火球が背後から飛んできたのに火球に向かってさけようとするのか……カルミラは口をあんぐりあけてその様子を眺めていた。


 クロウは振り返り、火球に向けて渾身の力で剣を振り下ろす。

 そして見事火球を一刀両断に斬ってのけるが、火球は左右に断たれた後、大爆発を起こした。


 爆発に巻き込まれたクロウはカルミラの体に吹き飛んでいった。カルミラは良くわからないがとりあえずクロウの体を受止める。


「あ、あんた……私を……」


 ──助けてくれたの……? 

 と続けようとしたカルミラは、火球が飛んできた先をキッと睨みつけた。


「オルセン様!! なぜです! 私を巻き込もうとした理由を教えてください!」


 爆煙の先から現れたのはカルミラより頭2つは大きい巨漢だ。

 その肌は青く、クロウ達を見る目には嘲笑の意が多分に含まれている。だが、この男には巨漢特有の雄々しさだとか猛々しさだとかはない。

 むしろ、立ち居振る舞いにどうにも女のそれが混じっている様だった。


「クフフ……まさかそのゴミを庇うとは! フッ……ほほほほ! 堕ちましたねえ、カルミラ。勇者でもない人間に敗北するだけでなく、命まで救われるとは」


 男の名はオルセン。

 下将級とはいえ、そもそも将級自体が絶対実力者である。

 数もそう多くは無い。このオルセンは少なくともカルミラなどよりは二段は格上であった。


「縛鎖の緩み甚だしく。魔王様は既にお目覚めになられています。しかしいま少し、削っておく必要があるのです。魔王様の強大さゆえ、忌々しい縛鎖はより強く魔王様を束縛する……我々の役目は即ちその削りだという事を忘れましたか? 国を混乱させ、勇者、英雄を貶め、魔力流るる地脈を抑え! それだというのにカルミラァァァ、貴女はどうも遊んでいる様だ。殺されたくなければ役目を果たす事です。さあ、そこの人間は始末しました。行きますよ。人間を魔族化させる術など、実験は不要です。人間で実験すればいいではないですか。どうせ代わりはいくらでもいるのです」


 果ての大陸の封縛鎖は既に下将級の魔族を封じておく事すら出来なくなってしまっていた。

 縛鎖の弱体化は当代の勇者が原因なのだが……その事情を知るものは現時点では極少数だ。


 ■


 カルミラは歯噛みした。

 術はそれなりに消費が大きい。

 特に人間の様に複雑な生き物に行使するならば。

 その消費は全てこちら持ちではないか。

 自分の懐を痛ませず、部下に丸投げとはとんだ上官だ。


(とはいえ、逆らえないのも事実だしね……それにしてもこの人間はなぜ私をかばったのだろう)


(人間とは思えない奴だったけど、あの糞オルセンには敵わないか。悔しいけどオルセンは強い)


「じゃあね、人間……クロウ、だったかな。助けてくれてありがと」


 オルセンに聞こえないように呟き、オルセンの元へ向かおうとするが……

 当のオルセンは不機嫌そうな表情だ。

 まさか聞かれていたか? と焦るカルミラだが、次の瞬間焦りは驚愕へと変わった。


 胸から剣が生えていたからだ。

 カルミラの背後から誰かが彼女を剣で貫いたのだ。

 突き出された剣がグリッと捻られる。


「は……っ? あ……」


 カルミラは呻き、その場にばたりと倒れる。

 彼女に背後に立っていたのは、クロウ。


 クロウは所々火傷を負い、息を荒げていた。

 下将級の魔族の放った魔法をその身で受けたにも関わらずクロウはまだ生きていた。


 ■


「人間。お前はそこのゴミの命を救ったのではないのですか……」


 オルセンが訊ねる。

 彼の疑問も当然だ。

 確かにクロウは大火球の魔法から身を呈してカルミラを守った。


 クロウはオルセンの言葉を無視して、倒れたカルミラの傍にかがみこみ、その手を握ってやっていた。

 カルミラはまだ生きていた。

 目の端に涙を浮かべ、口をぱくぱくと動かしている。


「大丈夫。俺が最期まで貴女の手を握っているよ。平気だ……怖くなんて無い。みんな最期は同じ場所へ行く。カルミラ、いつか俺も同じ場所へ行くだろう。その時は熊の話をしよう」


 それを聞いたカルミラが何を思ったかは分からないが、やがて力尽き、事切れた。


 クロウは目を見開いたカルミラの瞳を閉じてやり、手を組ませた。そして、ゆっくりオルセンの方へ振り返る。


 ■


「俺はカルミラを助けた。あんたの攻撃から。俺があのままカルミラへ斬りかかっていたらあの火の球は彼女を巻き込んでしまっていただろう」


 ──じゃあ何故殺す!? 


 カルミラが殺された事自体は何とも思わない。

 しかしオルセンにとって、目の前の人間の思考回路は全くの理外の理であった。


「……ではなぜ彼女を殺すんですか?」

 余りにも意味不明なため、思わずオルセンは質問をしてしまった。


「人が人を助けたいと思う事はそんなにおかしいか? あんたには……心がないのか? 俺は彼女が危ないとおもった。だから助けた。そして殺した。彼女を殺さなきゃ被害が増えてしまうからだ」


 その答えを聞いたオルセンはより一層混乱し、聞かなきゃよかったと後悔した。

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