2章・第15話:死ぬこと、殺すこと、生きること


「生きる事は…生きる事は何も無い暗闇の荒野を彷徨う様なものなんだ。でも死という暖かい灯が先に見える事で、みんな安心して歩んでいけるんだ…あそこへたどり着けば辛い事も皆終わると信じて…」


クロウが何やら呟きながら肩からカルミラへ突っ込んでいく。

分厚い肩という盾は生半可な飛び道具等皆弾いてしまいそうで、カルミラは魔法を撃つことを躊躇ってしまった。


なにより先ほど、雷撃を素手で弾かれるという訳の分からぬ経験をしている。


ぎりっと歯を食いしばり、迎撃の様子を見せるカルミラだが、高速で突っ込んでくる何かやたら硬そうなクロウには何をしても対処されてしまいそうで…要するに魔族の剣士としてあってはならないことだが…ビビってしまっていた。


(ま、まずは距離を!距離を取る!遠距離から穴だらけにしてやるわ!)

だが風を喚び高速で移動する魔法を使おうとしたその瞬間


「動く”な”あ”あ”あ”あ”ァ”ァ”!!!!!」


魔力が込められたクロウの大咆哮がカルミラの集中力を叩き壊す。足元の小石がバキバキと粉砕される程の物理的な圧力を伴ったバインドボイスの影響下では魔法等はとても使えない。


(ギャピィィィィ!)


クロウが剣を大上段に振り上げ、カルミラに振り下ろす。

カルミラは必死で横に転げ、確死の一撃をかわした。



「人は、いや、生き物は望んで死なねばならない…寒くて暗い荒野を彷徨う様な生に、最期に残された救い…それが死でなくちゃいけない。そうでなければ余りに寂しいじゃないか…」


「人間!!!貴様!!余り調子に乗るなよ!להקפיא להב פיזור!」


カルミラが手に握る魔凍剣スカージの切っ先をクロウに向けて力を解放する。

すると驚くべき事に刃が枝分かれしていき、それはたちまち2本、4本、8本…と増え、クロウへ凍てつく牙を伸ばした。


この魔法はヒト種の言葉で直訳すると凍結分散刃という。

この牙は獲物が逃げようとも伸び続け、決して逃がす事はない。

そしてひとたび体に食い込んだら最後、体内で氷は枝分かれし続け内側で粉砕破裂し、深刻的な内部破壊を齎す恐ろしい魔法だ。



凍てつく死の牙が四方八方からクロウに襲いかかる。

その時、クロウの両眼がぎょるりとそれぞれ違う方向を向いた。

左眼と右眼がそれぞれ別の視界を捉え、氷の牙を捕捉する。


これは何かしらの武術の技ではなく、クロウの身体制御がつま先から頭のてっぺんまで十全に及んでいる為の仕儀である。

単純に、両眼で同じ部分を見るよりも、それぞれ別に動かしたほうが効率的だよねとクロウが思っているため、体がそれに応えたに過ぎないのだ。


クロウはそれぞれ別の方向から迫り来る氷を見るや、剣一本でそれらを迎撃する事は困難と判断した。


だから魔剣コーリングを空高く放り投げ、両の手に魔力を通す。

そしてその左手が下方から、右手が上方から真円の軌跡を描く。

空手の技術で言う回し受けだ。

本来は拳や蹴りを打ち払うものであって、断じて上下左右から襲いくる氷の刃を払うべき技ではない。

ちなみに、空へ放り投げたのは愛剣を地べたに置くのは嫌だったからである。


当然クロウは…本来の体の持ち主のクロウも、そしてシロウもこんな技を知っていた訳ではない。

様々な方向から襲ってくる攻撃を一息に払いのけるにはどうすればいいかという疑問に体が応えたに過ぎない。


カルミラの魔法がクロウの魔力で覆われた両手に粉砕されていく。

彼女はそれを眼をかっぴらいで凝視していた。


そして氷の牙を砕ききった後、放り投げた魔剣コーリングが落ちてくる。パシッという乾いた音…クロウが剣を握った音が、カルミラの耳にはやけに大きく聞こえた。



「殺されるっていうのは…死ぬ事とは違うと思う。でも今の俺には、それがどう違うのかがよく、分からない…心では何となく分かる。でも言葉に出来ないんだ。殺すことには尊敬がない、尊重がない…ああ、違う気がする…何といえばいいのか…とにかく」


クロウは言葉を切って、熊の死骸へ眼を向けて再び口を開いた。


「俺自身が殺されてみなければ、それは分からないのかもしれない。でも…笑ってくれ、俺は誰かが誰かを殺す事が嫌なんだ。みんな笑顔で自ら死んでほしい。俺自身も笑って死にたい。だから、殺しを増やすような人がいるなら、俺はその人を殺すんだ。おかしいだろ?俺はそんな俺がたまらなく嫌いなんだ…」


カルミラは目の前の敵の言葉を理解する事を諦めた。

何一つ理解出来ない妄言だ。

そしてもはや人間だとも思えなかった。


ひゅるると風が吹く。

黙り込んだクロウは動こうとはしない。


(“これ”は別の生き物だ。人間でもない、勿論魔族でもない…悍ましい)


――怪物め


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