第34話

店主の周りに商売仲間が集まり声をかける。

丁露ていろ、大丈夫かい?」

「配られた呪符を船に貼ってなかったのか?」

 店主の男は丁露という名らしい。

「家に貼ったんだ。俺が出ていくと家は妻と母だけになってしまう」

「病み上がりだったんだろ。無理をするな」

 知り合いは丁露に優しく声をかけるが見物人は大勢いてひそひそと小声で話している。

 視線は疑いや厄介者を見る目だ。

「この辺に暮らしている皆はちびっ子だって泳げるし水鬼が出たことなんてない」

「そうだ。川で死んでも骸は回収してきちんと弔っている」

 謝砂の耳にも聞えてきた。

「あの、謝家の仙師様。奇怪なものは俺が連れてきたんでしょうか?」

 瞳の奥で怯えながら丁露がきいた。

 ひそひそと噂が立つ前に言わないといけない。ぐっと袖を掴んで握りしめた。

「違います」

 謝砂は集まった人たちに聞えるように大きな声で言った。

「捕らえたのだから気にする必要はありません」

「あれって謝家の若宗主と桃家の公子では?」

 謝砂に覚えがないのだが集まっていた若い街の娘たちの一人が言った。

 話の流れが完全に切り替わった。

 謝砂たちは見物人を押しのけた街の女子たちに囲まれた。

「絶対そうよ」

「見間違いじゃない? ここは嶺家の仙師しか来ないわよ」

「あの顔立ちですもの。忘れないわ」

(そうですよね。爛に続いて桃家の師弟たちという綺麗な人たちを引連れてますよ。男ですけど美人です)

「嶺家に荷を届けに行ったときに若宗主の謝砂様を見たことがあるの」

(意外と人気があるのかも)

「あの冷え切った目は忘れられないわ。直接合わせたら夢に出てくるわ」

(なんか悪夢扱いされてないか)

華積かせつの桃爛様に氷雪ひょうせつの謝砂様よ」

「桃家の公子たちがわちゃわちゃしてる様子は心が洗われるようだわ」

 街の娘にご婦人たちも合流して話が盛り上がる。

 顔を赤めながら話しているが桃家の公子たちは捕らえた水鬼の数でも揉めているのが仲良く見えるようで聞えてないらしい。 

 謝砂の目には桃雪児と桃常が水鬼の捕らえた数で揉めていて桃柚苑と桃展が間に入って言い聞かせているようにしか見えない。

「眼福です」

 隣の爛を見ると数名の女の子に拝まれている。

「見ろ! 嶺家の方だ。場所を開けろ」

 集まっていた一人が川を指さして叫んだ。

 十人ぐらいの集団が御剣して川の上を飛んで来た。

 ぽっかりと場所が開けられると謝砂の前に2列になりふわりと剣から降りた。

「謝砂様、私は嶺家から来ました。騒ぎに間に合わず申し訳ございません」

 代表者は謝砂が顔を見る前に頭を下げると一斉に頭が下がる。

「謝る必要はないから普通にしてください。どうすればいいんだ爛?」

 おもわず謝砂は爛の後ろに隠れた。

 爛と霊弦で繋がれた腕をくっと引っ張ると爛の手の甲が当たった。

「謝砂が指示を出したらいい」

「何も知らないのに言えない」

「さっきは違うと言えたじゃないか」

「はったりだ。なんか言わないとその人のせいにされてしまう」

「他に溺鬼はいないか調べる。川に捕らえた水鬼を街にある義荘に運ぶ。話はそれからにしよう」

「分かりました」

 爛の指示に嶺家の門弟はさっと立ち上がり二手に分かれた。

 謝砂は街のはずれにひっそりとある義荘という場所に案内された。

 門の敷居が他の屋敷に比べても高く足をうんしょっとあげて引っかからないよう跨いだ。

 建物の中は紙でつくられた馬や人の姿をした紙人形が並んでいる。

(なんていうか不気味だ。夜じゃなくてよかった)

「水鬼を出します」

 謝家の門弟が荷車にのせて運んできた捆仙網で一塊に捕えた水鬼だ。

 謝砂は見ないようにぎゅっと目を閉じた。

 仙剣で網だけを斬り水鬼が出されると鼓膜をやられそうな黒板を爪でひっかいたときのようなぞわっとするぐらいの甲高い声で叫んだ。

「謝砂殿!」

 門弟が叫ぶと謝砂は目を開けた。

 突然くわっと目を開けて謝砂をめがけ鋭く尖った歯で噛みつこうと一鬼が飛んできた。 

「こっちに来るな!」

 謝砂はとっさに手に仙筆を出して宙に文字を書くと大きな呪符が出来上がると腕を前に出して顔を隠した。

 飛び込んできた鬼を盾のように呪符が防ぎ動きを止めた。

 爛は素早く鞘から剣を抜き白く煌めいた刃で鬼の首を斬った。

 噴き出した返り血は謝砂の袖に飛び散った。

「謝砂大丈夫だ」

 爛に言われても謝砂は中々腕が降ろせない。

 謝砂はなんとか片腕を降ろしたが鬼が叫んでいるほうに仙筆を使って宙に呪符を書き飛ばした。

 呪符が効いたのか鬼は力をなくしたのか叫ぶ声が止んだ。

「隠しているから目を開けても鬼は見えない」

 謝砂は仙筆をしまって両腕を下ろす。

 爛を信用して目を向けると謝砂の目の前には爛が立っていて、鬼は爛の背中に隠され見なくて済んだ。

「襲ってきたのは溺鬼ではなく別物である狂屍が混ざってたからだ」

「怖いのに違いはない」

 謝砂はドクドクと血が逆流しているかのような鼓動を落ち着けることだけに神経を集中させた。



 水鬼の顔を街の人に確認させが誰も面識がなく知らなかった。

 一緒についてきてもらった丁露も知ってる顔はいなかった。

「だったらなぜ丁露さんの船だけ狙われたんだ?」

 謝家の門弟が聞くと嶺家の門弟が理由を話す。

「他の小舟が無事なのは護符で弾いたからですね」

「護符を渡しますので家の門と船にお貼りください」

 謝家の門弟が懐から呪符を出して丁露に渡した。

「川に浮かんだ籠は回収しました」

 御剣し終えた嶺家の門弟が義荘の中に入ってきた。

 川に浮かんでいた籠を回収し一列に並べて干していた。

「全部流されなくてよかったですね。傷んでないし破棄しなくて済んだ」

謝砂は手近なところにあった竹籠を持ち上下に振り水気を飛ばした。

「竹を細く割いて作るんだよね。軽いのに丈夫だ」

「命を助けていただいた礼にその魚籠を受け取ってください」

「くれるの? ありがとう。でも指示をしたせいで竹籠を吹き飛ばしてしまったから買い取らせてもらう」

 謝砂が言うと丁露は両手を振って拒否する。

「そんな滅相もない。今お渡しできるのは残ったものしかありませんが魚籠は漁師の命も守るものです」

「だけど嶺家に支払ってもらうから遠慮せずに代金を頂いたらいい」

「その通りです。駆除できなかった責任があります」

 謝砂はさらっと言ったが嶺家はそのつもりだったようで丁露に銀子を渡した。

「病み上がりだと言っていたが体に異常は?」

謝砂が聞くと嶺家の門弟が丁露の隣に来て脈に触れた。

白く細長い指先、長い睫毛に艶やかなふっくらとした唇が特徴の可愛らしい雰囲気をした女性だ。

「これでも嶺家の医者ですから信用してください。嶺楊れいやんと言います」

謝砂は目を慌てて逸らしたが気づかれていたみたいだ。

「魂に妖気で傷がついていますがそれは今ではありません。あなたはどこから来られたんですか?」

「東街からきました。橋の上で舌を出すという妖に会い寝込んでましたが家族が紙銭を燃やしてくれると目が覚めたんです。でも直接その妖を見てないんです」

「紙銭を燃やした後だし長舌鬼の妖気か。でも溺鬼に狙われてはないはずです」

 丁露と嶺楊が話している間に謝砂は義荘の中を見ていた。

 木のどっしりした長細い箱が並んでいる。

近くの木箱からはヒノキの香りがした。

 白樺のような材質も揃ってあり様々な同じ形をした木箱が並んでいた。

 線香が焚かれているが鼻につくような異臭が混ざって感じる。

 置かれてしっかりと蓋を閉じられた木箱の上にも黄色の呪符が張られて『封』がされていた。

 爛は謝砂のそでを掴んだ。

「謝砂、棺の中は覗かないほうがいい」

「棺?」

「遺体だから」

 義荘という場所が遺体を一旦安置する場所だと知り謝砂は爛の背中に飛びついた。

「無理! ここから出てく! 今すぐに出る!」

 爛は謝砂を背負ったまま義荘から出て隣の茶屋を貸し切った。

「謝砂落ち着いたか?」

「うん。お腹も落ち着いた」

 謝砂はほのかな茶の香りに甘い茶菓子の餅を食べて落ち着きを取り戻した。

 茶屋には謝砂の隣に爛が座り、隣の机に桃展、桃常。反対側に柚苑と雪児も座って食べていた。

「謝砂様、水鬼の確認が終わりました」

 茶屋の中に嶺楊が入ってきた。

「義荘でも確認しましたが変死は運ばれていません。どれも身内に弔われているものでした。

 しかし話を聞くと病が原因で死んだはずの屍は放置すると狂屍きょうしに変わり、死んだ翌日には橋の上から飛び降りてしまうようです。また身代わりを求めて川にくる前に手をうちましょう」

「死んでるのに飛び降りるの? 不思議だ。嶺楊殿もとりあえず座って」

 謝砂は嶺楊の話がちっとも理解できなかった。

 嶺楊は謝砂の向かいに座り茶屋の給仕の女性に茶を頼んだ。

「嶺家で御剣して確認しましたが水鬼は残っていません。嶺家では解決できませんので爛様たちも一緒に東の橋下を調べてもらえませんか?」

「うん。用意してくれてた小舟で行くだろ謝砂?」

 爛は肘で謝砂を突いた。

「御剣は嫌いだし歩きたくない。船でいいから丁露から買った竹籠をくれない?」

「籠ですか? 分かりました。乾いた籠を運んできて」

 嶺楊が指示すると嶺家の門弟が茶屋の中へと籠をすべて運んだ。

「竹籠が浮きになるなら水のなかに引きずられても助かる可能性があるだろ。一緒に来る人は泳げても好きな物を一つずつ渡して。爛から選んでもいいよ」

「私は必要ない。謝砂にあげるよ」

 爛の分まで謝砂は五個をつなげて紐で結んだ。

「絶対お手製の浮き輪だ。岩にぶつかっても衝撃に耐えられる」

 謝砂は腰に一周巻いて浮き輪を自慢して見せつけた。

 爛はニコニコと笑みを浮かべている。

「謝砂いい出来だ。よかったな」

「…………」

 嶺楊に絶句された。

「いいか、桃家の子たち一緒にくるなら小さいのでいいから必ず身に着けるんだ」

 爛が謝砂のそばに置いてあった小さな竹籠を師弟たちに一人ずつ配った。

「魚を捕るなら任せてください」

 受け取った桃常は腕まくりをし腰に籠を付けた。

「「――うっ」」

 桃展と雪児は食べかけていた餅を噛まずに呑み込んでしまい胸を叩いていた。

 柚苑が慌てて茶を入れて飲ませる。


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