第33話

 謝砂の湯呑で濡れた手を爛が怪我をしてないか確かめるように拭いた。

 亀裂は真っすぐに入りすぐに卓に置いたおかげで怪我もしていない。

 手にかかったのはお茶だし気にせず服で拭おうとしたのが気になったのだろう。

 謝砂はふと腕を見ると爛が繋いでいた紐が消えていた。

「紐はなんの紐だったんだ?」

「霊弦だ」

 爛はきょとんとした謝砂の手を下ろして座らせると茶を入れなおした。

「琴や二胡などの楽器にも使用できる霊弦で桃家の仙術だ。舞ながら殺すために編み出された術の一つだ。霊気を帯びてるからただの妖気や邪気でも切れない」

「物騒な術で腕を繋いだのか。不吉な正体はそれだな」

「違う。霊弦で釣りもできるのに不吉なはずがない」

「いったいなんの自慢だ。釣りはやめてくれよ。生きた魚が跳ねるのをみるのも苦手なんだ」

「こっちにも跳ねたのなら水鬼の可能性もあるが溺死した死体の報告はないようだ」

 爛は報告書に目を通していたらしい。

「水鬼と長舌鬼か、溺鬼の違いはなに?」

「水鬼は事故などで死に川底に屍が沈んだままで憂さ晴らしに悪さをする妖鬼の類、溺鬼は水死や自殺など正常でない死に方をした人がその場所で自分の身代わりを待ち続けて溺死させる。長舌鬼は古くなった物が物怪だ」

 謝砂は爛に説明を聞いても混乱して頭が追いつかない。

「長い舌っていうから首を吊った幽霊だと思ってたんだ。物怪だったのか」

「紙銭を燃やして病気が治るなら長舌鬼の仕業だという間違いはない。見つけて斬ればいい」

「だったら解決できる」

(幽霊よりも物の妖怪のほうが怖くなさそうだし。剣を扱うのは爛に任せておけばいいだろう)

「普通は物の怪と溺鬼が揃ったように現れることはないはずだからどこか腑に落ちない」

「うん?」

 割れた湯呑を卓の上で指で滑らせて説明する。

「この溺鬼が妖怪である長舌鬼を操っているのか、その逆か。だが両方が取り合うこともないはずだ」

 爛は黙り込んでしまった。

「目の前に見えるのが山が浄嶺山じょれいざんです」

 ちょうどその時甲板から声がかかった。

「報告を受けた谷は川幅が狭いので近くの波止場に船を寄せます」

 声がかかると浅瀬に船を寄せて波止場に船をつけた。





 謝砂は揺れが止まってから船室から出て顔を出した。

 川沿いにいくつもの店が水上マーケットのように小舟のうえで野菜や果物、竹で作った工芸品、食べ物などが売り買いされている。

「へぇ。果物とか売ってるんだ」

「謝宗主! おいしそうなものはもう買っておきました」

 呼ばれてみると桃家の師弟たちは甲板に座ってすでに買い食いをしていた。

「船酔いはしないのか?」

 謝砂が驚いてたずねるが雪児も柚苑も豆菓子などのお菓子をポリポリと食べ続けてる。

「はい。桃家にも大きな川はなくても湖はいくつもありますから慣れてます」

 理由を桃常が答えた。

「東街はこの町の奥になるので歩いて行かれるか細い水路を小舟に乗り換えていかれるか」

 謝家の門弟が謝砂に尋ねた。

「歩きたくないから小舟にする」

「私と謝砂で様子を見てくる。悪いが師弟を頼む」

 謝砂と爛は横につけられた細長い小舟に移る。

 小舟には謝家の門弟が一人櫂を持ち謝砂たちを待っていた。

 小舟に乗るとぐらっと揺れ謝砂は船端ふなばたを掴む。

 謝砂は船底に何かが擦ったような違和感を感じて水底を移動する影が見え覗き込んだ。

「謝宗主!」

 謝砂を船から見ていた桃展が叫んだ。

「うん?」

 突然ぐらっと大きく揺れた小舟から落ちる前に爛に腰を掴まれてぐっと船に引き戻される。

 影は船の下を潜って移動した。

「覗きこむと危ない。落ちるぞ」

 小舟に乗っていた門弟の「ふぅ」という声が聞こえる。

 謝砂は驚いて声が出ず、腕をすっと爛の前に突き出した。

「霊弦で腕をつないでくれと言うことか?」

 謝砂が頷くと爛は希望通り霊弦を腕に結んだ。

「僕たちは歩いて調べたほうがいいですか?」

 謝砂が無事なのを見て桃展が爛に聞く。

「桃展たちは遊んでてもいいから食べた後片付けをしたら義荘を見てきなさい」

「分かりました」

 謝砂はそっと腰を下ろすと水の中の影を探した。

(あれは魚じゃない。人の髪のように見えたのは見間違いだろうか)

 3軒先の竹籠をいくつも積んでいた小舟がやけに沈んで見えた。

 竹籠を売ってる店主は一人しかいないのに他の小舟よりも水に浸かってる。

 店主は気が付いてないようで浸水ではないようだ。

 じっと見ていると爛が声をかけた。

「あれは魚を捕らえる魚籠だが魚を釣るのか? 欲しいなら買う」

「違うって。そもそもいらない。そうじゃなくてあの船だけが沈んでないか?」

「そうだな。様子を見る」

 爛も気づいていたのなら見間違いではないと謝砂はじっと観察することにした。

 籠を買う客が離れるとグルグルと水面に影が集まった。

 店主の男性を乗せたまま小舟は浅瀬から深い川の中心に向かって不自然に流されている。

 周囲はざわついて舟から陸へと人は避難していた。

「何だ?」

 店主は自分がなぜ流されているのか分かっていないようで周囲の声に戸惑っているようだ。

 不自然に一隻だけゆらゆらと揺れ、そしてぐらっと大きく揺れた。

 重ねて積まれていた竹籠が船が揺らされすべて川に落ちプカプカと籠が浮かんだ。

 よく見ていると浮かんだり、なぜか沈んだりを繰り返している籠がある。

 謝砂は謝家の門弟と桃家の師弟に言った。

「沈んだ籠を狙って突き刺せ」

 謝砂は叫んで門弟と桃家の師弟が乗っている船に向かって叫んだ。

「あの距離だと剣が届きません」

「正体が分からないのに飛剣術を使えば男性を刺してしまうかも」

 矢継ぎ早に誰かが言った。

 御剣すると剣が使えないため手をこまねいている。

「呪符があります」

 謝家の門弟は桃家の師弟たちに呪符を渡して沈んでいる竹籠を狙って飛ばした。

 竹籠が弾き飛ばされると隠れていた頭が浮かんだ。

 ぱっと数えるだけでも五つ頭がある。鼻から上を水面から出している。

 青紫色していかにも体調が悪そうな顔色をしている。

 濡れた長い髪の毛は顔にへばりつき隙間から白く濁った目を向けた。

 どこを見ているのか分からないが謝砂は見たと途端にぞわっとした寒気が背中を這った。

「溺鬼も混ざってるがあれは水鬼だ」

 冷静に爛が正体を告げた。

 爛の携えていた剣が鞘から飛び出た。

「うわぁっぁぁ」

 店主の男性は転覆しそうな船の上に座り込み淵にしがみついたままでパニックになっていた。

 グルグルと水流が渦巻いていて店主の男性を今にも呑み込もうとしている。

「御剣する」

 謝砂はすっかり腕に霊弦でつないでいることを忘れていた。

「あっ! 霊弦解いてからにしてくれ」

「今は無理だな」

 謝砂は腕を爛に掴まれたままふわっと一緒に爛の剣に乗せられる。

 浮かんだ剣は主を乗せて安定しているが謝砂は爛の背中にしがみついた。

「お、お、お願いだから高く飛ばないで」

「心配しなくても水面を飛ぶ」

 低空で水面を乗ったことはないがサーフィンのように御剣した。

「違う意味で怖い」

 爛に続いて皆御剣した。

「こっちに掴まれ」

 爛が助けに行くのが見えても男性は怯えて船から手が離せない。

 水鬼はその小舟だけを狙って集まっていた。

 一鬼、一鬼と船を沈ませて男性に手が伸ばされて掴んでいた手を離した。

 爛は船が沈む前に男性の着ている外衣の襟首を掴み船から引き上げるがグッと服の裾を水鬼が掴んだ。

 水鬼は沈ませた船の上に乗り男性の服の裾を引っ張り沈ませようとする。

 集まった水鬼は謝砂の外衣まで掴んだ。

「うわぁぁ! 飛んで、飛んでくれ。高くても大丈夫だから」

「分かった」

 爛は水鬼ごと男性もぶら下げたまま体感ではマンションの3階以上の高さ程一瞬に飛び上がった。

 くっついてきた水鬼は門弟が飛ばした呪符で感電したかのようにビクビクと体を硬直させドボンと音を立てて川の中に落ちる。

 手足の一部が衝撃でばらけている予感がして確認はできなかった。

 謝家の門弟は柚苑、雪児に手を借り捆仙網を投げ川の中の水鬼をまとめて捕らえ陸に持ってきた。

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