第32話

 話を聞いたのは中秋節を無事に終えた数日後、謝家に相談事が持ち込まれた。

 謝砂は爛と共に竹に囲まれひっそりとした竹雲室ちくうんしつという室に呼ばれた。

 連絡用の形代が嶺家から届いたと招功が報告をする。


 謝家仙府がある燕謝胡えんしゃこの西側に位置する浄嶺山じょれいざんの谷は謝家の傘下の仙家の嶺家が納める嶺家荘れいけそうである。

「化け物がでて毎晩深夜に人に会うと長い舌を見せ驚いて逃げたものは病になり、そのまま湖の中に飛び込んで死ぬという長舌鬼か、溺鬼が現れてるという報告を受け傘下の嶺家の仙師を遣わせました。嶺家荘の仙師が橋の下を捜索すると首を吊った屍が橋の下に吊るされていたそうです。橋の下の邪気を払いましたが再び現れて」

「ぎゃあ! もうこれ以上は聞いていられない」

 謝砂は話の途中だったが耐えれれなくなりつい隣で大人しく座っていた瑛を盾にした。

「連絡を受けたとき手順通り妖怪を見て病気になったと相談を受けた親族にその橋の上で紙銭を燃やせと伝えました」

 招功が言うとその場にいた爛家の師弟である桃展、桃常が頷いた。

「手順通りですね。瑛を盾にするのはやめてください」

「ごめん」

 謝砂の術を学ぶと言って帰らない師弟たちは今では瑛のいい遊び相手になっていた。

 幼少期から美形に囲まれて育つ瑛にオッサン扱いされるか謝砂は今から心配している。

 謝砂に中断されても気にすることなく招功が続けて話す。

「邪気を受けたものは紙銭を燃やすと病気が治っていたので舌の長い長舌鬼という妖怪に妖気を当てられただと思います」

「もう嫌だ」

 謝砂が話の途中で何度も叫ぶせいで話が途切れる。

「文面を読みたくないというから代わりに招功殿がわざわざ読み上げているんですよ」

 桃展に怒られるが気にしていられない。

 遮ってしまい呆れたような視線が突き刺さる。

「えっとごめん。数日前の夢とそっくりで怖いんだ」

 謝砂は数日間なぜか寝にくく、悪夢にうなされては目覚めるというのを繰り返されていた。

 静かな川のせせらぎに夜の秋風が川沿いの草を揺らす。

 橋の上で自分から川に飛び込み息が苦しくなりもがいて目が覚める。

 謝砂はお祓いをしたほうがいいんじゃないかと本気で考えていた。



 謝家の駆逐符を使いなんとか被害を抑えているが追加が欲しいということを疑問に思った招功が謝砂に相談するためわざわざ人払いをした。

「この間の駆逐符は謝砂様が霊力を込めたものですから門弟の呪符では意味がないように思えます。嶺家荘は理理殿の実母のご実家ですから無下に断ることもできませんし、呪符で解決できるような案件ともいえませんのでどうしましょうか?」

 謝砂は耳を両手でふさいで騒ぐ。

「聞かないでくれ。何も知らない。呪符が欲しいならいくらでも書いてやる」

 爛はくすくすと笑って招功に言った。

「しょうがないな。嶺家には謝砂が様子を確かめにいくと伝えて」

「分かりました! 爛様伝えてきます」

「なんだって? ちょっと待ってくれ。行くなんて言ってない」

 たったと招功は外にでて門弟に伝えに行ってしまった。


 謝砂は恥ずかしげもなく駄々をこねた。

「行きたくない。嫌だ。その手を離してくれ」

 桃常と桃展に両手を引っ張られてるが意思を示すべく体は仰け反らせた。

「駄々をこねないでください。瑛の教育によくありません。それに手を離したら倒れますよ」

 手を離されたら絶対に倒れるが構いはしない。

(打ち身は嫌だけど、倒れたら腰を打ち付けて歩くことができないと理由になるからお願いしたいぐらいだ)

 謝砂がずりずりと引きずられる後が二線となりくっきりと残されてる。

「謝家のことですが理理殿のお家なので桃家として堂々と手伝います」

 柚苑が元気づけるように明るく言ってくれるが逃げれないということだ。

「わざわざ恐怖を味わいにいくなんて狂ってる」

 嫌がってる謝砂の手に小さな手が重なった。

「瑛止めてくれないか?」

 謝砂が瑛にお願いすると頷き手が離れた。

 すっと瑛は謝砂の引きずられている腕の間に入る。

「しゃしゃ様の手を離して」 

 ぱっと手が急に離される。

(こいつら瑛に甘すぎる。よし狙い通りだ)

「あっ! 痛っ――くない」

「行く前に怪我されては招功が困るだろ。瑛は素直だな。そうだろ?」

 謝砂の考えは読まれて爛に背中を支えられていた。

 逃げられないように手首に紐がつけられた。

 細い糸のようだが丈夫で繋がれて爛に腕を引っ張られると繋いだ腕が上がる。

「なんだよこれ?」

「術の一つだ。しばらくの間私からは逃げられないから観念しろ」

 謝砂は糸を弾くと細いが切れそうではない。

「謝宗主、手足は縛られなくてよかったですね」

「なんで?」

 謝砂は他人事のように話す柚苑に聞いた。

「その糸で縛られると身動きが自分では取れないんです」

「爛、そんな恐ろしい物でつなぐな」

「痛みもないし無害だから心配しなくていい」 

竹林の道を歩き正門へとたどり着く間に謝家の門弟と這い合わせなかったのは奇跡だった。




招功はすでに正門で待っていた。

「連絡はしましたので、謝家の門弟は後で合流させます」

「うん。招功は行かないのか?」

「謝砂様がいない間取り仕切るのが役目ですので行けません」

「誰が決めたんだ?」

「謝砂様ですよ」

「そうだった。うん。そんな記憶もあったかな」

 謝砂はきょろきょろと姜の姿を探したがいない。

「姜ちゃんは?」

 謝砂が聞くと招功が驚いて話す。

「姜師妹とは一緒に行かないですよね。いつも置いていくではないですか。門弟の婚約前の女子は男子との混合はせず区別をつける家訓ですよ。忘れたんですか?」

「なんだそれは?」

 招功の代わりに桃展が教えてくれる。

「謝家は厳しいんでしたね。僕たちの祖先は剣舞で邪を払う舞姫だったので修仙において男女の区別は混合でもいいんですけど」

 舞姫と聞いて爛を見た。

 眼福と呼べるとびっきり整った顔は舞姫の血筋だからだと納得した。

「どうかした?」

「桃家は剣術に関する書が多いって言ってたのはそのためかと思って。謝家の祖先は?」

「法器を作る細工師だ。後に修復師と呼ばれるようになった」

 謝砂はリアクションに困った。

 舞姫ときいた後では華がなくパッとせず複雑な心境だ。

(職人はこだわりがあっても家訓は甘くてもいいんじゃないかな)



 正門をでて埠頭を歩くと波止場に船が一頭用意されていた。

「船で行くのか?」

 謝砂は船の近くで待っていた門弟に訊いた。

「溺死した溺鬼なら水鬼がいるのかも知れません。川を調べるのには水路から行くのが手早いと言われましたのでご用意しました」

「誰が言ったの?」

「謝宗主がいつもおっしゃられていましたので待たせないように準備しておきました」

 笑顔で言われると気が利きすぎる門弟に怒ることはできない。

「そうなんだ。ゆっくりでもいいんだぞ」

 用意された船は漁船ではなく屋根のついた船で普段は観光か屋台船に使われている船に見える。

 船は広い甲板と小屋が付いたような造りで転覆はしなさそうに頑丈にみえて安心した。

「謝宗主早く来てください。船ですよ」

 先に乗り込んだ桃常たちが楽しそうにグルグルと船の上を歩く。

 謝砂が乗り乗り込もうとするたびぐらっと揺れる。

 揺れるたび波止場と船の間に幅が生まれ足元に川がのぞく。

 謝砂は波止場の船をつないでいる柱にしがみついて足を伸ばしたが船に乗り込めない。

「うっ。もうちょっとなのに。タイミングがつかめない。爛先に乗って」

 後ろで待っていた爛が隙間から先に船に乗り込んだ。

「こっちだ」

 謝砂の腕に繋がれていた紐を爛に引っ張られて勢いよく船に飛び乗った。

 ずっと待っていたようで謝砂が乗るとすぐに船が波止場から離れた。



 謝家の門弟が船尾えんびに立ち長い板の櫂を手に船を漕ぐ。

 十数人が乗っているが広々としていた。

「船酔いはないと思いますが吐くのは船の後ろでお願いしますね」

 波止場からゆっくりと数回漕いだだけ川の流れに進んで中心へと運ばれる。

 川の流れは早いが船の揺れは少なく甲板にでて渓谷の景色を桃家の師弟たちは楽しんでいた。

 謝砂も甲板に出て一緒に遠目から川を眺めていたが水面に何かが飛び跳ねた。

(あれは魚だ!)

「ぎゃっぁあ!」

 謝砂は悲鳴をあげて船室に逃げ込んだ。

 船室には爛が一人座って書を読みながら茶を片手に飲んでいた。

 爛は駆け込んできた謝砂に笑いながら書を伏せて椅子の上に置いた。

「謝砂は景色をみてたんじゃないのか?」

「自然の癒しという絶景だろうが川に魚がいたんだ」 

「川だから魚ぐらいいるだろう」

「だとしても跳ねたんだ」

「もうすぐ着くが茶でも飲んで落ち着け」

 謝砂は言われるがまま茶を入れてもらった湯呑を渡された。

 謝砂が手に持つと湯呑にピシっと亀裂が入り卓に置くと二つに割れる。

「謝砂、けがはないか?」

「不吉だ」

 謝砂は呟いた。

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