第12話

 柳鳳の後ろから手が出て柳鳳の耳をぐいっと引っ張られる。

 痛さに柳鳳は重心が傾く。

「いたっ! 待ってくれ。話せばわかるから」

「ちょっと柳鳳、あの傀儡どこまで飛ばしたのよ?」

 元気のいい 足音の主は謝姜だった。

 柳鳳を追いかけてきたようだ。

「ほら回収して陣に戻るわよ」

「姜、手を放せ。耳がちぎれる」

  柳鳳の襟を後ろからぐっと掴んだが爛と謝砂に気づくとその手を放し柳鳳を押し飛ばす。

 柳鳳は姜に突き飛ばされると助かったと謝砂と爛の背の後ろに隠れる。

「あっ! お兄様たちも近くにいらしたんですね」

「姜ちゃん! 会いたかった」

 離れていた時間は一時間ぐらいなのに謝姜とすごく久しぶりに再会した気分になった。

 無事な姜の姿を見ると謝砂はほっとした。

 姜は謝砂の抱えている蘇若が気になったらしく関心が柳鳳から逸れた。

「お兄様たちがいない間に庭の傀儡は片付けましたが、その子はどうされたんですか? まさか拾ってきたんですか?」

「そんなんじゃないよ。いや、拾ったんだけど一言ではいえない」

  柳鳳も気になっていたようでじっと蘇若を覗き見る。

「ほんとうに拾ったんですか! お兄様」

 姜の問いに謝砂はどう答えたらいいのか分からず丸投げすると爛が代わりに答えた。

「謝砂がこの魂を修復したんだよ」

「こんなところで修復したんですか!」

 姜はありえないという顔で謝砂を見た。

「この子は邪霊や食痕獣の類ではないですか? 体を乗っ取り成りすましているのかも」

 姜の言い分を謝砂は思いつきもしなかったが一理あると納得したが助けた後に言われてもどうしようもないく目が泳いだ。

「それはないよ。謝砂がこれを飲ませた」

 爛は謝砂の竹筒を指さした。

「そうだよ。姜ちゃんも飲んでみる?」

 竹筒を渡すと姜は筒を開けて手で仰いで匂いを嗅ぐとすぐに謝砂に返した。

「うっ。まずい酒の臭いがします。何ですか?」

 姜は鼻をつまんだ。

「酒と水と塩を混ぜた手製の水だ。まだ半分残ってるかな」

「祓い水ですか。こんなものを子供に飲ませるなんて酒を飲ませてはいけません」

(なんて言われようだろう。ほかに水がなかっただけなのに……)

 姜の小言に謝砂はちょっと傷ついた。

「だから安心していい。この子は乗っ取られてはいないよ。謝砂は確かめただけ」

 爛が姜に言ってくれ謝砂も頷いた。

 爛は話を続ける。

「その水には霊力も込められていて、霊力を注いで邪気を払うのとおなじように体に残ったわずかな邪気も浄化された」

「それは聞いてないぞ。なんで教えてくれなかった?」

「説明しなくても分かっているのだと思ってた。この子は安静にしたらよくなる」

 姜はもう一度謝砂と抱えている蘇若を見るとほほえんだ。

「今のお兄様の姿はとても懐かしいです。姜がそばで眠ってしまったときに同じように運んでくれているのを思い出しました。お兄様は昔と変わらず今も姜を大切に世話してくれているのは知ってますよ」

 姜が蘇若に近づき頬をなでると後ろで聞いていた柳鳳はなぜか機嫌が悪くなった。

 殺気を帯びた目をぎらつかせ睨まれ謝砂は怯えた。

 柳鳳の手は柄を触ってすぐにでも抜くつもりだ。

(姜が言うたびに睨まれてる。もう黙っていてくれないとこれ以上は剣を抜かれそう)

 謝砂は話題をかえようと口を挟んだ。

「とりあえず屋敷の厨房に何かないか探してみるよ」

「邪気に満ちた屋敷の厨房まで探しにいくとはさすが若宗主様ですね」

 柳鳳の棘のある言い方に何か言いたげな姜の表情に二人の争いに巻き込まれたくない謝砂は姜の腕にそっと蘇若を預けた。


「この子を頼んだよ。爛、一緒に行こう」

 すぐにこの場から離れたほうがいいが一人で行くとは言えなかった。

 爛の手首を掴んで連れて歩く。

 爛の前を先に歩いていたが曲がったところでピタッと立ち止まると爛の足も止まった。

「限界だ」

「なにが?」

 謝砂は呟いた。

 聞えたようで顔を覗き込む爛に訴えた。

「先に進んでくれ。押しても無駄だぞ。足が震えてるから先頭は歩けない」

「わかった」

 返事をした爛は謝砂の一歩前に出て歩いた。爛の手首はしっかりと掴んで放さない。謝砂は引きずられるようにして進んだ。

「この奥が厨房のようだ」

 謝砂は黙って頷いた。

 放置されたまま生ごみの腐ってるような異臭が鼻につく。

 ガタガタっと揺れる物音が響いた。

「うわぁぁ!!」

 物音に謝砂は悲鳴を上げる。

 物音がした棚を見ると影がさっと動いた。

 爛は素早く剣を飛ばし棚を壊すと這うように人が出てきた。

 謝砂の足にしがみつかれそうになり慌てて台に上り避難した。

「こ、ころ、殺さないでください」

 震えるような声が謝砂の耳に聞こえた。

「君は生きてるの?」

 謝砂が尋ねると顔を上げた。

「ぎゃっ!」

 謝砂がびっくりすると 乱れた髪を手櫛で整えはっきりと顔を見せた。

 頬はやつれて憔悴して見えるが瞳の色は黒く目鼻立ちが整った顔をしている女性だ。

手には玉の腕輪をはめている。

「私はこの驍家荘の使用人で麟と申します。世家のお方を見たとこはありませんがお二方は見るからに仙門のお方とお見受けします。どうか助けてください」

 謝砂に助けを求めて近寄ろうとした。

「君が生きてるのは分かった。でもそばに来ないでくれ」

「何があったか説明できますか? 事情を教えてほしい」

 爛が丁寧に麟に尋ねた。

 麟は頷くとおちついて思い出すように話し始める。


「あの日は七夕の行事の準備をしていました。

 一人の子供が奥様が作られた菓子を盗んだのです。

 奥様が子供を庇われたのですがそのとき言い合いになり、羅衛が怪しい術を使うと旦那様が亡くなられました。それをみた者は皆逃げようと一斉に屋敷の門に走り出しましたが屋敷の門は閉ざされました。

 人が次々と倒れていくのを見て怖くなり嵐が過ぎるまで厨房の棚の隙間に入り身を隠していたのですが雷や大雨の中で叫ばれる悲鳴に気を失いました」

 麟は目を下に向け服を握りしめ震えているみたいだった。

 さぞ怖い思いをしたのだろう。

 謝砂は麟が話を続けられるように思い出させる怖さを和らげようと間に口を挟んだ。

「怖すぎると恐怖で気絶する。分かるよ。一人で耐えられない」

 謝砂は麟の話に身震いして両腕を擦った。

 会話を続けられそうになったのか手を緩めて再び口を開く。

「逃げようとしましたが屍が歩きまわっていてる姿は恐ろしく、出くわした屍に腕に嚙みつかれたのですが口が空いた瞬間に腕を抜き逃げました」


 血が乾き鮮やかな朱から黒ずんだ袖を見せた。

 腕には包帯を巻いているようだが歯型がつけられてるだろう。

「羅衛は奥様が実家からつれてきた家僕なんです。この屋敷には家僕と雇人がいましたが皆殺されました」

 麟は涙を目に浮かべた。

 黙って話を聞いていた爛が聞いた。

「子供はいなかったか?」

「子供ですか? 普段は屋敷に子供たちはいませんが奥様が子供たちも一緒にと招いたんです。私は子供たちの世話を任されていたのですが目を離した瞬間に子供を見失ってしまい屋敷中を探してまわっているときに蔵の近くの物陰から蘇若という子供の姿を見つけてたのですが、奥様と羅衛が言い合っていました」

「それから?」

 爛は続きを促す。

「私も罰を受けると思いとっさに隠れたのです。羅衛は私が生きているので殺そうと狙っているのです。知っていることはお話しました。どうか私を助けてください」

「今、羅衛はどこにいる?」

 麟は首を横に振った。

「分かりません。子供と一緒に倉の中に入ってからは羅衛の姿は見ていないので多分倉のなかにいるはずです」


(この言い分はおかしい。倉から出てきたのに顔を合わせなかった。息をひそめていたとしても絶対分かる)


「水はあるか?」


 隅に置かれた桶を指さすが入っていたその水も腐っていて飲めそうじゃない。


 水道があるわけないし井戸から水を汲んでいるなら飲める水は外にあるのだろう。


 麟が咳込んだようだ。

 爛は謝砂が持っている竹筒を麟に手渡した。


「飲む?」


(おいしくはないと思う。爛が渡したのはわざとなのか。親切なのか分からない)


 首を傾げながら謝砂は一人で塩を探す。


 棚の中にはいろんな調味料が並べてあった。


 さすが広いお屋敷だ。


 調味料はほとんど揃っていて小瓶にはいっているのを開け指でつまんで確かめた。


 ハチミツはさすがに分かったが塩と砂糖が分かりづらい。はちみつが入っている瓶は脇で挟んで持ち塩を探す。

 棚の中にはなく竈の側に蓋があいたまま置かれていた。


(このどちらかは塩だろう。自分にも邪気払いに振っておこう)


 手前にあった白く粗めの粒を掴んで自分に振りかけた。


「用心しろ」

 爛の声に振り返ると竹筒は床に転がり麟は咽こんで苦しそうに喉を抑えている。

「ゲッホ、ゲッホ」

 麟は俯き口から血を吐き口元を雑に手で拭った。

「私に一体何を飲ませた?」

 飲ませたのは爛なのに謝砂に矛先を向けられる。

「な、な、なんでもないよ。薄めた酒だ。嘘はついてないと誓う」

 謝砂は嘘は言っていない。

 麟は再び咳込み口から何かを吐き出した。

 コロコロと転がり謝砂が拾う。

 真珠のような石だった。真珠というよりも濁った乳白色に見えた。

「魂霊丹(こんれいたん)だ」

 爛は謝砂の隣に飛んでくると手のひらサイズの巾着の中にいれ紐をきゅっと縛った。

(すごい脚力。真似できない)

 麟は吐き出した魂霊丹を取り返そうと襲ってくる。

 掴まれそうになったのを謝砂の膝の後ろを蹴られた。

 なつかしいさがこみあがる膝カックン。

 おかげで麟の手を寸前で避けた。

 背中を押され前のめりになると手に持っていた塩を麟の顔めがけてぶちまけた。

 ジュワァァと肉が焼けるような音が聞えた。

 麟の顔はやけどのように爛れる。

 皮がめくれるがもう一枚新しい皮膚で覆われていた。

 パックしていたように顔の皮をめくり捨てる。

「お前は男だったのか。誰だ!」

 謝砂は指をさした。

「羅衛だろ? 魂を喰う妖人になり果て人と呼べないが」

「俺の居場所がよく分かったな」

 羅衛は自分の肌を撫で髪を結いあげ爛に言った。

「様子を見て襲うなら屋根の上。封じていた倉を見張っているのなら厨房だ」

「そうなの?」

 謝砂は二人から同時に無視される。

「矛盾が多いな。まず隠れて気を失っていたというのに見ていたように詳細を話せるのは当事者だからだ」

「その隣の間抜けとは違うようだな。倉を出たのなら中の棺を見ただろう。美玉様を目覚めさせるのにはそれが必要だ。それを返せ」

「術を出さないのは石が割れたら困るからだろう」

 あっけに取られている謝砂の胸に押し付けた。

 謝砂はとっさに受け取ったがどうすればいいのかオロオロとひっこめたり出したりする。

「持って逃げて」

 爛に背中をおされ急いで巾着を懐にしまった。

「一人で?」

 聞き返したが頷かれた。

「庭には柳花がいるから見えたら呼べばいい」

「そのあとは?」

「謝砂は柳花に魂霊丹を封じてもらえ」

「爛は来ないのか?」

「奴を足止めする」

「そうはさせない。逃がすか!」

 羅衛は謝砂をめがけて黒い煙を放ったが爛が遮った。






 謝砂は今までも逃げ足だけは早いほうで考えずに思いっきり走った。

 羅衛にすぐに追いかけてこられても困る。

 十年ぐらい前かそれ以上前の学生以来久しぶりの全力疾走にも関わらず幸いにもこの体は息も上がらず軽く走れた。

 足も速いとは最高なのだが今は喜んでいられない。

「柳花はどこだ?!」

 途中にはもう屍はいないはずと信じていたのだが突当りを曲がり庭に通じる門が見えた。

 屋敷の門の上に座っていた柳花を見つけてぶんぶんと手を振った。

「柳花! こっちだよ」

 謝砂が厨房から出ていくのを爛は背中で見送った。

 羅衛は手から妖気に近い邪念が込められた毒のような黒い煙を放つ。

 謝砂を追いかけて出ていこうとする煙を爛は白く煌めく刃で吹き払う。

 ぶつかり合う衝撃で棚の中身がガシャンと倒れた。

 次々に繰り返される羅衛の黒い煙を爛の剣はすべて払って防いだ。

 黒い煙は厨房のものをすべてひっくり返すように暴れた。

 皿や小鉢が割れる音と剣の音が響く。

 耳を澄ませ謝砂の足音が小さくなり離れたのを確認し爛は羅衛の喉めがけて刃を突きつける。

 とどめを刺す前に羅衛は黒い煙になり窓から外に逃げた。

「しまった」

爛はすぐに謝砂を追いかけた。

謝砂は柳花に気を取られたまま走っていて敷居の段差を忘れていた。

門は跨いで通れと誰も一言教えてくれなかった。

見上げたままで足元を見なかったせいもある。 

柳花は謝砂の声に気づいて屋根から立ち上がる。

「謝砂様危ない!」

「えっ?」

 言われたときには遅い。

 歩幅を間違え勢いをつけた足は敷居のわずかな段差を踏み外す。

(もうっ! あぶないな。バリアフリーにしといてくれないと見えにくくて困る)

 仰け反ったままもつれた足をくじいた。

 謝砂のもつれた足は庭の砂利にそのまま滑りこむように尻をつく。

 柳花は慌てて庭に降りた。

「謝砂様大丈夫ですか?」

「いたたた」

 躓いたつま先のじーんとした痛さとお尻の打ち身ですぐには立ち上がれない。

 走ってくる柳花を見ると黒い煙が塀を超えて庭に飛んできたのを目にした。

 立ち止まった柳花に謝砂は大丈夫と手で合図するとうなづいた。

 柳花は頭上の黒い煙に警戒し傀儡を閉じ込めている陣の前に戻って剣を構えた。

 煙は庭に降り立つと羅衛の姿に戻る。

 羅衛は傀儡の山を見張っていた柳花に煙を飛ばした。

「あぶない!」

 謝砂は叫んだが柳花は羅衛に突き飛ばされて剣で防いだが柳花の胸に衝撃が伝わった。

「--ごぼっ」

 胸に受けた一撃で柳花は血を噴き出した。

 その血は陣の上に飛ぶことまで計算していた羅衛の思惑通り陣が破られた。

 柳花は吹き飛ばされて膝をつき片手で胸を押さえ剣で自分の体を支えていた。

 傀儡を中心に煙が起こした旋風で呪符を剥がし燃やされて黒い灰となる。

「取り返せ」 

 羅衛の腕輪が光った。

 羅衛が命令すると傀儡は身を起こし謝砂をめがけて襲いにかかる。

 切られている足や手を引きづったままで謝砂に近づく。鋭く尖った爪をちらつかせた。 

 威嚇するような雄たけびが庭に響く。

 謝砂は恐怖で何も考えられなくなった。

 歩く屍に囲まれている恐怖なのか、柳花が血を吐いた衝撃か、命を狙われている恐怖なのか頭では考えられず魂魄が飛んだ飛んだ。

 体は意思とは関係なく無意識で勝手に動く。


 剣を掴もうとした手にぐっと力が入り無意識に謝砂の自我は血も剣は恐ろしいと拒否した。

 謝砂は無意識の中で剣ではなく筆を選んだ。仙噐である筆を飛ばす。

  筆は宙に飛び出ると浮かんだまま円形の陣を呼び発動させた。

 霊力を指に込めて筆を操る。

 その陣の中心に崩し字のように数本の線を描くと陣は光って発動した。

 襲ってきた傀儡を起き上がれないよう術で鎮める。

 怖さをあまり術を乱射させ目に入る屍の動きを鎮めて止めた。

 爛の剣が飛んできて謝砂を援護する。

 ほとんどの傀儡は術で動きを封じられて襲えないが謝砂は筆に霊力を込めたままで陣を出現させたままでいた。

ビリビリとした痺れが指先から腕に伝わり感電したように痛みを感じた。

 筆を持つ手の肘をもう片手を添えたがどうすれば引っ込めることができるのか分からずにいた。

(このままじゃ腕が持たない……)

 背中から気配を感じ筆を持つ手を掴まれる。

 憶えのある柑橘の香りに落ち着きを取り戻す。

 家出するように飛び出していた意識が少し戻ってきた。

「大丈夫。私がいる」

 耳元で声が聞こえた。

「爛?」

 謝砂は分かっているが返事が聞きたい。

「うん。そうだ」

「爛どうすればいい?」

「教えるから真似て」

 謝砂は爛に小さい子に文字をに教えられるように手を重ね操られるように真似る。

「先に陣を納める。掴むように回収する」

 陣を掴むようにしまうと陣を消せた。

 すっと中に入ったような感覚だ。

 そして筆は両手で空間にしまうように手首を捻って筆をしまえた。

「仙噐や法器、神噐類は持ち主の霊気の一部になっていたら霊気としてしまえる」

(なんでもボックスのようで便利だな……)

「巾着の中や、袖の中に入れて持ち歩くことも多い」

「助かったよ。ありがとう」

 羅衛は傀儡を使えなくされるとギリギリと歯ぎしりをして自ら手を出してきた。 

 羅衛の腕輪は鞭の姿に変わり手に持たれている。

 鞭は邪気の強い黒い煙を帯びている。

「謝砂、気をつけろ。鞭で打たれると傷口から邪気が入り毒にやられて腐る」

「嫌だよ。八の字縄跳びも怖くてぐるぐると回転する縄の中に入れなかったのに」

「輪くぐりか? 縄跳びとはどうするんだ? 修練の方法として参考になる話だ。今度教えてくれ」

「嫌いだって言っただろう。縄が回転するときに足を引っかかないように輪の中に入るそして飛んだらすぐに輪を抜けるんだけどタイミングがずれたら入れないし抜けれないから縄をよく見ないと」

「分かった。じゃ立って」

 爛は謝砂を立ち上がらせた。

 羅衛は縄をグルグルと回して謝砂をめがけて鞭を振った。

「よく見て避けろ」

 羅衛は大きく鞭を振り足元を狙われて飛んで避けた。


(縄跳びには違いないが、なんか違う! 命がけだし)


 着地するとすぐに再び縄が足元をひっかけようと横から飛んでくる。

 タイミングを計って縄が当たる寸前に両足を閉じて床を飛んで避ける。

 片足ずつ順番に飛んで避けるなんていう高等な技術は使たことがない。

 かならず両足で兎のように飛んでいた。

 着地をすると足首にズキッとした痛みがきて次に備えられない。

 爛は縄を剣で切ろうとしたが縄は刃先からぐるっと巻きついた。

 爛も羅衛もぐっと力を入れて縄を引っ張りあうと縄は持ち上がった。

 謝砂の目の前に縄が張られるとちょう首元を狙った高さで腰を反らせギリギリで避けた。


「うわぁ」


 謝砂が叫ぶが巻きついた縄と剣の金属音のような擦れあう音のほうが耳に響く。

 絡んだ縄を解こうとしたのか巻き付けさせようとしたのか大きく輪のようにお互いが円を描く。

「嫌だって言ったじゃん!」

 

 逃げそびれた謝砂は縄の円から出ることもできず痛みに耐えてそのまま縄を飛ぶ。

 飛びながらパチンと地面を弾く音を聞いて数えた。


「いーち、にーい、さーん、よーん、ご!」

 

 柳花は謝砂が陣を連発して傀儡を封じ込めている間に邪気を中和させていた。

 袖で口元に流れた血を拭い、剣を鞘に納めて呪符を用意してタイミングを計る。

 そして謝砂の数えている声を合図にし「ご」のタイミングで柳花が呪符を飛ばした。 

 呪符は背後から羅衛に衝撃を与え鞭が煙に戻り消えた。

 爛は巻きついていた鞭が消えると残った煙を振って払う。

 謝砂が気になっていたが柳花に目で合図を送ると柳花は頷き謝砂の元に行く。

 呪符に気を取られている間に爛は剣で羅衛の手を切り落とす。

 血と一緒に腕輪も流れるように羅衛からすべり落ちた。

「ぎゃぁぁぁ」

 羅衛の叫び声が響いた。

 落ちた玉の腕輪に呪符をいくつも飛ばしてぐるぐるに包んで封じた。




 飛ぶのに必死だった謝砂は鞭が消えたあとの見えない縄を飛ぼうとした。

 だが、「ろく」を言う前に飛んだ時に左足の裏で右足の甲を蹴るように当たった。

 当たったのは足の裏ではなく鞭が足に当たったと錯覚が起きた。

 そのまますとんと地面に右足を下敷きに左足をのせて着地する。

 右足が重たいのは鞭にあたったからだと思い込んだ。

 重さが加わっただけと普通なら気が付くが謝砂は冷静じゃない。

「もうだめだ」

 襲ってくるはずの鞭に頭を守るようにその場にしゃがんだ。

(右足がすでに重たいし痺れてきたのは腐ってきたからなんだ。どうすればいいんだ)

 泣きそうな謝砂の隣にすっとしゃがむ気配を感じた。

「ご安心ください」

 落ち着いた声に訊き返した。

「うん?」

「柳花です」


 腕の隙間から覗き込むと柳花の顔があった。

 謝砂は警戒していたが安心して足を伸ばして座り柳花の袖を握りしめた。

「頑張って飛んだのにこの足で立てないんだ。右足が痺れてる」

「謝砂様。気を確かに。毒には当たってないというか縄にひっかかってもないです」

「そうなの?」

「はい。見ていましたが謝砂様はご自身の足が当たっただけなのでご安心を」

「よかった。縄みたいな鞭が当たるのも触れるのも怖かったから必死で避けてたんだ」

 安心して右足を見るが甲に足跡の泥が残っていただけだ。

「あっ、袖握ってごめんね」

 握りしめていた手を離すと袖はシワになりパンパンと片袖づつシワを伸ばして詫びた。

「気にしないでください。爛様から謝砂様の体に招魂されたことを聞いています」

 意外だった。

 思わず話してしまったということだろうか柳花は目を泳がせた。

「爛から聞いてたのか。姜ちゃんはまだ黙っていて。知らないんだ」

 姜にはまだ伝えるときじゃないと思った。だから爛も黙ってるのだと。

「私が話してしまったことも爛様には秘密に」

「了解。この持ち主のことを何も知らないから記憶を引き継げなかったんだ」

 意外だったみたいで柳花は目をパチパチさせ謝砂を見つめた。

「そうだったんですか。術の正確さは以前の通り見事でした」

「わかんないけどありがとう」

爛はすぐに謝砂の元に走ってきた.

「怪我は?」

「足を捻った」

 爛には勘違いを言わなくて済んだのは柳花のおかけだ。

 堂々と足の痛みだけを訴えた。

 爛は謝砂から目をそらさずに隣にいた柳花に命じた。

「柳花、腕輪は呪符で包んだが邪気が強い」

「はい」

「隙間から漏れないように呪符の上から包んで鎮めて」

 爛は自分の羽織を脱いで手渡した。

「直接触れないように気を付けて」

「分かりました」

 柳花は羽織を二つに畳んで腕にかけて持った。

 爛は謝砂を担いで持ち上げると屋根の上に飛んだ。

「ぎゃあ! 地面がいい! 降ろして」

 悲鳴をあげる謝砂を降ろし屋根の上に座らせた。

 爛は向かい合うようにちょっと斜め下に座った。

「下を見るな」

 下を見るなと言われて上を見上げたが見慣れない高さで慌てる。

「空が近い。お願い、降ろして」

「何も見るな。下は血が飛び散っているから座れない」

「血も怖いしだからって高いところも怖い」

 手が震えて心臓がバクバクと音が大きくなる。

 謝砂の足を持ち膝の上に乗せて靴を脱がせた。

 足袋をめくると足首は骨がでっぱり部分が擦り剝けている。

 足首を持たれると痛みが走った。

「痛いからそっとして。できれば触らないで」

「捻挫でよかった。鞭は避けれたんだな」

「捻挫は初めてなんだ。怪我が怖くて危険なことはしたことなかったのに」

「それはおめでとう」

 爛は素直に祝われたが喜ばしくない。

「祝いたくない」 

「霊力を使って術を連発したんだから休んでて」

 爛は降りようと腰を浮かせた。

「ここに一人で残すな。せめて柳花と呼んでからにして」

 置いて行かれると感じて立ち上がる爛の襟をとっさに掴んだ。

「お願いだから」

 近づいた顔に同時ぐらいにひゅんと目の前を矢が通り過ぎた。

 謝砂は見間違えたのかと思ったが目は矢を追った。

 爛と謝砂の顔の隙間を通って後ろから飛んできた矢は勢いを増した。

 そのまま庭の中の羅衛の背中に深く突き刺ささる。

「がはっ」 

 羅衛は咳をするように血を口からも流す。

 一歩で距離を縮めてしかし羅衛は残された腕を上げ柳花に向けて爪で襲おうとする。

 3本同時に矢が放たれた矢は別々に刺さった。

 羅衛の肩と片方の腕、そして血だまりの中にある切られた羅衛の手。

 声がした後ろを振り返り見上げると柳鳳が弓を手に持ち立っていた。

「待ちくたびれました」

 視線は謝砂に向けられて爛を掴んでいた手を離した。

 手が離れると爛は剣を鞘から抜いて屋根から飛び降りた。

 謝砂はとっさに手を伸ばしたが爛を掴めなかった。

「爛!」

 爛は空中で剣を握り舞うように羅衛を切りつけた。

 地面にふわっと着地するときには羅衛は膝から崩れる。

 叫び声もなく水溜まりに落ちるようにバシャッと音を立てて地面に倒れた。

「どうなった?」

 倒れる音のあと物音が聞こえなくなった。

 気になって屋根の思わず覗きこみ地面を見てしまったせいか、

 爛が見せないようにしていた庭の血だまりを見たせいかクラクラとめまいがした。

「世話が焼ける」

 ぐらっと重心が傾いた謝砂の襟首を柳鳳がぐっと掴んだおかげで落ちる寸前で引き戻された。

 柳鳳は力が抜けて深呼吸を繰り返す謝砂を引きづって屋根に寝そべらせた。

 謝砂はそのまま大の字で寝っ転がったまま空を見上げた。

(あっぶな。心臓が止まるかと思った)

「謝砂終わったぞ」

 爛から返答が告げられた。

 恐怖で張りつめていた糸がやっと緩んでほっと安心した。

 辺りは明るくなりかけ星は姿を消し代わりに青い空と薄っすらとした雲が見えた。

 月は雲と同じように薄くなり太陽が出ようとしていた。

「長かった」

 今までで切実に待ち望んだ夜明けは涙で滲んだ。

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