第9話

「謝砂! 目を開けて!」

(遠くから爛の声がする)

 重くて動かせなかった体を抱えてくれて柔らかなしっかりとした自分だけのソファーに背もたれるようにリラックスし安心すると意識が自分へともどった。

 幽体離脱して自分の体に戻ってきた感覚に小さく「うぅ」っと呻いた。

 謝砂は目を開けてもぼやけたままとすぐに手を伸ばしきつく抱きつき顔をうずめた。大きなぬいぐるみを抱いているようで暖かく柑橘の香りがした。

(な、な、なん、なんて怖い映像だ。起きても憶えていて消えてくれない)

 謝砂の背中をさすられて呼吸が整った。

 酸欠だった脳にも酸素が届いてやっとまともな思考回路にもどると何に抱きついていたのか理解して力を緩めて解放する。

 全身がぐっしょりと汗で服が濡れ気持ちが悪い。

「一人にしてすまなかった」

 爛は落ち着きを取り戻した謝砂に謝った。

「爛、おかえり。夢だったのかすっごく怖かったんだ。あとで聞いて」

 謝砂は抱きついたことも当然のように堂々として恥ずかしさもなく爛と向き合う。

「一旦、外に出て体を伸ばすといいその後近くに夕餉を食べにいこう」

「嫌だ。外に出たくない」

「今は何もいないから大丈夫だ」



 外に降ろそうとするが謝砂はずるずると降りない。爛に抱きついたまま外に降ろされる。

「二人増えてるけど爛の知り合い?」

「柳花、柳鳳こちらへ」

 名前を呼ばれてすぐに二人は並んで爛の前に来た。

「桃家門弟の柳花です。そして隣が柳鳳です」

 二人とも手を前で交差し腕をあげて頭を下げ挨拶をしてくれるのだが、謝砂はどう挨拶をすればいいのか分からず頭を下げ返す。

「はじめまして?」

「姜殿から謝砂様が修復された石を拝見しました。お見事です」

 柳花は姜と変わらない年だろうが姜に比べて落ち着いた雰囲気だ。

 小柄で肌の色は白く瞳は黒より灰色に近い。唇は薄紅色で大人びて見えた。

「謝砂様は親しみやすそうなお方だとは思いもよらなかったです。

 爛の後ろにくっついている謝砂を一瞥した。爛の隣にすっと移動する。

 突然ガタンと物音がして爛の袖に手を伸ばして握った。

「大丈夫。馬が動いて馬車の荷物が崩れたんだろう」

 爛は落ち着かせるために説明してくれたが袖を掴んだ手は放せない。

「謝姜から聞いていた話では誰も寄せ付けない威厳のあるような方だと伺っていたのですが、実際は怖がりだったのですね」

 そう言って顔をまじまじと柳鳳に見られる。一瞥するような目にとげを含んだ言葉だが謝砂はきょとんと見ていた。

(これは今のことじゃなくて姜ちゃんのことだな)

 柳花の後ろにいた姜を見るとこぶしを握って下を向いて絶えているがぐっと顔をあげた。目はきつく殺気を感じた。

「お兄様に失礼な言いがかりは許せない」

 聞いていた姜は後ろから柳鳳に剣を飛ばした。

 気づいた柳鳳は自分の剣を抜いて金属がぶつかる音が響く。身を反らし飛んできた姜の剣を受け流すと再び剣は主の元へ戻った。

「えっと姜ちゃん、そんなに怒らなくていいんだよ」

(怖がりは事実だし。怒ることでもない)

「いいえ。お兄様のすごさを見せつけて、その口を黙らせてください」

「この件は謝砂様のお手を煩わせるほどのことだとは思いません。ですがぜひご同行いただきご指導おねがいします」

「いいでしょう。柳鳳の出番はないでしょうけどね」

「勝手に行くっていわないでくれ。爛から言ってくれないか?」

 謝砂は爛の袖を引っ張った。

「柳鳳この近くに店はあったか? 馬車も置いときたい」

「すこし先に進めば賑やかな通りです。先に行って食事を注文してますね」

「分かった。私と謝砂は馬車で向かう」

 



 三人を先に行かせると馬車のなかではなく御車の席に座った。

 手綱は爛が持つので謝砂はただ隣で見物していた。

「夢を見たと言っていただろう。この屋敷の数日前をみてたようなんだ。まだ幼い女の子が酒の入った瓶を持ってて……バタバタと人が倒れていくんだ」

「そうだ。その子が帰ってきてない子だ。馬車を覆っていた邪気と同調して思念が見えるなんて無意識に高等な術を使ったんだな」

「思い出したら怖くて吐きそうだ」

「剣を渡すのを忘れてたんだ。謝砂、受け取って」

 爛は謝砂に剣を差し出した。

 白い鞘に金で細かく細工が施された美術品のような美しい剣。柄も白く光っている。飾房は白と金色のグラデーション。

「剣なんて物騒なものはいらないよ。もっていても扱えない」

「この剣はもっているだけでも低俗の鬼や妖獣は怖がって近づいてこない」

 爛の手から受け取るとずっしりとしているが手によく馴染む。柄をよくみると花が彫られていた。

「ありがとう。受け取るよ」

「抜いてみて」

 言われるがまま鞘から剣を抜いた。きらと光る銀色の刃。『雪花』と彫られている。

雪花せつかという剣だ。謝砂の剣だよ」

「いい名前だな」

 宿につくまでずっと手に雪花を放さず持っていた。



 宿の裏に馬車をとめ馬小屋に馬を預けた。

 入口からおいしそうな香りがしていた。

「お兄様こちらです。個室も用意しました」

 姜が迎えにきたが爛は「個室」と告げて謝砂も一緒に二階に上がる。

 一階ではすでに食事を柳花と柳鳳が座って注文した料理を食べていた。

 案内は給仕の男に頼んだ。

 部屋に通されると丁寧に扉をしてめて男は降りて行った。

「爛、ご飯とは別に塩と酒、それから水が欲しいんだけど」

「分かった。もらってくるから謝砂は着替えたほうがいい」

 着がえを渡されて奥で着替えている間に爛は一階へ行った。

 謝砂は自分の体を確かめた。

 この体は細身なのに鍛えているようで筋肉もついている。無駄と呼べる筋肉はなくしぼられていた。

 鍛えなくてもこの素晴らしい肉体を手に入ったことは体の整形手術を受けて手に入った気分だった。

 だがそこら中に擦り傷や傷跡が残っている。

 痛さはないがしかめっ面になった。

 傷跡も既に癒えていて剣などで切られた痕なのかは分からない。

(十代だって聞いたけど本当なのかな。こんな傷痕普通はないよね)

 丸一日のうちにずいぶんと体には適応できた。

 姜が霊力を確かめてくれてから自由に筆も取り出せるようになった。

 頭で理解できなくても念じて手首を回せば法器や霊力を使う仙噐の類はいつでも取り出せる。

 自分の持ってる呪符や筆、剣使い方が分からない法器とかいうものは収納できて取り出せるということみたいだ。

(いわゆる脳内での無限ポケットってことだな。基本霊力がないとできないことみたいだけど。そのうち慣れていくだろう)

 トントンと扉を叩く音に慌てて着がえを済ませて扉を開けた。

 爛はお盆の上に数品の料理と酒と塩と水を乗せていた。

 扉を開けて爛に部屋に入ってそのまま運んでもらう。

「夕餉も運んできたから一緒に食べよう」

 卓子において二人とも座った。

「塩をかける前にまず食べてからにしないと」

「これは味付けの為に塩をお願いしたんじゃないんだ。お祓いのためだ」

 止まっていた宿をでるとき弁当と一緒に竹筒の水筒も用意してくれたらしく水を飲み干したあと部屋まで持ってきた。

「お祓い?」

「清めた水を作るんだ。酒と水を混ぜて塩を一つまみぐらい入れたら完成だ。一日しかもたないし気休めでもいいかと思って」

「なんでも作れるのか」

 石に霊力を込めれるなら水にも霊力を込めれるか試しながら竹筒の水筒に入れた。

 爛は音を立てずに静かに食べていた。

 朝というか昼も爛が食べていた姿は見てない。

(自分のことが先で爛のこと見てなかったな。世話してくれとは行ったけど爛に気を配らないと)

「うん? 謝砂は食べないのか?」

「肉は食べるよ」

 箸を手に取り肉料理だけを口に運んだ。鶏肉の素揚げは甘辛い醤油の味付けでおいしい。

「野菜も食べなさい」

「爛が食べなよ」 

「食べたら屋敷にいく」

「うん」

 謝砂は返事はしたが口にいれた肉を呑み込めずにむせた。なんとか吐き出さずに呑み込んだ。

「嫌だ! 夜にお化け屋敷にいけるわけがない」

「夜じゃないと分からないことがある」

「夜にであるいたら物騒じゃないか」

「謝砂は一人で残る? 疲れているだろう。私についてこなくても宿で待っていてくれたらいい」

 究極な二択を迫られている。

 人生でこれほど悩んだことはないというぐらい悩む。

 怖くないよう明るく例えるならカレーとハンバーグどっちがいいと聞かれているみたいだ。

「ここまま宿にいても安全とは言えないし、まだ爛と一緒に行くほうが守ってもらえる。いや、爛と離れるならどちらも嫌だ。あの三人だけに任せられない?」

「屋敷の中がよく分からなかった。魂を食べているならあの三人だけだと危ない。ついていかないと」

 爛の口から危ないと聞くとぶるっと震えたがこんな宿で一人のほうがもっと怖い。

「やっぱり一人で残されるほうが怖い。一緒にいく」

「霊力が戻っているなら大丈夫だろう。私のそばを離れるな」

 謝砂は離れる気はないと頷いた。


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