第7話

 謝砂は馬車の中で待っていたがしばらく姜も爛も戻ってこない。

 いつのまにか無意識の中に引きこまれていた。

 夢の中でもぐっと意識を呼び起こして激しく抵抗して深くに行かないようにするのに今は抵抗しなかった。

 流れるがままに意識を委ねる。

 真っ暗な夢のなかで謝砂は先ほどがきっかけになり長年忘れていた感覚を呼び起こしてしまったみたいだった。

 それは自分で怖くないようにと暗示をかけて封じた霊力だった。

 ずっと封じて力は抑えていたせいで湧き出てくる泉のように溢れだしている。

 一度栓を挿し封じられたせいで霊力は噴水のように流れ器に白金に煌めく力で満たされた。

 そして霊眼の目が開かれる。

 さっき姜に言われるがまま霊力を流したことで自分で封をしていたものを解放してしまった。

 ドラマや映画のように思念が映像のように飛び込んできた。


 老三の言いつけ通り酒を一瓶抱えて蘇若そじゃくは驍家の屋敷を訪れた。

 門は開かれており誰もいないので敷居をゆっくりと片足ずつ引っかからないようにまたいで入った。

「ちょっと待て」

 家の管理をしている家僕の男が呼び止めた。

「お前一人か?」

 その男を見るなり蘇若は肩をびくつかせ目を逸らした。

 怖くて声も出ず黙って頷いた。

「酒は小一瓶だな。料理酒を頼んでいたから厨房に持っていけ。つまみ食いはするな。奥様が許したって今度勝手に食べたら蔵に閉じ込めるだけじゃ済まさないからな」

 屋敷は賑やかで人が忙しなく大勢が動いていた。 

 邪魔にならないように廊下の隅を歩いていると侍女や家人たちが話す声が聞こえてくる。

「今日は七夕の宴の準備で忙しい」

「使用人である家僕の子供たちも招いたからお菓子をたくさん準備したわ。奥様が旦那様に言って許しを得たの」

「旦那様がお戻りになられたの?」

「だから盛大になさるのね。七夕を一緒に過ごされたのはいつぶりかしら」

 屋敷のなかも紙飾りで綺麗に飾られて蘇若は今まで見たことがない。

 きょろきょろとよそ見をしながら歩いたので屋敷の中で迷子になってしまった。

 突当りまで着てしまったと気づいたときは聞ける人もいなく、振り返れば閉じ込められたあの蔵の前で怖くなった。

 蔵を中を思い出した。暗くてよく見えなかったが、それよりも何かのかたまりがいっぱい横たわっていた。そして冬でもないのに中は寒くてすごく震えた。

 蘇若が抱えている酒は小さな体には重たい。

 酒を降ろして休みたかったが誰の姿もないのに見張られてるような気がしてできなかった。

 見張られていることは毎日慣れているのに獲物を狙っているよう突き刺さるような視線は恐ろしい。

 酒をしっかり抱えたまま地面に座り込んだ。

 だんだんと心細くなり自然と涙が零れてきて袖で何度も拭った。

 ガサガサと足音が聞えた。

「どうしたの」

 その声に顔をあげると綺麗な服をきた優しそうな女の人が覗き込むように見ていた。

 お菓子を食べさせてくれる奥様だと蘇若は気づくとなんとか伝えようとぎゅっと酒を握りしめて話す。

「ひっく、ひっく。あ、あ、あのね」

 蘇若の涙を指で拭いながら背中を優しく擦り話せるようになるまで待ってくれた。

「……分からなくなりました」

「迷子かな。どこに行きたかったの?」

「ちゅうぼうっていうところはどこですか?」

「案内してあげるから。これを食べて落ち着きなさい」

 袖を探り白い包みを取り出すとそのまま蘇若の口の中に入れた。

「飴というの」

 始めて蘇若は飴というものを食べた。

「甘くておいしいでしょう」

 魂を奪われてもいいという味だった。

「もっと食べたい?」

「うん」

「酒を届けにいきましょうか。厨房には巧果こうかがあるわ」

「巧果?」

「焼いたお菓子よ。あなたも大きくなったら旦那様に作るのよ」

 酒を代わりに持ってもらい空いた手は繋いで連れて行ってもらった。繋いだ手は暖かくてすごくいい気分だった。

「酒を渡してきて」

 酒を受け取ると料理人の一人が気づいて近寄ってきた。

「この子も褒美として巧果を一つ分けてあげて」

「はい。奥様ここは忙しいから外で食べておいで」

 滅多に食べることも見ることもない菓子は蘇若にとって宝物だ。

 手のひらに乗せてもらうと頭を下げて言われたとおり外に出た。

 壁に持たれて座り眺めていると家僕の男と顔を合わせた。

「おいガキ、何か盗んできたのか?」

 声に慌てて菓子を握りしめ隠し首を横に振った。

「勝手に食べるなと言っただろう。罰を忘れたのか!」

 男は蘇若に勢いよく近づくと握りしめた腕を掴んで持ち上げ、力を入れて持ち上げた。

「何を隠したんだ?」

 蘇若は耐えきれず握った手を開いた。

 手のひらから菓子が地面に落ちたのを見ると怒りに震えて足で菓子を踏みつけ粉々に砕いた。

 蘇若は粉々になったのを見ると「うわぁぁぁん」と泣き叫んだ。 

「泣くな。うるさい!」

 粉々を広い集めようとした蘇若の手を踏みつけようと足を下ろされる瞬間、声がした。

羅衛らえいおやめなさい!」

 その男は羅衛という名らしい。

「奥様、そのガキはまた奥様が作った菓子を盗んだので罰を与えたのです」

「菓子は私が褒美としてあげたのよ。その手を放しなさい」

 言われた通り羅衛は握りしめた手を緩め地面に蘇若を落とした。自由になると前にいる奥様の元に走り後ろに隠れた。

「奥様はなぜその子供にも月餅をあげるのですか?」

 羅衛は声を荒げて訊いた。

「みんなにあげているじゃない。旦那様に作ったついでにみんなの分もあるようたくさん作っているの」

「滅多に帰ってこない旦那様のために菓子をつくるのはなぜですか?」

「妻だからよ」

 短い答えを聞くと羅衛はゆっくりと首を横に振った。

「私は結婚なさる前から美玉びぎょく様を見てきました。私は知っています。旦那様との縁談は望んだものではないことを。美玉様が優しく尽くしても旦那様は見向きもなさらない」

「子供が好きなのにできないのは旦那様が帰ってこないからでしょう。子がいない寂しさを他の子を代わりに愛さなくても私がいます」

「何を言ってるの? 私は旦那様を愛しているわ。旦那様が滅多に帰ってこないのは私が頼んだからよ。側にいられると心苦しいから。子ができにくいことを承知の上で娶っていただいたの。そのうえ婿養子になってもらったのにそれ以上のことは望まないわ」

「そんなのは嘘だ。美玉様は私のことを慕ってくれてる」

「羅衛、今この子に謝るなら今日のことは咎めない。まだ子供に罰を与えたいのなら出ていきなさい。子供に手をあげる者は驍家にはおいておけない」

「嫌です」

「誰か! 羅衛を追い出しなさい」

 捨てられるわけがないと信じていたが他の家僕が美玉の声に一斉に外に出てきた。

 騒ぎに気づいたのか驍家の主である驍文ぎょうぶんの姿もあった。

「美玉様は昔から私が罰を受けていると見つけて作った菓子をくれた。作ってもらえるのは私だけしかいないんだ」

 次第に風が強くなり七夕飾りが空に舞い上がった。雲が集まりぽつぽつと雨が降りだす。

 どこに隠していたのか羅衛は白い玉をとりだし見せた。

「屋敷の誰にも美玉様の菓子は渡さない。私が子を罰していたのは一人ではない」

 指でつまみそのまま玉を口に運び入れ呑み込んだ。

 雨が強くなり嵐となる。羅衛は黒い煙に包まれその姿は邪霊へと変わる。

 目の色は白く生きてはいない。ぎこちなく腕をあげ屋敷の中にいた驍文を指さすと黒い煙が驍文めがけて飛んでいき押し倒した。驍文はドンと床に仰向けで倒れ近くにいた使用人が駆け寄るとくっきりとした黒い手跡が服の上に凹みをつけて死んでいた。

「旦那様、うわぁぁぁぁ!! な、な、な亡くなってる」

 それを聞き、羅衛を取り囲んでいた者たちが逃げようと一斉に門に方向を変えた。立っていた美玉に勢いよくぶつかり押し倒した。身を翻し後ろにいた蘇若を抱きかかえて覆いかぶさるように庇ったが蘇若は頭を強く打ち付け意識を失った。

 倒れた美玉を見えてはいないのか誰も手を差し伸べない。押し合いながら美玉の体は蹴られ踏みつけられた。

 人が過ぎ去り倒れている美玉に羅衛が駆け寄るも既に息絶えていた。美玉の腕から蘇若が地面に転がる。

 羅衛は美玉の亡骸に膝をつき抱き寄せ片腕を振りかざさし門の扉を閉じ封じ込めた。

 扉は男が大人数で押しても石の壁のようにびくともしない。嵐のなか門を爪でひっかきつづける。

 嵐のなか背中から押さえつけられるように地面に倒れると内臓が圧迫され息をする代わりにゴホッと血を吐き息絶える。

 次々と倒れる姿に絶叫する声は激しい雷雨の音でかき消される。

 雨とともに溜まった血は一面に血溜まりとなっていた。



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