第4話

「ごちそうさまでした。おいしかった。本格的な中華料理はじめてだよ」

 箸をおき手を合わせて挨拶をするのが見慣れないらしく謝砂の姿を不思議そうに首をかしげた。

「変か?」

「ああ。食事を終えたときに手を合わせるしぐさを時々見たなと思って。食事を終えても箸を置くだけで手は合わせない。食べる前にも箸ではなく手を合わせてから箸をとる行動は三か月前から急に始めた行動だ。黙って観察していたから間違いない」

「日本人の習慣だから無意識だしな」

「頂きますという言葉も目上の存在や親しくない関係の者に奢ってもらったときや食事を振舞ってもらったときにしか言わない」

「いろいろ違いがあるんだな。少しずつ教えてくれ」

「分かった。迎えに馬車を用意したから道中に教えてやる」

 扉の外から店の者がやってきて「お食事は口に合いましたか?」と尋ねにきた。

 爛は立ち上がりほんの少し扉を開けて店の者と話しているがその後ろ姿で相手の姿が見えずに声だけが聞える。

「外の馬車を連れがいるんだが呼んできてくれ」

 相手の手に銀色の小石を渡していたのが見えた。

(あれがお金なのか……)

 長年アニメや漫画で学んだ知識をかき集めて繋ぐがもっと真面目に世界史の授業を受けていたらよかったと後悔しても遅い。

生活しながら学んでいくしかない。


 爛は謝砂を椅子に座らせると櫛で髪を梳いてくれた。

生まれてからこんなに髪が長いことがなかったためどうすればいいのか分からずにぼさっとしていたため山賊のような野蛮人のようだった。

爛に身を任せていると乱れた髪は整えられ邪魔にならないよう一つに束ねて紐で器用に結い上げられる。

簪で止めてくれると武侠小説の達人の気分になる。

「この顔も男前に見えるなんて不思議だな。カッコよくなった」

「解けたらまた結ってやる」

 椅子から仰け反って持たれるように後ろにいる爛の顔を見上げた。

「ありがとう」

 お礼を言っただけなのに爛の目が大きくなり驚いたようだ。

(なんか変なことを言ったのかな?)

 数回瞬きをしたあと爛は謝砂の頭をなでるようにそっと優しく触れる。



「桃爛様、着替えと言われた通りに馬車をご用意しました。入ってもよろしいですか?」

「入りなさい」

 部屋の中に入ってきたのは可憐な少女だった。

ちらちらと爛と謝砂を交互に見ては戸惑っているような視線を向ける。

「失礼いたします。着替えはお二人分お持ちしました。それと謝砂お兄様から預かっていた玉佩です」

 着替えの服の上に玉佩を乗せていた。

 爛が受けとり謝砂に手渡す。

 白い石でつくられた玉佩は『謝砂』と名前が彫られている。確かに自分の名前なんだろう。

「ありがとう」

 礼を述べるとまた驚いた顔をされた。

(ありがとうという文化がないのか? 頂きますも言わないならあり得る)

「お兄様がお礼をいうなんて別人じゃないですか。爛様お兄様は妖魔に取りつかれたんですか?」

 顔見知りらしい少女は本当に恐ろしいと言わんばかりに怯えた様子で謝砂から二、三歩後ずさり離れる。

「妖魔が部屋にいるの?」

 謝砂は何も気配を感じなかったがつられるように急に怖くなって立っていた桃爛の服をぎゅっと掴んで握りしめる。

「妖魔はお兄様ですよ」

 すぐに言い返されて謝砂は掴んだ手を放し「コホン」と空咳を体裁を繕った。

(お礼いったら妖魔ってどんな性格をしてたんだ)

「謝砂は術の反動で記憶をなくしてしまったんだ。思い出せないから少しずつ昔のことを説明してあげなさい」

「爛様、わかりました。お兄様が反動を受けるぐらいでしたら禁術を使ったのですね。話が大ごとになるので秘密は守ります。だから私に迎えにくるように言ったのはこのためでしたか」

「記憶がなくて迷惑をかけるよ」

「お兄様の口から迷惑だなんて言葉を聞いたことありません。怖すぎます」

 口が開いたままの謝砂の反応に笑いをこらえて爛がやっと紹介をしてくれた。

「こちらは君の従妹で謝姜しゃようだ」

「今まで通りようと呼んでください。お兄様の実の妹ではなく従兄妹になるのですがお世話いたします」

(そっか。従妹だったのか。可愛い)

 年も変わらないぐらいでまだあどけなさが残る少女はくるくると変わる表情は忙しそうだがにっこりと微笑むと笑った目は自分と似ている。

 妹には憧れていたけど一人っ子だったから呼ばれなれず兄と呼ばれるとこそばい気分になる。

「お兄様、今日は姜が手伝います」

「何を?」

「着替えです」

 平然と言われてさらっと聞き流すところだった。

「誰が?」

 謝砂が尋ねたことに姜は自分を指さした。

「大丈夫です」

 真剣にからかわれているのか区別できない。

 冗談というのが通じるのかもこの世界に存在してるのかすら分からない。

「ですが着替えのときは弟子が手伝っていますから今日はかわりに着せます」

「いやいや。これからは一人で大丈夫」

「分かりました。では姜は外で待っています。早めに来てくださいね」

 姜は部屋に入ってきた時とは違い明るくバタバタと出ていく。

 その姿に謝砂のこわばった頬が緩む。


昔の人が着物のような似た作りの服を着ていたのは楽だからだと謝砂は考えながら着替えていた。

 締め付けのない長ズボンの下衣は履きやすくて動きやすい。

 肌着の上にもう一枚上衣という衣を重ねて着る。

 一番上にほうという足首まで長い丈の外着を身に着けた。  

シルバーっぽい衣は光の加減でキラキラと黒っぽくもなり色が変わる。衿には金色の刺繍が施され上品に見える。袖もヒラヒラしていて着たことはなかったが着物に似ている。。

 靴は革でできたブーツのような靴を履き帯を締め腰には房をつけた。

 支度を終えて部屋から出て階段を降りていくとさっき食べた饅頭のいい匂いがしていた。

「一階は食事処だったの?」

「酒楼だ」

 爛が指した飾り棚には茶色の小瓶が並んでいた。赤の紙が貼ってあり『酒』としっかり書かれている。

(どんな味だろう。飲んでみたいな)

「ホタテの水餃子がおいしかった」

「しっかりした味付けが好きだったのか? 塩辛くなかったのならよかった」

(濃いめだったのか。塩加減もちょうどよかったんだけどな)

 この舌の感覚も自分とは違うみたいだ。前は薄味が基本で無視野菜のような素材の味を好んで食べていた。

「今は好きみたいだ。爛は?」

「聞かれたことがなかったけど、私は甘辛いのがいい」

「爛はお子様のような味付けがいいんだな。忘れないように憶えておく」

「おいしかったし、どうせなら昼もたべて」

 爛と話している途中でドンと大きな物音が聞えた。

 物音に謝砂は驚いて階段を踏み外しそうになった。素早く爛がぐっと帯を掴んで引き戻してくれた。

「――怖かった」

 帯を掴んでくれた手を離れないように爛の手首を掴みそのまま一階に辿りつけると爛の手を解放した。

 一人の男の客が勢いよく入り口横のカウンターにぶつかったようだ。客がざわついて囲むように集まっている。

「酒売りの老三ろうさんじゃないか」

「そんなに焦ってどうしたんだ?」

「屋敷に行ってきたのだろ」

 客も店主たちもその男とは知り合いのようだ。給仕が男に渡した湯呑を受け取るがしきりに両手が震え上手く飲めないようだ。

「どうしたんだ?」

 爛と謝砂の姿を見つけるなり机と椅子も押しのけまっすぐに向かってくる。

 思わず身構えると爛が謝砂を庇うように前に立った。

「そちらの公子、その腰に下げている玉佩はもしやどこかの名が通った修士様ですか?」

「よくぞ見破られた。こちらの方は浄嶺山じょれいざん一帯を納める世家一門の謝氏の若き謝砂宗主です。私はその門弟です」

 爛は言い終えると謝砂に片目でウィンクした。

(なんの合図なんだ。知らないことがいっぱいなんですけど。先に教えてくれないと困るよ。嘘なのか本当なのか分からないだろ)

「どうかお助けください。お願いします」

 老三という男は爛を押しのけて謝砂の足を掴んだ。

「ひぃ。やめてくれ。お願いだから離れてくれないか」

 身動きができずに凍り付いたような謝砂から爛はその男の腕を引っ張り椅子に座らせた。

 謝砂は爛の背中にへばりついた。そして向かいに座った男が自分に来ないと分かると距離をとって椅子に腰かけた。

「お話をすべて聞かせてくれるか?」


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