第3話
蜜柑のような柑橘系の香りと背中の痛みで目が覚めた。
見慣れた蛍光灯がついた天井ではない。
いつもは敷布団派でゴロンと床の上に寝ているのに天蓋があって木でできたベッドの上だった。
マットレスなどないから寝台のうえに分厚い敷布団が置かれているようだ。
かぶせられた布団をめくると綺麗な白い服を着ていた。
ギィーっと音がしてめくった布団を頭まで被った。
部屋に誰かが入って身を縮こませた。
「起きたのか? 私だ」
ごそごそと動いたのが分かったようで頭上で声がした。
「爛だ。目が覚めたなら起きて」
部屋に入ってきたのが爛だと分かると布団をがばっとめくり身を起こす。
窓から差し込む太陽の自然光に明るく照らされた爛の顔は会った時よりも一段と整っていて綺麗だ。
すっと通った鼻筋に弧を描いたような口元。垂らした前髪から覗く玉のように滑らかな色白の美肌。
物腰が柔らかい美男子なのか仙女のような美女なのか整いすぎた顔では区別ができない。
細身だが胸の膨らみも鍛えいて胸板が厚いだけとかあり得る話だ。
世話になるのに自分から話してくれるまで訳があるかもしれないし、うかつには聞けない。
手には扇子が似合うのだが、今爛の手には木桶を持っていた。
部屋は古代中華やアジアのドラマでみたような木造の宿で趣のある丸いかたちの窓枠が目についた。
部屋の造りは寝台が部屋の奥に一つあり手前にはくつろげる客間がある。こじんまりとしているが清潔で広い部屋のようだ。
爛は入口から真っすぐ歩いて謝砂の隣に腰を降ろす。
「気を失っていたから休めれるように連れてきた。どこか痛むところはあるか?」
「寝すぎなだけだよ。もう起きても大丈夫」
「なら茶を淹れよう。顔も洗えるように水をもらってきた」
謝砂がその桶を受けとると立ち上がり卓の前に膝をつき片手で袖を持ち置かれた急須で茶を淹れていた。
爛は袖を片方の腕で持ち上げたりと一挙一挙の動作が優雅で足音も静かだし品がいい。
茶器をガチャガチャとも言わせない。
作法など仕込まれても覚えられないし大人しく見て覚えるしかない。
視線に気づいたのか爛が振り向き目が合うが気まずくて謝砂は誤魔化すように視線を逸らした。
手で水をかけるのではなく顔ごと桶に突っ込んだ。
水は冷たく心地よかったが同時に感覚があるということは夢ではない。
桶の水から顔をあげて目を開けた。
顔からポタポタと水が落ちて波打つが不思議なことに水に映った顔は以前の自分とほとんど顔が変わらない。
じっくりと観察したくて窓に映る自分の顔を見た。
この体のほうが若いはずだが目や鼻、唇の形までそのままだった。
僅かな違いはこちらの顔のほうがやや痩せていて黙ったままだと目が鋭く凛々しいせいか整った顔に見えた。
明らかに違うことは髪が長く一つに束ねられているということと着ている服がそもそも違うこと。
ベタベタと手で顔に残ったままの雫を払い自分の顔をいじくるが錯覚ではなさそうだ。
「不思議と顔も似てる」
「招魂は同じ体を持つ魂しか呼べないらしい。見慣れた顔でよかったじゃないか。違和感もないだろう」
顔を濡らしたままポタポタと水滴が顎をつたって床に落ちているが爛の隣に座った。
「そんな簡単なことじゃない。できたらもっと美形で別の顔がよかったな。爛みたいな――」
言い終えるまえに謝砂は頬を爛の両手でむぎゅっと挟まれた。
「どうゆうものなのかは分からないが私は好きだ。その顔には愛着がある」
今まで一度たりとも面と向かって好きだと言われたことがない謝砂はどうすればいいのか頭が真っ白になった。
ドクドクと動悸がしてめまいがする。
息ができていないのか熱でもでたのだろうか。
「飼っている鳥や犬のように人懐っこい顔だということだ」
(ペットと同じ扱いで助かった。どんなリアクションをすればいいのか分かんないところだった)
爛の手が離れると代わりに卓子の上においてあった手巾で謝砂の顔についた水滴を丁寧に拭われる。
「これで綺麗になったな。謝砂として暮らすにはちゃんと身なりを整えないと違う人だとすぐにバレるぞ。気をつけるんだ」
「そりゃどうも。でもバレたらどうなるんだ?」
「招魂された魂はとても珍しくて霊力が高い魂だと言われている。そもそも招魂の術で呼ばれるのは悪鬼や怨霊の類だと思われているだろうし。仙家の各門派は自分たちじゃできない禁術を試してもらおうとするだろうし、鬼や邪獣、妖なども招魂された魂を狙ってくるだろうな。魂を喰える奴らにとってはその魂は滅多にありつけない珍味だ」
黙って聞いていたが耳を両手で塞いだ。身震いがする。
「嫌だ! そんな怖いことは拒否だ。拒否。怖いことが一番苦手なんだよ」
「震えなくてもいいだろう。まだ起きてもないのに君は怖がりか?」
「そうだよ。苦手どころか高いところ、狭いところ、特に幽霊や妖怪なんてもってのほかで想像しただけでも恐怖で震える」
謝砂はガタガタと歯を震わせた。
「怖がらせてすまない。謝るよ。あまりにも素直に信じてくれるからつい。謝砂に手を出せる仙師たちはいないし、私が手出しさせないから安心してくれ」
爛は謝砂をからかうために脅しただけのようだったが本当に怖がるとは思っていなかったようだ。
「一応訊くが怖がりを恥じたことはない?」
「一切ない」
迷うことなく堂々と断言され爛はあきれた顔でため息をついた。
「その生まれ持ったその霊力の高さなら今までも幽霊などは見えるたちだろう。どうしてたんだ?」
「霊力なんて知らない。怖いからなにも見ない聞えない勘違いだと言い貫いたら見えなくなった」
謝砂は今にも泣きそうだが爛は感心してほぅと自分の手で顎をなぞった。
「自分で結界のように言葉で張ったんだな。言霊で術を発動させていたとは紗々は謝砂よりも霊力が強い証拠だ」
「そんな力はいらないよ。紗々としていた世界では霊力があったとしても術とか使えない。幽霊が見えても死に引っ張られるだけで怖いだけ。鈍いほうが生きやすい」
「生まれた祝いにご飯でもたべないか? 世話すると約束しただろう。さっき水をもらったついでに適当に何品か頼んだ」
謝砂はごくっと唾を飲み込んだ。
寝ている間は何も食べてなかったんだから空腹なはずなのにこの体は食べないことに慣れているようだ。
でも何か食べないと持たないだろう。
「なんでこの謝砂は人迷惑な術をした? 自分が死んでしまうのに」
謝砂がきくと爛は一瞬顔がくもった。
「それは身代わりになったからだ。謝砂は魂にかけられた呪詛を解けなかった。解くことはできないが自分が代わりに引き受けることができたらしい。呪詛はじわじわと魂に亀裂をいれ最後には魂を粉々に砕いてしまうんだ」
「まさか……呪詛まで引き継いだのか? 勝手に呼ばれて即死なんて酷すぎる」
「安心しろ。呪詛は謝砂の魂にかかったものだから君に引き継がれてはない」
「よかった」
謝砂はほっと胸をなでおろすが「ただし」と爛が話を続ける。
「呪詛っていうものは厄介で物にかけられたものなら術術でかけられたものなら相手を探さなくてはならないだろう。術が発動し相手は死んだと術者は思ってるのに謝砂が生きていることになれば怪しまれるからな」
「関係ないとはいえないのか。術って呪いだろ。相手を呪い返すことはできないのか?」
「術返しは高等で代償も高くつくからやめておいたほうがいい。術の痕跡が体に残ることも稀にあると言っていた」
「その痕跡がこの体に残っていたとしても記憶がない」
「術の発動には己の霊力を消耗する。魂魄を締め付けるような高等な呪詛をかけられる人は限られている。法器だったとしても一級品でどこかの家宝の可能性が高い」
「うーん。どうしても頭が回らないから後でゆっくり考えるよ」
「謝砂にとって今必要なのは食事だな」
ちょうどよく部屋の扉をトントンと叩かれた。
「お食事を運んできました。開けてもよろしいですか?」
呼ばれてもすばやく爛が立ち上がって対応してくれるので謝砂は運ばれるのを待っているだけでよかった。
湯気が立つ料理を卓子にあっという間に並べられる。おいしそうな匂いと香りで部屋が満ちていく。
朝餉に運ばれてきたおかゆに桃饅やエビやホタテの水餃子などを食べつくした。
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