#16 おれと

 工房取り壊しの通達が届いてから数日が経った。そのあいだのユーミィは、魂が抜けたようにすっかりほうけてしまっていた。


 日がな一日工房のソファに座り、窓から射す陽の光を浴びながらぼうっとスライムを撫でるだけ。その姿はまるで、縁側でひざに乗せた猫を撫でながらひなたぼっこをするおばあさんのようだった。


 そんなユーミィだが、日課のスライムのかけら拾いだけは継続していた。早朝からの仕事は体に染みついているため、いつも通りの時間に自然と目が覚めるのだ。ユーマとフローシアも手伝いを続けてくれた。


 すでにスライムをつくる必要は失われてしまったため、集めたスライムはミルク缶のなかに入れっぱなしになっている。予備も含めてたくさんあったミルク缶はもう満杯状態で、これ以上は拾いに行くことができなくなってしまった。


「もうダメかなあ……」

 ユーミィの口から弱音がもれた。


 ムダだとわかっていながらもかけら拾いを続けたのは、わずかばかりの可能性を考えてのことだった。もしかすると、工房取り壊しの決定が覆るかもしれない。そんな淡い期待を抱いていたが、残念ながらそのような吉報は届く気配を見せていない。


 自分だけの工房を新しく建てるという選択肢がないわけではない。しかし時間的にも金銭的にも、ユーミィにそのようなことをしている余裕はなかった。


 ガチャっとドアがひらいてユーマが工房に入ってきた。片手をあげてユーミィにあいさつする。

「よっ、元気か?」

 本来なら冒険者養成所で見習いたちをビシバシしごいている時間なのだが、養成所の移設にともなって毎日が休日のようになっていた。


「……あ、ユーマだ。わたし、元気だよ……」

 と、弱々しく返事をするユーミィ。

「聞くまでもなかったか」


 元気がなくなるのも当然の話である。この一週間も経たないあいだにユーミィをとりまく環境は大幅に変化してしまった。工房閉鎖のうわさにはじまり、自立の道を進もうとした矢先の取り壊し通告。彼女の精神に打撃を与えるには十分すぎた。


「――なあ、ユーミィ。ちょっと話があるんだが、聞いてくれるか」

「……なあに?」

 ユーミィはうつむいたまま言った。


「あのさ、おれ、考えたんだ。その――」ユーマは言いよどんで口を閉ざした。頭をぽりぽりかきながら工房内を徘徊していたが、やがて意を決して話し出す。「もしよかったら──おれといっしょに、都に行かないか?」


「えっ……」

 思いもかけぬ言葉を受けて、ずっと下を向いて放心状態だったユーミィが顔をあげてユーマを見つめた。彼も決意に満ちた顔で彼女のことをじっと見据えている。


「おれさ、騎士団に入団しようと思うんだ。養成所がなくなったら、ほかにできる仕事もないし。かといって、冒険者になったらおまえともなかなか会えなくなる。だからさ、いっしょに来いよ。おまえの面倒くらい、おれが見てやるからさ」


「そんな、急に言われても困っちゃうな……」ふたたび目を伏せて考え込む。「ユーマとお別れしなくてもいいのはうれしいよ。でも、わたしはこの町を離れたくない。大切な思い出と大切な人たちがいるこの町を……」


「おれだってそうさ。できることなら、生まれ育ったこのメイズルの町を離れたくはない。だけど、おれもおまえも、仕事がなくなっちまうだろう? しかも工房まで」

「それは、そうだけど……」


「それにさ、騎士になれば、いまよりもよっぽど多くの給料がもらえるんだ。資金を貯めておまえだけの工房をつくることだってできるんだ」

「わたしだけの……」


 願ってもない話である。都で華やかな生活が送れるようになるのだから。さらに、自分専用の工房を持てるかもしれないのだ。断る理由などないはずだ。


 それでも、ユーミィは即決できなかった。片田舎ではあるが、この町には思い出の詰まった工房があり、お世話になった人たちがいる。彼女にとって、それはユーマと同じくらい大切なものだった。


「まあ、いますぐにとは言わない。じっくり考えてから決めてくれ」

「うん……」


「お取り込み中のところわるいけど、そんな悠長なことを言ってるヒマはないかもしれないわよ」

 と、気づかぬうちに窓際に立っていたフローシアが言った。いつになく真剣な眼差しで外の様子をうかがっている。


「うわっ! いつからいたんだよ、おまえ!」

 いきなりの登場にユーマはあわてふためいた。いったいどこから、いまの会話を聞かれていたのだろうか。


「あんたが来るまえからずっといたわ。そんなことよりも、外を見なさい。なにかあったみたい。ただごとではないなにかが……」


「そんなこととか言うなよな。大事な話をしてたってのに――」

 ぶつくさ文句を言いながらも言われた通りに窓の外に目をやる。


 工房の外では、馬に乗った防衛隊員らしき人たちがせわしなく行ったり来たりしていた。こんな町はずれにしてはめずらしい光景だ。


「ほんとだ、なにが起こったんだ……おれが見てくるから、ふたりはここで待ってろよ」

 と言って、ユーマは逃げるように工房を飛び出し、状況を確認するためにどこかへ走っていった。


「どうしたんだろ? なんかあわててたみたいだけど……」

「照れ隠しでしょう。あたしにプロポーズの場面を目撃されたから」


「プロポーズ……って、ええっ! プロポーズだったの?」

「そうよ。あいつが言ってたでしょう。『おれが一生面倒を見てやるから、結婚していっしょに暮らそう』って」


「あれ? そんなセリフだったかなあ……」

 少なからず誇張はされている。


「だいたいそんなところよ。本質的には間違ってないはず。まあ、あたしの目の黒いうちは、あたしのユーミィを嫁にもらおうなんて許さないけどね」

「フローシア……過保護なお父さんみたい」

 と、ユーミィはくすっと笑った。


「せめて過保護なおねえさんにしてちょうだい」

「そうだね、ごめんごめん」

 ふたりは顔を見合わせて笑い合った。


「それにしても、なにがあったんだろうね?」

「ええ――イヤな予感がするわ」


 フローシアの見つめる先、空には重たい雲が立ちこめる。先ほどまで射し込んでいた陽の光が途絶え、工房内は薄暗くなっていた。

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