#15 暗雲

「おーい、ユーミィ。どうかしたのか?」

 と、ユーマが声をかけた。ユーミィが手紙を顔に近づけた姿勢のまま、かたまって動かなくなったからだ。


 ひらり、と手紙が床に落ちる。ユーミィは口をぽかんとあけて立ちつくしたまま、焦点の合わない目でどこかの一点を見つめている。ユーマの声も聞こえていないのか、まったくの無反応だった。


「おいおい、まさか――」

 ユーミィの反応から手紙の内容を悟ったユーマは、落ちていた手紙を拾って自分の予想が当たっているかを確認する。


「あたしにも見せなさいよ」

 と言って、フローシアはユーマの手から手紙をひったくった。

 

 ユーマもユーミィと同じようにぼうぜんとしてしまい、ひったくられたことになんの反応も見せない。しかし、この工房のなかでただひとり、ほかのふたりとは異なるリアクションをとる者がいた。


「なんなのよこれ!」きいぃぃっ、と奇声をあげながら、フローシアは手紙をビリビリに破り捨てる。「どういうことなのよ! せっかくユーミィが新しい道を歩みはじめようとしてるってときに、これはないんじゃないの!」


 彼女の破壊衝動はとどまることを知らず、その矛先はユーマへと向かう。ユーマの胸ぐらをつかんで前後に激しくゆする。彼に一切の非はないのだが、毎度のことながらあわれな男である。

「おれは関係ないだろ! やめろーっ!」


 工房に届いた一通の手紙。それは町からの知らせ──いや、通告だった。その内容は『スライム工房の取り壊しが決定した。ついては可能な限り速やかに退去するように』というものだ。


 冒険者ギルドや養成所と同じように、スライム工房も建物の老朽化が進んでいた。スライムの必要性が薄れるという話も追いうちとなり、閉鎖ではなく完全に取り壊すことになったのだろう。そしてそれは、すでに決定事項となっていた。


「まったく、おれにやつあたりしても意味ないだろ……」

 荒ぶるフローシアから解放されたユーマ。


「だいたいなんなの? 町が勝手に取り壊しを決めるなんて、何様のつもり? なんの権利があるってのよ」

 ふたたびユーマに掴みかかりそうな勢いで、フローシアがたたみかけるように疑問を口にした。


「それがあるんだよ」

 と、ユーマが冷静に言い切った。


「なんでよ。この工房はユーミィのおじいさんがつくったんじゃなかったの?」

「そう言えなくもないが、正しくもない」


「もったいつけてないで、わかりやすく言いなさいよ」

「わかったよ。ここは町の所有する土地で、工房の建設費も町が出したんだ。つまり、この土地も建物も町の所有物で、ユーミィはそれを借りているに過ぎないってことさ。町のものなら当然町に決定権がある。そうだろ?」


「町の所有物だなんて、はじめて聞いたわ。ユーミィ、本当なの?」

「うん……」と、ユーミィは小さくうなずく。


「だからって、一方的すぎるんじゃないの? ずっとユーミィの一族が切り盛りしてくれていたっていうのに」

「たしかにそうなんだが、正当な対価はもらっていた。ボランティアをやってたわけじゃなく、町から受けた仕事の依頼をこなしていただけさ。義理人情でどうにかなるような話じゃないんだよ」


「じゃあどうすればいいのよ。これからってときに……」

 拳を握りしめるフローシア。行き場のない怒りは爆発寸前まで高まっている。このままほうっておけば、町議会に殴り込みをかけてもおかしくはない。


「ありがとね、フローシア」

 かたく握られたフローシアの拳に、ユーミィの手がやさしくそえられた。

「ユーミィ……」

「工房のために本気でおこってくれて、うれしかったよ。でも、もういいんだ……」

 ユーミィの視線がフローシアから工房のなかへと向けられた。たくさんの思い出が詰まったスライム工房。


 どんなものにも終わりはやってくる。たとえ町から工房取り壊しの通告がなかったとしても、何年後か、何十年後かはわからないが、いつかは建て直しの必要が出てくるのだ。それがすこし前倒しになった。ただそれだけのことのはずだ──。


「取り壊しになるなら、引っ越さなくちゃいけないね。片づけをして、新しい家を探して、それから……それから……」

 心配させまいとムリに笑顔をつくるユーミィ。その瞳から大粒の涙がこぼれ出た。ぬぐってもぬぐっても、次々にあふれてくる。


「あれ……おかしいな。止まらないや……」

「……」フローシアはなにも言わずにユーミィを抱きしめる。やさしく髪をなでながら、そっとつぶやく。「強がることはないのよ……」


「うぅ……フローシア……」

 親友の胸のなかで泣くユーミィの声だけが、取り壊しを控えた工房のなかにさびしく響き渡る。


 ユーマは抱き合うふたりに背中を向け、天井を仰ぎ見ていた。そして、そのまま静かに工房を出ていく。まるで、泣き顔を見られたくないかのように。

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