#11 光明
「ねえ、ユーミィ」
「ん? なあに?」
「このスライムって、エサは食べないのよね?」
「うん。生き物じゃないから、ごはんは食べないよ。でも、水がないとだめなんだ。干からびちゃうからね」
スライムのからだの九割以上は水分で出来ていた。水を与えないとどんどん小さくなっていき、いずれ消えてしまう。町のまわりにいるスライムたちは雨や朝露、川の水などで水分を補給しているが、かんかん照りの日にはあっというまに蒸発してしまうこともあった。
陸上生物にとって乾燥というのは強敵ともいえる存在だ。水はほぼすべての生物の生命線といえるものであるため、陸上生物は様々な乾燥対策をとっている。あるものはかたいウロコや外骨格でからだを覆い隠し、あるものは皮膚から皮脂や粘液を分泌する。しかし、スライムにはそうした手段がなかった。
「ふうん、水だけでいいの。もし家に置いておくとしたら、ペットというよりも……家庭菜園みたいね」
フローシアは植木鉢に入ったスライムにじょうろで水をやるユーミィの姿を想像した。鼻歌交じりにお世話を続けるユーミィ。にょきにょきと立派に生長をとげたスライムは、やがて大輪の花をつける──。
「ふふっ……」
「ん? どうかした?」
「なんでもないわ。気にしないで」頭を左右に振ってへんな想像を振り払う。
「とにもかくにも、これはいけるわね」
「これって、どれ?」
「スライムをペットみたいに売るの。この町に暮らす人たちにね」
「えーっ! 町の人に売るの?」
ユーミィのつくるスライムは、冒険者の腕試しと町の防衛のためにすべて町が買い取っていた。いわば公共事業の一環であり、個人に向けて販売するようなことはいままで一度もなかったのだった。
「そうよ。町が必要としてくれないのなら、ほかの人に売ればいい」
「でも、みんな買ってくれるかなあ……」
不安そうに首をかしげるユーミィ。
「買ってくれるかどうかじゃなく、売れるような新作スライムを開発するのよ。腕利きの商売人というのはね、消費者の需要を的確に見極める目を持っているものなの」
ふたりとも腕利きどころか商売人ですらないのだが、フローシアの言っていることはまちがいではなかった。
「新作……そっか、わかった!」ユーミィはパチンと手を叩いた。「ルンルンスライムのことだね!」
一瞬の間をおいてから、フローシアは粛々と言う。
「──あれはやめておきましょう。クーリングオフと苦情の嵐が起こって工房が吹き飛ばされるわ、きっと」
「あっ……そういえば、フローシアが食べられそうになったんだっけ」
あはは、と苦笑いして目をそらす。床で寝ていたフローシアにも非があるのだが、引け目を感じるユーミィであった。
「あなたならきっといいアイデアが浮かぶはずよ。カラフルなスライムを考えたのはあなたなんだから。工房にもどったらいろいろと試してみましょう」
「うん!」
ユーミィは笑顔でうなずいた。
工房の閉鎖を回避するための道筋が見えたかもしれない。本当に成功するかはやってみなければわからないが、わずかでも光が見えたという事実が、彼女の心を明るく照らしたのだった。
「まずは目のまえの仕事を片付けましょうか」
「今度はちゃんとやってよね」
ふたりは作業を再開する。いや、ひとりは再開し、もうひとりはようやく開始する、と言うべきか。
「う……うそだーっ!」
突然、静かだった草原に雷鳴のような叫び声が響き渡った。
「フローシアが……あのフローシアが、働いているだと!」
「わあっ、なになに? ──って、ユーマだったのかあ。ああ、ビックリした」
「なによ、あたしが働いてちゃいけないっていうの?」
ほっと胸を撫でおろすユーミィと、けなされたことに反発するフローシア。そんなふたりに構うことなく、ユーマは受けとめ切れない現実に苦しんでいた。
「あ、ありえない。工房に入り浸ってはくっちゃね、くっちゃね。ぐうたら三昧のあのフローシアが、まさか肉体労働に従事しているなんて……うわーっ!」
ふたたび叫んだユーマは両手で頭を抱え、そのまま地面にヒザをつく。剣の勝負ではヒザをつくなどまずありえないほどの実力者であるが、目のまえの衝撃の光景は、いままでに剣を交えたどんな相手よりも強敵だった。
はっとなにかに気づいたユーマが空を見上げる。
「今日の天気は、晴れのち槍。ところにより大粒のスライムが降るでしょう。お出かけの際は兜と盾の用意をお忘れなく」
遠い目をして支離滅裂なことをつぶやくユーマ。彼にとってフローシアが働くということは、正気を失うほどに信じられないことだったのだろう。
「わーっ、ユーマがおかしくなっちゃった! どうしよう、どうしよう……」
はじめてみるユーマの姿に、ユーミィはあわてふためいた。幼いころからずっといっしょだった彼女でさえ、彼のこんなにぶっ壊れた状態は見たことがなかった。
「ほっときなさい、そんな失礼な男。スライムにでも食べられてしまえばいいのよ」
ふんっ、とフローシアは鼻を鳴らし、壊れたユーマのことなど無視して作業にもどることにした。
ユーマがこの残酷な現実を受け止められるようになるまで、ユーミィとフローシアは工房に帰れなかった。中身がいっぱいになったミルク缶を持ちあげられるのは、力のあるユーマしかいないからだ。彼が正気を取りもどして帰路につくころには、太陽がすっかり天高く昇っていた。
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