#10 はじめての

 翌早朝。多くの人にとって朝というには早すぎる時間帯。いつものように、ユーミィは荷馬車に乗ってスライムのかけら拾いに向かっていた。まだ工房の閉鎖が決まったわけではないから、それまでは通常営業というわけだ。


 荷馬車は町を囲う外壁に差しかかった。この壁はユーミィの祖父の時代にはなかったものだが、メイズルが国境近くの町でもあるために建設されたのだった。スライムの必要性が薄れた原因のひとつでもある。


 すっかり顔なじみになった門を守る防衛隊員に軽くあいさつをする。門がひらかれ、荷馬車は壁をくぐり抜けた。


 振りかえって見上げると、壁のうえにはいくつもの大砲が設置されていた。これならばトロールのような大物があらわれても難なく追い払えることだろう。ドラ息子総司令官の自信は、あながちウソではないようだ。


「まるで要塞ね」

「わっ! びっくりしたあ。もう、フローシアってば、おどかさないでよね」


 いきなり後ろのほうから声がして、ユーミィは驚きの声をあげた。荷台に乗っているのはからっぽのミルク缶と昨日つくった赤色スライムだけのはずだから、人の声がするなどとは思いもよらなかったのだ。


「おどかすつもりはなかったのだけど……ごめんなさいね」

「まったく気づかなかったよ。いつ乗ったの?」

「夜のうちに乗り込んでおいたのよ。毛布にくるまってね。これなら寝過ごしても問題ないから」

「そんなことしなくても、言ってくれれば起こしてあげたのに。フローシアがいるなんて知らなかったからそのままスライムを乗せちゃったけど、大丈夫だった?」

「ええ、平気よ」


 出発する直前、前日に製造しておいたスライムを荷台に乗せる作業がある。大鍋のなかのスライムは冷める過程でほどよい大きさに分裂していて、ユーミィの合図でポヨンポヨンと鍋の外に飛び出す。あとは物置小屋に置いてある荷台に誘導するだけで、勝手に乗り込んでくれるのだ。


 ユーミィのつくるスライムたちは生き物ではないのだが、なぜか彼女の言うことは聞くのだった。鳥のヒナには刷り込みという習性がある。生まれてからはじめて見たものを親だと認識するというものだ。もしかすると、彼らも同じような習性を持っているのかもしれない。


「スライムのお風呂というのも、なかなかいいものね。ちょっとひんやりしているから、暑い夏にはぴったりかもしれないわ」

 肩までスライム風呂につかりながら、フローシアはまんざらでもない表情を浮かべていた。プルプルのスライムたちにおしくらまんじゅうされ、全身をマッサージされているような状態になっている。


「わたしも入ってみたいかも──って、あれ? 寝過ごさないようにってことは……もしかして、手伝いに来てくれたの?」

「もちろん」

「フローシアといっしょにお仕事できるなんて、なんだかうれしいなあ……」

 ユーミィは感極まって瞳をうるうるさせた。


「おおげさね。あたしが働くだけで」

 決して誇張表現などではない。いまだかつて、フローシアが労働にいそしむ姿を見た者は、だれひとりとしていないのだ。


 すこしして、荷馬車は今日の作業場所に到着した。

「それじゃあ、お願いね」というユーミィのひと言で、荷台を埋め尽くしていた赤色スライムたちはわらわらと散っていく。あとには数本のミルク缶と寝転んでいるフローシアが残されていた。


「残念だわ。もうちょっと堪能したかったのだけど……」

 心残りな様子でつぶやくフローシア。あちこちに散らばってゆくスライムのことを名残惜しそうに見つめている。


 さて、とユーミィは作業に取りかかる。中身の入っていないミルク缶ならユーミィの力でも持ち上げることができ、まずはそれらを運ぶところからはじまる。ようやく起きあがったフローシアとふたりで運び終えると、次はかけら拾いにうつった。


 慣れた手つきで作業を進めるユーミィ。一方、もうひとりはというと、遠く東の空を眺めながらぼうっと突っ立っていた。

「なかなかいいものね、早起きして働くというのも──」

「そんなこと言って、さっきから空を見上げてるだけだよ。もっと手を動かさなきゃ」

「ごめんなさいね。めずらしい光景だったものだから、つい」


 夜明けまえのこの時間は、まだ太陽が昇っていないにもかかわらず、空が薄明るくなってきている。工房で寝てばかりのフローシアにはまず拝むことのできない景色だった。

「あ、日の出だわ」

「もー。せっかく手伝いに来てくれたと思ったのに、さぼってばっかりなんだから」


 朝日を浴びたスライムたちは光輝く。そんな光景に見とれて一向に手を動かさないフローシアは、棒立ちしながら考えていた。これならペットかインテリアとして家に置いておくのもありかもしれない、と。

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