#02 工房に潜む影
城壁のように町を囲う外壁を越えて、荷馬車はゆったりと進む。まだ就寝中の人が多い時間帯の町なかは静まり返っていて、馬の蹄と車輪の音が響いていく。
辺境の町、メイズル。ユーミィとユーマの暮らす『はじまりの町』は、今日もおだやかな朝を迎えようとしている。
ふたりは目的地である工房に到着した。人家がまばらな町はずれにあるその建物は、外観は一般的な民家とほとんど変わらない石造りの二階建て家屋だが、一階部分が高めにつくられている。工房というわりに看板の類は設置されていない。
荷馬車は工房の玄関先にとまった。
「じゃあユーマ、頼んだよ」
「おう、まかしとけ!」
と言って、ユーマは先ほど荷台に乗せたミルク缶をすべておろしてから、今度は工房のなかに運んでいく。入口の扉がふつうの民家よりも大きめにつくられているため、難なく搬入作業ができる。疲れ知らずの青年は休むことなく運び続けた。
ユーマが作業をしているあいだに、ユーミィは馬から荷台をはずし、手綱を引いて近所にある馬小屋に連れていく。
「おつかれさまです」
とユーミィが声をかけると、小屋のなかから中年の男性がやってきた。馬の世話をしているところだったようだ。
「おお、ユーミィちゃん。今日も朝早くからおつかれさん」
「おじさんもね」
その男性はこの町で乗合馬車を運行しており、ユーミィには厚意で特別に馬を貸してあげていた。
「また明日もお願いね」
ユーミィが馬に語りかけて背中をなでるとうれしそうにないた。そこで飼われている馬たちはみな、彼女によく懐いているのだった。
おじさんに馬を引き渡してお礼の言葉を告げたユーミィは工房にもどる。
ユーミィが工房に帰ってくると、軒先に並んでいたミルク缶はすっかり片付けられていて、荷台は工房に隣接するガレージのような物置に運ばれていた。いや、あとひとつだけミルク缶が残っている。
「ほんとに元気だねえ、ユーマは」
ユーミィが少々あきれたように言った。
その最後に残った一本はユーマの肩に担がれていて、彼はそれをバーベルがわりにスクワットをしていた。
「これからお仕事があるんでしょ? ほどほどにね」
「平気だって。この程度でへばってたら、教官はつとまらないってね」
ユーマはトレーニングを切り上げ、担いでいたものを工房のなかに持っていった。
建物の一階部分は大部屋となっていて、すべて作業場として使われていた。本来はなかなかの広さがあるはずなのだが、様々な道具や装置、材料を保管する棚などであふれていて、実際の広さよりもせま苦しく感じられる。しかしそれらはきちんと整理整頓されているため、物は多いが乱雑としているわけではなかった。
大部屋の中央には大鍋が鎮座していた。小柄なユーミィなら三、四人はなかに隠れられそうなほどの大きさだ。相当使い込まれているためか、もとの色がわからないほどに黒ずんでいる。歴史の深さを感じさせる骨董品だった。
壁際に設置された戸棚のなかには、乾燥させた香草や薬品のはいったビンなどがきれいに並べられている。
「これで終わりだな」
最後の一本を運び終えたユーマは軽いストレッチをはじめた。
「おつかれさま。適当にお茶でも飲んでていいからね」
「おう。ユーミィもいるだろ?」
「うん。おねがい」
ユーミィは作業に取りかかり、ユーマは部屋の隅にあるらせん状の階段に向かった。二階には台所や寝室があり、ユーミィの生活スペースとなっている。
──むぎゅっ。
階段を数段のぼったところで、ユーマは毛布を踏みつけた。
「ん? なんでこんなところに毛布が?」
ユーマが踏んだ毛布にはなにかがくるまっていた。そのなにかはモゾモゾと動きだし、のっそりと起きあがった。
「ちょっと、痛いじゃないの……」
「うわっと!」
驚いて足を引いたユーマはあやうく転げ落ちそうになるが、手すりをつかんでなんとか踏みとどまった
「もう、やめてよね……いつもいつも、あんたは声がでかいのよ……」
毛布のなかからあらわれた女性が眠たそうに目をこすりながら言った。まだ寝足りないといった様子で大きなあくびをする。
「しかたないだろ。こんなところで人が寝てたら、だれだってビックリするだろうが」
「別にいいでしょ、あたしがどこで寝ようと。それとも、階段で寝ちゃいけないなんて決まり、あるの?」
「そういうわけじゃないが──」
「フローシア、そんなところにいたんだ。おはよう」
ユーミィが作業の手をとめて言った。
「おはよう、ユーミィ。今日もかわいいわね」
「ありがと。あれ? でも、フローシア。わたしが階段をおりたときにはいなかったよね?」
二階の居住スペースから一階におりるにはこの階段を通るしかないのだが、ユーミィが家を出たとき、階段にはなにもなかった。
「もともとはそっちのソファで寝てたの。のどが渇いたから台所にいこうと思ったんだけど、途中で寝ちゃったみたいね」
「もう、フローシアったら。へんなところで寝てちゃダメだよ。もっとからだを大切にしないと」
「ありがとう、ユーミィ。あなたのやさしさが寝起きのからだに染み渡るわ……」
フローシアはユーミィに微笑みかけた。
「あ、そうだ。材料をとってこないと」
と言って、ユーミィはせわしなくとなりの物置に入っていく。工房と物置はなかでつながっていて、外に出なくても行き来することができた。
「ふぅ……なんて愛らしいのかしら、ユーミィは」
物置につながる扉を眺めながら、フローシアはつぶやいた。
「自分の家に帰って寝ればいいだろ。なんで工房で寝てるんだよ」
「あんたはかわいげがないわね。ユーミィのいるところがあたしの居場所なのよ。なんか文句ある?」
「相変わらずヤバいやつだな、おまえ。そんなこと言って、帰る家がないだけなんだろ。浮浪者のフローシアだもんな」
「その呼び方はやめてよ。きらいなの」
フローシャ──ではなく、フローシアは顔をしかめた。
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