2-2. いつものごとく

 地球崩壊からおよそ二億五千万年。銀河系に離散し、それぞれの宇宙放浪期間を経てさまざまな天体に根付いた人類が、銀河連合盟主星アルテラのもとに再統合され、新たな社会を築く時代。

 アルテラ生命学研究所――通称AIVRアイバーの窓際研究者、時代遅れの地球生物学を専門とする偏屈教授が、

「今度こそ本物の地球原種を見つけたぞ! 捕獲だ、生きたまま捕獲だ!」

 例によって無茶ぶりしてきたのは、ふた月ほど前のことだ。

 銀河文明百万惑星。ありとあらゆる形態をした異形の生命に溢れた宇宙社会において、生命学系の最高峰学術研究機関と評される、誉れ高きAIVRアイバー。まがりなりにもそこで一研究室を構えるキャンベル教授は、しかしながら頑迷にして狷介、ひらたくいえば、なかなかマッドな老学者として界隈にその名を轟かせている。

 ほとんどの種がすでに母星とともに失われた、地球原産生物が研究テーマであること――まずこれがひとつ。

 一度スイッチが入ると、相手かまわず地球生物への愛を唾飛ばして語り倒すこと――これも大きい。

 それから、服装や靴下が何日も変わらないとか、私物の実験器具や剥製を隣の研究室にまで浸潤させるとか、ときどき冷蔵室から奇怪なUMAの夜叫が聞こえるとか、現地派遣調査員レンジャーとしてとても堅気に見えない異星人エイリアンを雇い入れたとか――数え上げればきりがないが、とにかく変人ぞろいのAIVRでもズバ抜けて異説伝説に事欠かない人物なのは確かだった。

 今回の件だって――と、思い出したフィンレイは頭痛をおぼえて軽く額をおさえる。次の教授会で美味しい肴を提供すること必至だ。

 なにしろあの爺さん、出張講演で招かれた高級レストランで、見慣れぬ料理の食材を片っ端から標本サンプル採集し(しかも食事しながらだったらしい)、それを後日分析した結果、地球原種の候補を見つけたというのだ。そんな恥も外聞もないいきさつを教授自身の口から誇らしげに聞かされた日には、俺もう転職しようかなと悩みたくもなる。

 けれども教授は、zzc-1ずうずうしい遺伝子が反復配列リピートして数千回もDNAにコードされている人間だ。彼に敵う奇跡など、ブラックホールがくしゃみした反動でホワイトホールに裏返るくらい稀な事象である。フィンレイが辞職願を口にするより早く、教授は仕事内容を言い渡すやサッサと実験室にひきこもってしまったのだった。

 まあそういう経緯で、結局いつものように、文明から一万光年の僻宙へきちゅう星系にやって来ているわけだが……。

 暑苦しい赤い樹海の惑星ゴンドワナの太陽は、そろそろ本格的な目覚めに入ろうとしていた。

 魚貝市の生臭さと人いきれから逃れ、まだ活気の控えめな生花売り場に避難して、フィンレイは再び汗をぬぐった。左腕のリングを確認すれば、血中医療ナノセンサーからのサイン――初期の脱水症の警告が出ている。バックパックから濾過済み飲料水を取りだしてがぶ飲みし、気だるい動作で蚊を払う。それからまた背嚢に手をやって、紡錘形の物体をひっぱり出した。

 黒ずんだこれこそが今回のターゲット。出立前に教授から手渡された〈地球原種らしき何か〉の干物であった。

 見た目は、焼け焦げた光合成陽樹の破片に似ている。でなくば、滅んだ異星文明の古代陵墓から盗掘された呪いのミイラの腕っぽい。もう勝利したも同然の顔つきでいた教授の、当てにならないことで有名な簡易分析を信じるなら、たぶん硬骨魚類の乾物、ということである。

「たぶん、ってどういうわけだよ……。それでも科学者か?」

 選択されたアミノ酸の種類がどうの、地球生物によく保存された遺伝配列がこうの。

 眠たい蘊蓄うんちくは聞き流したが、乾物にされた過程でDNAが断片化してしまい、より詳しい調査には完全な細胞――理想的には、生きた細胞が欲しいと駄々をこねる。

 教授は件の高級レストランのシェフを問い詰めて(可哀想に……)、この食材と輸入元の情報までは自力で入手したようだ。だが、その先まではいけなかった。もちろん、そんなときのためにAIVRにはフィンレイたち現地派遣調査員レンジャーが常駐しているのだが。

 星間輸入会社に問い合わせ、対象星系唯一の宇宙港を訪れた。仲介業者や食品加工業者をあちこちたどり、実際に運輸ルートを足で遡った。そうして突きとめた謎の乾物の原産地こそ、サジタリウス腕遠心宙域・ジュース単星系、第三惑星ゴンドワナ。その一大陸の北東部、赤道直下の熱帯雨林。さらに解像度をあげて、大陸の四割を網羅する最大河川の主流を遡ること河口域から五千キロ。上・中流域の河の民が一同に会する貿易市場の片隅に、フィンレイは今、追いやられて立っていた。

 目標まで目と鼻の先という場所まで来て、彼が腐りきった表情で手団扇てうちわを煽いでいるのは他でもない。実に一月ものあいだ、調査が行き詰っているせいだった。

「知ってる知ってる、それ飛び魚だよ!」

 市場に到着した初日。

 いきなり乾物の正体が割れたときには、喜んだものだったのだが。

「飛び魚? 魚が飛ぶのか?」

「魚が飛ぶよ。だから飛び魚だよ」

 なんだこの白い異星人、アタマ大丈夫かよ?みたいな視線を原住民のガキんちょどもから浴びせられても、フィンレイは気にしなかった。なにしろ星に来るまでかかった日数のわりに、本命の仕事が楽に片付きそうだったから。あとは漁師の協力者を雇い、魚を獲るだけで済みそうだ――そんなぬか喜びなど、スコール後の虹よりも儚い白昼夢で。

「昔はね、たくさんいたんだってさ。今はめったに獲れないけど」

 地元では、幻の魚とまで呼ばれている珍魚だった。

 そのまま食べても美味だが、保存食として燻製にすると旨味のある良い出汁がとれる。現地ではたまの御馳走とされる乾物が、あるとき異星の斬新な食材探しに来た熱心な料理人のにとまり、今では漁獲されるたび星外へ輸出されるのだという。

「ええと、この魚、どのくらい獲れるのかな……」

「そうだなあ。乾季はぜんぜん。今はもうすぐ雨季だから、十日に一匹ってとこ? でも生きたままは無理だよ」

「なんで?」

「飛び魚がどこにいるのか誰も知らねえもん。川のどこに網を張ってもかかんないんだ。ときどき川上から流れてくるだけだよ、死んだ魚がさ」

「あたしの姉ちゃんが生きてるやつを見たよ。波の上をぴょんぴょん飛ぶんだって。上流に向かって。でも弱ってるから、捕まえたときにはもう死んでるの!」

 無垢にして非情な子供らの情報どおり。フィンレイが〈トビウオ〉にお目にかかれる機会は、それから何日も訪れなかった。

 大気は濃密な水気に満ちて、最高気温は摂氏45度超。天候はカンカン照りと突然のスコールを繰りかえす。毎日が蒸し風呂状態の水上市で、フィンレイは襲いくる吸血昆虫と終わりなき闘争を演じながら水産物を眺め歩く日々を過ごした。

 人間をひと呑みできる千棘大せんとげナマズ。でかくて平たいカニの化け物。妙に艶めかしいレース状のヒレをたなびかせる水蛇に、悪魔のごとき獰猛な牙を備えた漆黒の川ナマコ。鮮血色のゾッとする淡水イカは箱からぬめぬめ溢れかけ、金属質の二枚貝が水桶から逃れるために触手を振り上げている。身の丈近い長さの大水ミミズや人頭サイズの潜水グモも、ここでは日々の食卓に欠かせぬ貴重なタンパク源だ。

 申し訳程度に赤い木の葉を敷いた箱やザルに、乱雑に積みあげられた魚介類には小虫がブンブンたかっている。ときに黒雲と見まごうほどこの樹林には小虫が多い。早朝に揚げられた水産物はエラ下に卵を産みつけられ、目玉は充血し、昼前には禿げた鱗の下からかすかな腐臭を漂わせ始める。

 フィンレイは妄想した――もしこんな光景を潔癖な中央星域セントラル食料百貨店の従業員が目にしたなら、ショックのあまり発狂して切腹するにちがいない。たとえ徹底的に泥を洗い、整然と並べたとして食欲の湧く代物はひとつもない。そんな魔界の呪物じみた黒光りする甲殻類でも、現地人たちは嬉しげにかぶとを割ってどぎついピンク色のミソを生で啜る。

 げんなり体重を落としながら、辛抱強く探すこと三週間。念願の〈トビウオ〉を先に発見したのはしかし、哀しいかなフィンレイではなかった。

 AIVRアイバーのレンジャーは、基本複数人で行動する。フィンレイの唯一のパートナーは、教授と並ぶほど厄介な頭痛の種だ。昨日そいつがチャンスを台無しにした。

「フィン。ここにいたか」

 ソードオフは、現地人さながら上半身の衣服を脱ぎ捨てて、パンツの端を軽くたくしあげた裸足で歩み寄ってきた。

「花売場? 似合わない場所にいる。無線で連絡を入れたのに。応答しないから、探した」

 青めいた光沢のある、奇妙な黒鋼色の皮膚の色。漆黒の髪。切れ長の双眸は薄い金の虹彩。

 凝縮した闇に二つ眼の開いたような異星人が音もなく忍びよってくると、どれほど愚鈍な人間でも、屈強な野獣でも、感情のない機械人形さえ、劇薬に触れるのを怖れるごとく彼に道を明け渡す。

 一方、色素の薄い肌にこぎれいな茶髪という典型的アルテラ人のフィンレイは、いつもは明快な若草色の両目をできうるかぎり濁らせて相棒を出迎えた。両腕を組み、長身を活かした威圧的な仁王立ち。

「フィンレイ、どうして通信を切ってる。まだ怒ってるのか」

「いんや、怒ってないとも。俺はお前より百万光年は人間ができてるからな。お前と一緒にされるのは心外だ」

「怒ってるじゃないか」

 くすくす楽しげな相手を無視して、フィンレイはチョーカー型の翻訳機兼通信機を確認。ああー、うんざりだ。なぜ壊れてる。

「この星の湿気にやられたかな……、結局機械は当てにならん。それでソード、上流へ行ってくれる船は見つかったのかよ」

「だから呼びにきたんだろう。――なあ、悪かったよ、フィン。俺は、お前もあの魚を食いたかったとは思わなかったから」

「なんでそうなる! そうじゃなくて、たとえ死んでたにせよ、とりあえず干物じゃない魚が手に入れば教授も満足したかもしれんだろうが! ほんとに、お前ってやつは、せっかく見つけた〈トビウオ〉を、よりによって食うか!?」

「美味かったよ」

「おめでとう!」

「俺が見つけたときには、もう串焼きにされていたのさ」

 てんとして恥じる色なし。といって、宇宙でも名高い犯罪都市〈ディーテ衛星市〉出身であるこの男に、汎銀河的な常識や良心を求めるのがいかに無駄な骨折りか、フィンレイは知り尽くしている。

 昨日、トビウオ発見の報を受けて飛んでいった先で、こいつは原住民と炉火を囲んで見事な魚のを仕上げていたのだ。それを見たときの衝撃といったら――いや、よそう。思い出したくない。

「もういい」雑に手を振り、フィンレイは会話を打ち切った。

 バックパックと準備していた探索物資を背負って、さっさと船着き場へ向かいだす。いつまでも受け身でいるのにも飽きがきて、この数日、大河上流へトビウオ探しに協力してくれる漁船を探していたのだ。

 どうせ船上でも苦労するのだろう。気まぐれに無限の深宇宙から湧いて出た、この暗黒星雲人みたいな相棒にまともに取り合って、俺の有限で貴重な精神力を浪費する愚はおかすまい。

 だというのに、ソードオフはなおもしつこく絡んでくる。

「素直になれよ、フィン」ニヤつきながら下から顔を覗きこみ、「本当は食ってみたかったんだろう?」

「そんなことはない!」

「ふうん……」

 否定に力を入れすぎた感があった。

 ――正直に言おう。高級レストランでも認められ、地元でも希少だという地球原産かもしれない魚なのだ。味見できなかったのが悔しくなかったか、だと?

 残念だったに決まってる。

「今度は一緒に分けて食おう」

 しかし見透かしたようにソードオフに微笑まれると、フィンレイは反論しかけた口を閉じる。深い疲労の溜め息を吐き、とっとと川へ歩き出した。

 白い歯を剥いて笑っているだろう相棒など、振り向きもしないで。

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