2.Winged Fish 虹を駆ける銀

2-1. 赤い密林

 まるで水中歩行しているようだ! ぬぐってもぬぐっても、とめどなく汗が首すじを滴り落ちる。湿度100%の深紅の密林がおい茂る星。

 最前からわんわん耳を圧しているのは、あたりに充満する川波と樹海と人声の巨大などよめきだ。居住可能な大陸は赤道上に並んで三つ。そこに網の目状に水路を巡らす、朱を溶かしこんだような大河川。

 流域のところどころに集落を作って住みついた惑星ゴンドワナの人間たちは、老若男女問わず濃い色の裸身を惜しげなくさらけだしている。早朝からいそしむのは泥まみれの漁と狩りの暮らし、それに商取引だ。赤褐色に濁った川面に張り出して造られた、木造巨大市場の只中で。

 ばちんと景気のいい音ひとつ。フィンレイは頬にたかった刺し蠅を叩き潰した。

「この一分間で何十匹目だ、くそ……。どこで買った防虫スプレーだったかな。アルテラか。まったく、高いくせに使いものにならんな!」

 湿度もものすごいが、この尋常でない汗の量は、どうやら新しく封を切った防虫剤でマズッたらしい。

 どんな地球型惑星でも節足動物が媒介する風土病は恐ろしい。予防のため噴きつけたはいいものの、マイクロレベルに薄い被膜が肌を覆うかして体温調節がうまく機能していないようだ。全球適温管理のアルテラじゃあ、そりゃあ少々体温が上がったくらいで問題なかろうが、数億年前の地球そっくりの熱帯環境では死活問題だ。

 第一、防虫効果もぜんぜん無意味のようであるし、そのくせしつこくまとわりついてくる、このフローラルな香りはなんなんだ? 余計むしゃくしゃする。いい加減にしろ。

「あと一時間もこのままでいたら、俺は確実に熱中症で死ねる……」

 そんなふうにイラつく間にも、狭い通路を向かいから来た原住民とぶつかりかけて、フィンレイは危うく道を譲った。

 頭に乗せた植物製の巨大ザルに、さらに山もり魚を乗せて尻をふりふり去る女。彼女の若く溌剌とした肉体には――おもに、つんと張って揺れる剥きだしの乳房には――つい目が行ったが、裸身はあまりに無造作で自然体だ。やはりゴンドワナ人は、自分のような中心星域セントラルの人間とは次元を異にする種族のように思えてくる。

「たった三百年で、人間がここまで原始回帰するとはねえ……」

 翻訳機を切って呟けば、現地人には理解できないはずだった。

 しかし、ちょうど足元を駆け抜けた子供らに思いきり足の甲を踏みぬかれ、フィンレイは喉まで出かかった悲鳴をかろうじて飲みこんだ。

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