1-4. 青い海の星の神話

 濃厚に水の匂う大気、サイズの異なる大小の姉妹太陽――その輝きの下に、桃色のマーブル模様も上品な、まばゆい白石の半球建築が波の花のごとく積みあがる古都。

 そこは数々のエキゾチックな美食にあふれ、海漂樹の乳香が潮風にまじって奇妙な陶酔を呼ぶ異郷の地だ。辻音楽師の奏でるシタールは不思議にリズムの外れた音楽、いや、波音の模倣だろうか? かたわらをゆく濃い肌の半水棲人たちが、どこか懐かしい韻律の言語でゆるやかに挨拶の声をかけてくる――つやつやと海鳥の脂をひいた海獣革の剣鞘へ、珊瑚のナイフを斜めに差して。大きな耳には七色にひかる魚鱗と黒真珠、首には勇猛な部族の証たる鮫の鋭牙のネックレスを着飾って。

 バハル王国首都、マーシャール。もし財産の半分を投げ打ってでも、映画スター級のべらぼうに豪華なバケーションを楽しみたいとき、銀河系人の多くがその名をあげるだろう都市は、直径40キロにおよぶ環礁内部に栄える街だ。

 高高度から見下ろせば、その環は楽園の水色に縁取られた神秘の群青色。有機的に歪む円周内部にひしめく水上街は白い泡の群れめいて、すり鉢状に深い海底を追うように建築の海下階を増やしていく。

 郊外にあるサワハ研究所は海上部二階、海下部三階の五階層のみだが、街のどの区域の建築にしろ海上階数が少ない理由は、季節ごとに現れる大嵐にあった。

 全球が海洋、かつ二連星に温められるブルーボールである。発生する低気圧は発狂した魔神に近い。その颶風すら観光の目玉と変わったのは、荒天時に海上街全体を保護する硬化サピルスグラスの大天蓋ドーム建設以降のことだ。

 大波は裾礁に乗りあげて増強され、ドーム中ほどまで駆け上がる。風雨は天罰さながら叩き降り、雷は都市を鳴動させ、渦巻く昏黒の大空には稲妻が伝説の竜のごとくほとばしる。

 海洋民の命を根こそぎ飲みこんでいた悪神は、先進文明との邂逅以前、今や興奮と喝采を呼ぶ壮大なエンターテインメントにすぎなくなった。快適で豪奢なスイートルームのソファに腰まで埋もれながら、バカンス客はカクテル片手に美事な自然のパフォーマンスを堪能する。嵐はもはや、バハル王国民にとって金の卵を産むドラゴンだ。

 したたかだな――と、ソードオフは、白く清潔な廊下を歩きながら考える。

 大ドーム建設はほんの半世紀むかし。天球のない辺境貧困海域では現在でも被害があるだろうものを、そんな話は外部にいっさい漏れてこない。王国は嵐を昔日の破壊神とし、祖先たちの死を人々の同情と浪漫を誘う涙の悲劇に仕立てあげ、国民の飯の種にしているのだ。

 失われた4000年、と彼らは言う。真空をゆく叡智の翼をもがれ、せいぜいがカヌーを漕げる猿同然の原始生活まで文明退化した4000年間、アルテラと引き比べ、彼ら半水棲人たちに根強い劣等意識を抱かせる4000年の歴史をこそ、しかしバハル人は銀河系における後進惑星〈ブルーボール〉の存在価値確立へと最大限利用した。

 生き残るためには、なんだってやってやろう――人懐こい仮面の裏にある、抜け目ない不屈の野心がソードオフには透けて見える。なぜならあの黄昏の都、円環街の中央に呪われた移民巨船を突き立てる都市、すべての人類に見放され、矮星に焼かれつづける赤熱のスラムで育った彼も同類だから。

 公的には採取違法、研究不許可――アブラカダブラ! そんな呪文にどんな意味がある? ソードオフは確信している。この研究所のどこかに必ず、挑戦的な海洋民研究者が隠したメルヴィルの組織試料があるだろう!

『たしかにバハル人にはピクフィーの前例があるけど、二度目はないんじゃないかねぇ』

「賭けるか? 負けたら夕飯おごれ」

 通信機の向こうで、まだフィンレイは悲観的だ。

 ソードオフは、ゆるくカーブする廊下を普通の速度で歩いていった。左手に海中をのぞく窓、右手に各研究室のスライド扉が定期的に現れる。

 扉には目線の高さに小窓があるが、ソードオフは特に警戒しない。彼は影だ。不審な挙動に人は驚くほど敏感でも、どこにでもある人影を記憶にとどめたりはしない。危険があればフィンレイが警告する。彼に気付いたのは海側の窓に憩う小エビと魚だけ。冷蔵試料保管室の前に難なく到達した。

 そこは要冷蔵の薬品や標本がまとめて保管してある倉庫だ。扉は頑丈な鋼鉄製、一部の高価な酵素や貴重な試料があるために関係者以外は立ち入れない。ロック解除には扉横の端末による生体認証が必要だが、11桁のパスワード入力でも解錠可能だ。

『よおし。いいか、パスワードは』

 得意げなHQの指図前に、ソードオフは手品のように取り出した銀色のタグを端末にかざした。施錠ランプがグリーンに輝き、錠の上がる音が響く。

 重い両開き戸の片方をあけ、冷気のなだれてくる室内へ侵入。

『……なんでマスターキーを持ってる』

「わかりきったことを聞くな」

『お、おまえ、いつ所長からスッたんだよ。……これは念のためだが。あとできちんと返すんだぞ』

「どうして。面倒くさい。またいつか使うかもしれないし」

『そう言って溜めこんだキーはいくつめだよ、ソード!』

「おまえ、今まで撃った弾数いちいち数えてるか?」

 フィンレイの盛大な舌打ちを聞かされつつ、ソードオフは室内の意外な光景に目を奪われていた。

「驚いたな、相棒。ここは全ブルーボールのピクフィー・ライブラリだ」

 監視カメラはないのでフィンレイには残念だろう――そこは予想していたような、薬瓶や箱や袋でいっぱいの、ごちゃっとした薄汚い部屋ではなかった。

 空間は広い。色温度の低い静かなサブ照明を照りかえし、平行に整列する何段もの大棚に隙なく並んでいたのは、ひと抱えほどある柱状水槽タンクの群れだった。

 薄緑のゲルに浸され沈黙した、数百もの蒼ざめたピクシー・ドルフィンたち。色、形状から推して同種個体は雌雄一匹ずつ、すべてがまぶたを閉じている。

 相棒に説明しながらソードオフは指先で円柱のガラス面に触れた。冷たい。これらは死骸ではない。冷凍睡眠コールドスリープ状態だ。

「このゾンビ集団を見ればおまえも黙ったはずさ、フィン」

 嬉しげに、ソードオフはタンク壁をツッと爪でひっかく。上から下へ。

「地球遺産条約締結を先延ばしにして、バハル人は〈イルカ〉をうるさい高級愛玩動物に創り変えた。いいかげんな神話や迷信を言い訳に、今度はクジラを第二の金ヅルにするつもりでいてもおかしくない――クジラか。教授はなんの可能性があるって?」

『ちゃんと調査資料に目を通せって、おまえは俺に何度いわせる気だ。〈ザトウクジラ〉だ! 太陽系地球ソルテラ人には人気の海洋哺乳類だったらしいぞ。いろんな媒体に断片的な記録が残ってるようだな。

 あー、たしか種としてはイルカの親戚で、全長15メートル前後。メルヴィルというのは、これも地球時代の冒険小説からつけられた名前らしい。だがその小説に登場するクジラの種類は〈マッコウクジラ〉だし、メルヴィルってのもクジラじゃなく著作者の名前で、命名者がうっかり間違えた――』

「細かい話はいい。重要なのはイルカがバハルの移民船から出てきた事実だ。ほかの地球原種は乗ってなかったって話だが、実際はどうだかな。船の調査に銀連は関与してないらしいじゃないか」

『だけどイルカは――正確には〈マダライルカ〉だったと思うが、結晶乾眠ドライスリープの粉砕状態で見つかったんだぞ。ピクフィーは在星種のなんとかいう海虎類の遺伝子とハイブリッドして復活させたんだ。つまるところ継ぎはぎフランケンゲノムだし、発見当時でもおそらく条約適用外だったろうよ。なんでそう色眼鏡をかけたがるかね、おまえは』

「この星の人間がバハル人だからさ。何十億って人間が地球を脱出できない状況で、船に海洋生物つみこんだイカレた船主の末裔だぜ。バラバラ死体はともかく、その〈ザトウクジラ〉とやらの子孫かもしれん生き物は、今この星の海で生きてる。現存する生物が地球産と認められれば下手な遺伝子改変は規制される。ペットには改造できない」

『メルヴィルは4000年前の神話に出てくるけどねえ』

「夢は寝て見ろ、アルテラ人。大昔に起きたことを誰が知る。作り話だ」

『観光資源にはなるぞ』

「生態系保全義務は開発の邪魔」

『で、表向きには研究禁止か?』

「実は裏で進めている」

『もういい、ソード。空想は無意味だ。モノを見つけてこい』

 言われずとも、すでにソードオフは探しはじめている。

 博物館なみに整えられているのはピクフィーの棚だけで、ほかはAIVRにいる教授の倉庫同様、ホコリにまみれた謎の茶色瓶から最近作製された染色切片まで、さまざまなものが、この研究所の秩序にならってそれなりにしまわれているようだった。

 秘密を隠す場所なら――そう、重力のある場では膝下か頭の上か。制限時間は十分を切った。ソードオフはサワハ研究所の闇をあぶり出す行為に愉しみを見いだす。

 一方、守衛室のフィンレイは暇だった。

 頭のうしろに手を回し、長身を安楽椅子にだらしなく伸ばして、組んだ足は操作卓の上。とりあえず見つめている監視画像に別段気になる動きはない。講堂が盛りあがっているのは、どうやらスタートしていたヨット船団が最初の競りあいを演じているらしかった。

 あー、俺だって会場で、いやせめて講堂のでかい3Dビューでみんなと観戦したかった。監視ディスプレイのひとつを中継画像に切り替えるのも可能だが、見入っている間にソードオフが溝に落ちても気付く自信がないのでやめている。俺っていい相棒の鑑。

 そして悪い相棒の鑑である、わが親愛なるディーテ市民は――と、フィンレイは鼻毛を抜きつつ思った。いくら目端の利くあいつでも、今回ばかりは目的のブツは見つけられまい。

 百歩譲ってソードの主張が正しかったとして、秘密裏に行っている実験なら、たとえばクジラの血液なり塩基配列データなりを馬鹿正直に〈メルヴィル〉と明記して保管するはずがないのだ。第一、怪しげな試料を見つけてAIVRに持ち帰り、地球生物由来のゲノムであると同定したところで、もとが正体不明のサンプルではなんの意味もない。

「つまりおまえは……」通信はオフラインのまま、フィンレイはあくびまじりに遠くの相棒へぼやいた。「子供の遣い同然の、今度の仕事がつまらなかっただけだな」

 これはやつのお遊びだ。そうと知りつつ付きあってやっている俺、イコール、いい相棒。

 ひとしきり自賛したあと、無線をオン。

捜査官エージェントソードオフ、なにか見つけたか?」

『まだ』 うるさそうな返答。

「ピンポーン、残り5分です」

『10分の間違いだろ』

「あと4分50秒で出てこい。諦めきれないなら正式にダクに頼んでまた入ればいい。一般非公開のピクフィー・カタログを見学したいって口実で」

『それ、おまえが見たいだけだろう』

「そうだよ。見たいよ」

『水死体のショーケースを眺めてる気分で、面白い』

 いいなあと羨みつつ、フィンレイは暇にあかせて考えをめぐらせる。

「なんで冷凍睡眠コールドスリープなんだろうな。永久保存なら普通、結晶乾眠ドライスリープにするんだが」

『さあな……』

「品種改良目的で頻繁に解凍するのかな。結晶乾眠なら細胞活性は真の意味でゼロになるが、入眠にも覚醒にも時間がかかるし」

『…………』

「そうだ。もしかすると研究所を後援する政府のお偉いとか、銀連の星治屋せいじやの視察用かもしれん。結晶乾眠は、たいがい見た目がクリーム色のキャンディーだし。冷凍睡眠に比べるとあれはグロテスクで面白味に欠ける」

『すこし黙れ、フィン。これ以上喋ると、次の誕生日に人型のクリーム・キャンディー贈りつけるぞ』

「おっと、感動だな相棒。ついに俺の誕生日おぼえてくれた?」

『明日だろう』

「ちがう。自分で食え」

 ビーッ、ビーッ! 突然アラームがけたたましく鳴り、フィンレイは反射的に椅子を蹴倒して扉を振りむいた。

 手を腰のガンベルトへ滑らせたが、非武装だったと我に返る。

「なんだ?」

 警告音は館内放送のスピーカーからだ。すぐにダクの声が聞こえてきた。

〈緊急連絡、緊急連絡。メルヴィル研究チームは、通信情報センターへ大至急集合してください。繰り返します、メルヴィル研究チームは大至急――〉

 なにか異変があったのか。とりあえず自分たちの不法行為がバレたのではないと判断して、フィンレイはソードオフに待機命令。監視カメラを切り替え切り替え、モニタ室外の廊下と守衛室前、レース観戦の講堂周辺の映像を呼びだす。

 講堂から数人の職員が慌ただしく出ていくのを見届けたあと、またカメラを切り替え、フィンレイはまずいものを見た。レンジャーたちが宿泊に借りている部屋の扉を、誰かがノックしていた。

 あれはダクの助手だ。部屋が無人と知ると、きびすを返してカメラから消える。おそらく講堂へ向かったのだろう――俺たち二人を探して。

 フィンレイは、ソードオフが家探ししている冷蔵室付近が静かなのを確認すると、今すぐ倉庫を出るよう指示した。

「問題が起きたらしい。ダクが俺たちを探してる。俺は事態を掴んでくるから、おまえも遊んでないで早くそこを出ろ。今なら外に誰もいない」

『待てよフィン――』

「助手が講堂に向かってる。次は守衛に居所を聞きにくるかもしれん。ここで顔を合わせるのは気が進まない。ソード、いいな、偽造映像の残りは三分だぞ」

 パネルキーを叩いて画面を初期状態に。椅子ももとの位置に戻し、フィンレイは大股に部屋を横切る。扉を薄く開け、騒がしい人通りの間隙をついて、ひょいと守衛室を抜けだす。

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