1-3. フィンレイとソードオフ
『――さあァ、皆さまお待たせいたしました! 全〈アトランティス〉のトップ・スキッパーたちが腕を競いあう夢の舞台! 祝賀祭最大の催し、五大都市横断ヨットレース開幕式、いよいよの――』
はじまった! エントランス付近から割れんばかりの大歓声。フィンレイは廊下をいそいだ。
派手な祝砲が窓の外、そして向かう先の二方向から轟いてくる。サワハ研究所の講堂には職員や研究員がすでに三、四十人、気の利いた者の準備した環境3Dプロジェクタの造りだす中継像に埋没しながら歓談していた。白衣など一人もいない気楽な集団で、テーブルにはポップコーンにサイダー、ピザ、ブルービールまで完璧にそろっている。そりゃあ祭は大勢で観たほうが、だんぜん盛りあがるもんね。
ナレーターの饒舌な解説音声を背景に、プロジェクタは切り取る空間をめまぐるしく変えている。ひしめきあう観客席の高台、地元の子供らによる応援楽奏。派手な開襟シャツ群の無秩序な色彩のまにまに、巻貝に似た管楽器が反射する陽光が目にまぶしい。
ノイズの入った幽霊よろしくうろつきまわる観客や参加選手たちの幻影、それらがだしぬけに開催港の空撮風景に変化したと思うと、立体虚像はいきなり加速して、講堂の空間丸ごとが惑星の誇るきらびやかな珊瑚海に水没した。
宝石じみた熱帯魚たちの舞い泳ぐ中、別枠画面でレースチームへのインタビューや花形選手の生い立ちが語られはじめる。だがフィンレイはそうした魅力的なホロ映像にはいっさいかまわず、改造眼の偏光モードで講堂内を見透かした。
ざっとダクを探してみる。しかしヨットレース観戦組のなかに、真面目な研究員の姿は見当たらない。
「ちょっと失礼。ダクジャルファッ・サール博士は、今日は非番?」
「え、ダク? 来てるわよ……ああ、AIVRの方。彼なら自分の研究室じゃないかしら。設置した深層探知機のモニタリング、個人端末でやるって言ってたようだし。ダクはね、スポーツ観戦はしない主義みたいね」
「
「バハルの表現では、
周囲の人々が親しい者同志に通じあった笑い声をあげ、誰か彼を引っ張りだしてこないかねと年配研究者が言う。無理でしょうと意見が一致、フィンレイに首を振ってみせた。
「おかげで仕事を取られた学生は大喜びで、そこでビールを流しこんでる。クジラが心配というより、彼はヨットレースが嫌いなのよ。たぶん一日缶詰になる気でしょうね」
「そうですか」 そいつはラッキー。
「きみもここで観ていく? それとも直接会場へ?」
「いや、実はまだ時差ボケがひどくて。同僚は二日酔いで唸っているし、宿泊室で寝ながら観戦しようかと」
「それはお気の毒さま。星外の方にはこの惑星の一日は長いでしょう。概日周期だけはどうにもね。医務室なら突き当たりを右よ、お大事に」
ありがとうと片手で礼を言い、床や身体を突き抜けてくる鬱陶しい幻影ピクフィーのショーを素通りする。ポップコーン入りカップとサイダー瓶を二本、講堂を出際にひょいとさらって廊下をとって返した。海藻くさい緑色のスナック菓子をつまみながら階段を上り下り。研究実験棟をぐるっとひと巡りしてから宿泊施設へ。
ソードオフの部屋をノックしかけてフィンレイは考え直し、自室の扉まで進んで施錠確認のランプを眺める。
「おい。どうやって入った。鍵は俺が持ってるのに」
サイダー瓶を投げてわたす。
「酒じゃないのか。つまらない」
「ダクは二階の研究室に缶詰。海下の実験施設に六人、残りは講堂でレース観戦」
「六人か、堅物が多いな。まぁ、いけるだろう」
「と、平然と言う我が相棒には、心変わりの気配はぜんぜんないのでした」
フフンとせせら笑ってソードオフは起きあがり、瓶の蓋を弾きとばした。
眼前に飛んできたそれをフィンレイはキャッチ、投げ返す。わざとじゃないと言い訳するが、誰が信じられるか――星外不出の保護生物の組織試料を、公式に手に入れられないなら盗みだそうなどと、水素ガスよりも軽々しく言いだすやつの台詞を。
「ほんのひと欠けもらうだけだ。夕べはおまえも乗り気だったじゃないか、フィン」
「酔ってたんだよ」
「だからこんなジュースじゃなく、アルコールにすべきだった」
「あのなあ」
「クジラの
「努力はした。盗む必要あるか?」
「じゃ、聞くが。どうして敵地の人員配備を確認してきた、元銀連軍特殊部隊員?」
「…………」 負けだ。
フィンレイは顔をしかめて頭を掻き、そばにあった椅子を引き寄せる。背もたれを前にして座り、サイダーの蓋を開けた。海藻臭のポップコーンはソードオフにくれてやる。
「俺は工作員じゃなく戦闘員だったんだぞ。ほんとに、おまえといると退屈しないぜ、ディーテ市民」
「こういうときのために教授は俺を飼ってるのさ」
冷えた瓶から流れ落ちる結露で遊ぶのをやめ、ソードオフは獲物をいたぶる肉食獣そっくりにフィンレイを見た。溜め息まじりの相棒に、銀河人類がその名を口にするのも厭う暗黒街の、もと住人は、金の眼光をナイフのように細めて笑う。
地球を脱出した播種船のなかで、もっとも凄惨な運命をたどった船を問われれば、〈ラザラス〉号の名が上がらぬ星系はない。
超空間航行開始直後からあらゆる機器トラブルに見舞われて制御を失い、少なくとも百年間、
アルテラの記録では、船が再発見されたとき、正常なヒトの形で保護された乗員は二百分の一程度。意思疎通が可能な者は銀連法機関に保護観察の名目で捕えられたが、もはや人の形をなしていないもの、もとが人間だったのかさえわからないものたちのほとんどは、ラザラス船の墜落した衛星にそのまま防疫隔離された。
アルテラから、ほんの九○光年ほどの距離にある赤色矮星は、BG-801144という味気ない分類番号が振られるのみで名は無い。公転する七つの惑星のうち、最内側軌道にあるガス惑星が持つ小衛星、そのひとつにラザラス船の乗員たちは彼らだけの都市を築いていた。
《ディーテ衛星市》。絶望の漂浪中、倫理規範を完全放棄した船内実験室で開発された、おぞましくも高度な生命工学技術が今も保存され利用される禁忌都市だ。生への執着と狂気、妄想を現実へ浸潤させる危険な接続点として銀連に厳しく宙域を封鎖されるそこから、どうやってソードオフが銀連盟主星のアルテラへ侵入し、あまつさえAIVRのレンジャーにおさまっているのかをフィンレイは知らない。
「密航船はいくらでも出入りしているさ」
ソードオフの小馬鹿にした台詞は信じがたいが、続いた言葉、「ディーテ市民は、そもそも宇宙に出たがらない」というのはわかる気がした。
他星の社会とは異質にすぎ、生粋の市民には身体的精神的な奇形が多いこと。そもそも宇宙や他の星系といった、最低限の常識を認識できる知能を持たない存在も多い。一応、自意識を持つ人間もどきも、過去の人工的操作がいびつな形でDNA上に残り、さらに彼らは追加のゲノム編集を自ら望んで受けるという。
ゲノムに致死的な欠陥があればそのうち死ぬが、生き残ればその子孫へも傷は受け継がれていく。ソードオフ自身のように。彼の全身に見られる、類のない黒色の肌。
冷やかで威嚇的な目つき。毛髪も黒いから白眼に囲まれた薄黄色の虹彩だけが異様に目立つ。影が実体を持って立ちあがったと錯覚させる、それがソードオフという人間だった。未知の危険な宇宙生物に接触したような不安を誰もに抱かせる奇怪な人物。
『しかしダクは、元軍人だと言ったらあっさり信じたな。ガイア人だのアルテラ人だのいう嘘には誰も半信半疑なのに。これからはおまえの経歴を俺に貸せよ、フィン』
「それは困る。俺が自己紹介できなくなる」
『おまえの場合、そのアルテラ顔でみんな納得だ』
「貸してやってもいいけど、ソード、その前にもっと口に気を遣え。いつも自分からバラすようなきわどい発言しやがって。なんなの、正体隠す気ないの?」
『あるが、おまえの反応が面白い』
「くたばれ」
ぶちっ。吐き捨ててフィンレイはイヤホンの無線通信を切る。ソードオフの愉快そうな笑い声を聞かずにすんだ。
宿泊施設から出て、再び研究実験棟の廊下。片耳に装着したクリップ型の無線機は異星語翻訳機能も兼ね、いじっていても誰も怪しまない。中継は都市上空、軌道エレベータにリンクした宇宙港に置いてきた船がやっている。
エントランス方向へ進み、今度は講堂に入らず、さりげなく通りすぎて守衛室へ。扉をノックして開けると、ぷっと膨らんだフグみたいに不機嫌そうな小太りが「なにか?」警備モニタから振りむくのとばったり目があった。
「俺の同僚が、昨日の晩あんたにポーカーで負けたんだって?」
「そうとも、あの黒い兄ちゃん! 半日仕事をかわる話になってたのに、もうレースも始まりそうだよ。まさか銀連盟主のアルテラ人が憶えてないなんて言わないよな?」
「悪かった、相棒は二日酔いで今死んでる。俺が代役で来たってわけ」
「あっ、なんだ。そうだったの」
うってかわって相好を崩した男は、手を揉み合わせながら席を立つ。
「じゃ、代わってもらおうかな。監視映像を見てるだけの暇な仕事だから。なにか問題が起きたら、ま、ありゃしないんだけどね、これ、このモニタ使えばぼくに直通だから」
「はいよ。まったく、あいつには参るよ。いつも尻拭いは俺だ。レース観戦は講堂で?」
「まさか。天才の先生方と飲んでも面白かないし、近くのスポーツバーで観るつもりさ。弱いくせに熱くなるなって相棒には言っとくんだな」
じゃ、長寿と繁栄を! と、どこの星系のものだか不明な挨拶を残し、そそくさと去る警備員を見送る。ドアがしまり、フィンレイは薄暗く狭い部屋の中央にある安楽椅子にどっかと腰を落とした。
正面180度のクリアパネルが青白い燐光を発し、研究所内に設置された各所の監視カメラ映像を分割フレームで映し出している。手元の操作卓でいくらか操作を遊んでみてから、フィンレイは耳の通信機を軽く撫でてオンにした。
「ソード、入った。セキュリティ室だ」
『俺の撒き餌が効いただろう。楽な仕事でよかったな』
「手回しのいいことだよ。おまえ、昨日いつのまにあのまぬけな守衛を引っ掛けた? 俺は気づかなかったぞ」
『おまえがいい気分でダクに自慢話をフカシてるあいだに決まってる。たまたま見かけたから、今日の仕込みをしておいた。どうだ、俺も真面目に仕事してるだろう』
よくぞ警備員の顔を知っていたというか、それも後ろ暗いディーテ市民の習性か? 褒めてほしそうなソードオフを無視してキーパネルを叩く。あいつの“真面目”の定義が行方不明だ。
手こずる覚悟でいたが、ダクが嘆くとおりサワハ研究所の警備体制はかなり伝統的らしかった。警備はともかく、肉眼でのモニター監視という業務も、人の出入りが電子管理されるAIVRでは考えられない骨董品級の職である。
人的過誤は警備システムの穴であり、侵入者の味方だ。フグ似の守衛は電子機器類にログインした状態のまま、うかれてバーへ繰り出していった。
過去の映像記録ファイルを呼びだし、フィンレイは今日と似た天気、同じ時間帯の映像を選びだす。場所は宿泊施設と研究実験棟の廊下、計六台のカメラ。日時表示にだけ手を加えて犯行時刻の記録すり替え用に編集する。
「もうすぐ用意できるぞ、ソード。寝てるんじゃない、起きろ」
『寝てない。開幕式を見てる。ピクフィーは芸達者だな、ピクフィンよりも賢そう』
「なあ、もう一度聞くが、教授は本当にメルヴィルの分析結果を論文にしないと思うか?」
『しない』
誰の部屋にいるのだかわからない、ソードオフの即答だった。
あまりの迷いのなさに逆に不安をおぼえ、フィンレイは作業の手を止める。
「どうしてそう言い切れる。クジラが地球原産種だという論文を教授が発表すれば、組織片の入手方法が問題になるのは間違いないんだぞ」
『フィンレイ、知らないなら教えてやるよ。世の中バレなければ殺人だって事件にならない。まぁおまえはそこで見てろ、俺がうまくやるから。久々に燃えてきた』
「救いがたいな、ソードオフ。希少保護生物ゲノムの密輸だぜ。明るみになればアルテラとブルーボールの外交問題にも発展するよ。教授の懲戒免職は固いし、ついでにおまえを止めなかったかどで、俺もクビ」
『止めなかった? 寝ぼけてるのはおまえだ、共犯者……それはさておき、だからこそだ。フィン、心配するな。クジラが地球産とわかっても教授は絶対に発表しない』
「だから、なんでよ?」
『もうおまえも気づいてると思ってたがな。あの爺さんはただの収集家だろう、地球原種のカタログ作りが生きがいの。自分の学者生命を断つような真似をするはずがない。言ったろう、こういうときのために俺は雇われたのさ』
「…………」
教授との付き合いはソードオフのほうがフィンレイより若干長い。恐ろしい裏話を聞いた気がした。まるでこの件と同じことが前にもあったような口ぶりじゃないか。
――いや、とフィンレイは推測する。たぶん、おそらく、あったのだろう。入手も分析も星間協定に違反する生物種の組織を、教授がソードオフに奪取するよう命じた過去が。
そしてソードオフが犯行に積極的な理由は聞かずとも明白だった。教授のために逸脱行為を働くことは、人類史上最大の汚点とされ存在を隔離管理されるディーテ市民が、自由であり続けるための強力な切り札になるのだ。ひらたく言えば教授への脅迫材料である。――悪事をばらされたくなければ、俺の素性を黙っていろ。
――いや、あいつそこまで考えてるかな? 単に好きなだけか、反社会的活動が……。
フィンレイが思い悩む間にも、ソードオフは猫が羽虫をもてあそぶくらい興味なさげに断定する。
『外交問題になれば教授は二度とAIVRで地球原種の研究ができない。だからメルヴィルのゲノムを公表したりはしない』
「だが、おまえにとっては教授に対する保身のカードになるってこと?」
『保身の……? ああ、かもしれないな』
「理解した……。で、俺のメリットは犯罪者になれる以外でなにがある?」
『なにを今さら。それは自分の胸に聞けよ、フィン。あとはまぁ、俺の感謝だ、相棒』
「おまえには呆れる。そのうち、中華マフィアだけじゃなくて銀河中の警察機構からも追われる身になるんだ」
『俺はまだ広域手配されてなかったか? さて、そろそろ気は済んだろう、フィン。無駄話はやめて腹を決める時間だぜ。おまえ、やるのかやらないのか』
「やる」
映像記録の偽造が終了。
宿泊施設から研究実験棟までの道のり、そして薬品や生体組織の冷蔵保管室周辺を監視する防犯カメラ映像の録画を一次的に切断する。そこにループで差し込む偽造動画。
フィンレイは準備完了を告げ、行けと短く指示。
了解とだけ応答し、ソードオフが行動開始。
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